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紫がたり 令和源氏物語 第三百七話 若菜・上(一)

 若菜・上(一)
 
六条院への行幸の後、朱雀院はご体調が芳しくなく、臥しておられるということです。元来院はお体が丈夫でないことを周りも気遣っておりましたが、この度のご病気は今までとは違いなかなか平癒されません。
院の御心も弱くなり、このまま儚くなる前にかねてからの願い通り仏門に帰依することを強く望まれております。
「大后(母上)ご健在の頃から御仏にお仕えする志はあれど、親子の縁を切るのも不孝と思いとどまっていたものを、子供たちの行く末も気になりぐずぐずとここまで先延ばしにしてしまったよ。子供たちの先々も気になるが、ここはやはりせめて御仏に導かれてあの世へ旅立ちたい」
そう強くご決心をされました。
院の仰せになるこの世への未練とも言うべき愛する御子とは、東宮と四人の姫宮のことです。東宮は成人されてその地位は安泰ですが、四人の姫宮の中でも女三の宮には頼るべき母君を亡くしておられました。
そこで父までが出家しては誰がこの姫宮を守るのか、というのが院の一番の心配事なのです。
女三の宮の母君はかつての藤壺の中宮の妹宮にあたられる方でした。
皇族を下られ、源氏姓を賜ったことから『源氏の宮』と呼ばれた御方でございます。
本来ならば后に立ってもおかしくない御方でありましたが、弘徽殿大后の妹君・朧月夜の尚侍のご威勢が強く、朱雀院の寵愛を受けながらも気圧されて、無念のうちに亡くなられました。
院はその御方の面影を遺した女三の宮を掌中の珠のように可愛がっておられます。
 
女三の宮は御年十三歳。
小柄でまだ幼さの抜けぬ美しい姫です。
この頼りない姫に思いを残しては仏道の妨げになる上に、自分が儚くなるようであればこの姫はどうして生きていけるものか、そう日夜嘆かれておられます。
そうして御心を悩ませていらっしゃるので、近頃では病も重く、御簾の外へもお出にならないということです。
内親王は結婚をするべきではない、というのが世の習いです。
時として帝の名代として伊勢の斎宮や賀茂の斎院として神にお仕えする役割を担うからです。しかしそのお役は必ずまわってくるわけではありませんので、降嫁という形で結婚をされる場合があります。
院はどなたか将来性のある若者に女三の宮を降嫁して、先々も守っていってもらいたいと考えておられるのです。
「姫や、私はどうやら長く生きられそうにない」
寝所から庭を眺めながら院は愛娘に話しかけました。
「お父さま、そのようなことをおっしゃらないでくださいませ。辛うございます」
「私はせめて御仏にお仕えして心安らかに暮らしたいのだが、何より心配なのは姫のことよ」
姫宮は悲しげに俯くと、つと涙をこぼされました。
「誰か頼もしい御方のところに嫁ぐのがよいと思うのだが、姫はそれでよいか?」
「わたくしはお父さまのお決めになることに従います」
「あなたはそのように素直なところが好もしいね」
院は穏やかに笑われると姫の髪を優しく撫でました。
「しかし、どのような者ならば姫を託せるだろうか」
院の脳裏に浮かぶのはやはり当代一といわれる夕霧の中納言。
六条院の宴で久しぶりに見たその姿はたいそう立派で、落ち着きのある様子は群を抜いて際だっておりました。
院は病気もあいまってそれと思いつくとどうにも固執してしまわれるようです。
姫の相手はもう夕霧しかおるまい、とそう思い詰めるようになられたのでした。

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