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紫がたり 令和源氏物語 第百八十四話 朝顔(二)

 朝顔(二)
 
朝顔の姫宮がお住まいになっている棟には鈍色の縁取りをほどこした御簾が掛り、黒い几帳が立てられ、喪に服している様子までもが姫宮の身分にふさわしいように重々しく感じられます。
姫宮は源氏の突然の訪問に顔を曇らせておられました。
察しのよい姫は源氏の下心を見抜いて煩わしく感じておられるのです。
斎院としてあった時、源氏の懸想を騒がれてその潔白な身を疑われたこともありました。
世の人々の口の端にのぼる噂は勝手なもので、そこに真実はないにしても心から神にお仕えして、身を律してきた姫宮には屈辱的なものでした。
それに姫宮は御身がもう若くないということを充分に知っております。
殿御を知らぬままに三十路にさしかかり、その心はますます固く、恋に臆病になっておられるのは致し方なきこと。純潔を誇りとした姫宮がこの期に及んで源氏と添うなどと、考えるのも煩わしく感じられるのでした。
 
姫宮に仕える女房達は源氏の訪れに浮足立っておりました。
大臣の座を濡れ縁などに設けるのは畏れ多いと、念入りに整えた南の廂の間にお招きしたのです。
しかし源氏は不満顔でした。
御簾によって隔てられ、宣旨によって言葉を取次ぐというよそよそしい扱いに、姫宮はまだ私を拒もうというのか、と姫の胸の裡を考えずに鼻白んでおります。
「今更ながらにこのような扱いをなさるとは」
源氏は姫との結婚を当然のように考えているようですが、姫の方ではけして結婚しないと固く心に決めておられます。
今目の前にある源氏はまさに男盛りの魅力に溢れた様子ですが、女人は同じように歳を経ても衰えていくばかりなのです。
そしてあの御息所の苦悩のように、数多の女人達の嘆きを目の当りにし、愛執に苛まれることはできれば避けて通りたいと考えられておられるのでした。
「父宮が亡くなり、途方にくれるばかりでございますので」
その姫のお言葉ももっともであると自制する源氏の君です。
 
源氏:人知れず神のゆるしを待ちし間に
                ここらつれなき世を過ぐすかな
(世間に知られないように御身に逢ってよいという神の許しを待っている間に長く情けない時間を過ごしました)
 
朝顔:なべて世のあはればかりを訪うからに
                      誓ひしことと神やいさめむ
(喪中のご挨拶というあなたのお見舞いも賀茂の神にお仕えしたこの身なれば神はお諫めになるでしょう)
 
「いや、なんとも。御身が斎院としてお仕えしていた間にこの身の罪も科戸の風と共に祓われたと自負しておりましたが」
艶やかな笑みを口の端に浮かべながら、そよそよと風が吹き抜けるような応えは実に壮年の男性の魅力に溢れているものです。
取次の宣旨の君は源氏の肩をもっているようので、いささか風流心を滲ませた返事を返しました。
「“恋せじと”と古歌にあるように、姫宮はたしかに川で御禊をなさった際に恋をするまいと神にお誓い申し上げましたが、今は斎院を下られて人の世に戻られた身なれば、心の広い神様は人の幸せをまっとうすることを咎めらえることはないとわたくしには思われます」
姫宮はその言に眉を顰め、聞きづらく不快と返事もなさいません。
いよいよ困ったこと、と女房達が動揺するも姫宮は何も申し上げられないでいるのでした。
「さて、喪中のお見舞いに伺ったのに、好色めいたお話になってしまいました。年をとると恥ずかしい目にも度々遭うようですね。本日はこれにて退散いたします」
そういって源氏は桃園宮を辞去しました。
先刻の姫宮を恨む言葉は斎宮の女御に懸想を打ち明けた時の決まり悪さも重ねられて、なんとも情けない気分によるものです。
しかし相も変わらずつれない高貴な女人であるからこそ、再び姫宮への想いが静かに燃え上がり、源氏の胸を焦がし始めるのでした。

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