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紫がたり 令和源氏物語 第九十八話 須磨(五)

 須磨(五)

花散里の姫はいよいよ都を去ろうという源氏の君を想いやり、道中無事であるように、須磨でも恙なく、都へ戻られる日をお待ちしております、という心の籠った手紙を送りました。
きっと心細くあるに違いない、と源氏は今一度花散里の姫の元を訪れようと夜半に出掛けました。
よもや訪問されるとは思いもよらなかった麗景殿女御は大層喜ばれました。

二十四日の朧に霞んだ月灯りのなか、端近に君の不遇を嘆きながら物憂げに過ごしていた花散里の姫君は、高雅な薫物の香がほんのりと風に運ばれてきたもので、つと源氏の訪れを知ったのです。
「橘の姫君、せめて一目でもと抑えきれずにやってきてしまいました」
「あなた、無理をなさっておいでくださったのですね。嬉しゅうございますわ」
花散里の姫はしっとりと涙に濡れて、その落ち着いた姿が懐かしく、触れる手のぬくもりに癒されるようです。
「春の宵というものは短くて、名残惜しいものですね」
はや鶏が鳴き、西の山に月が沈んでゆくのが恨めしい。

花散里:月影のやどれる袖はせばくとも
         とめても見ばやあかぬ光を
(月の光のような源氏の君を私の袖に留めておけるのならば、いつまでも見守り、見飽きることなどありはしないのに)

源氏:行きめぐりついにすむべき月影の
        しばらくもらむ空なながめそ
(私は都から須磨に退去します。この身は澄んで(無実)いるので、しばらくの間空は雲っているかもしれませんが、光がまたよみがえると信じていてください)


ことの発端となった朧月夜の姫には無理をして逢うことはもはや叶いませんが、それでも消息だけは、と源氏はしたためました。

逢瀬なき涙の川に沈みしや
     流るるみをのはじめなりけん
(あなたに逢うことができずに涙の川に身を沈めて嘆いていることが、須磨に流される原因となったのでしょうか)

朧月夜の姫君もその手紙を見て涙に暮れました。

 涙川うかぶみなわも消えぬべし
      流れて後の瀬をも待たずて
(涙川に浮かぶ水泡が消えてしまうように、私のこの身もあなたと再会する前に果てることでしょう)

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