アルビノの私と、盲学校。
盲学校に、行ったことがありますか。
多分、ある人の方が少ないだろう。
社会の大半は健常者で占められており、マイノリティである障害者、それも視覚障害者の世界に、足を踏み入れたことはなくて当然だ。皮肉ではない。事実である。
それほどまでに健常者は"障害者"と遠い世界を生きている。
これを書いている私も、記憶にあるのは数回の訪問だ。盲学校で授業を受けた経験はない。
それでも、盲学校にお世話になった経験がある。その経験をここに書いていく。
初めて盲学校に足を踏み入れたのは、就学前のこと。母と盲学校の先生が話をする横で、私は点字なるものに触れた。
点字というのは、よくエレベーターなんかで見かけるあのブツブツのことだ。あれを触って読み取るのだ。
点字を打つタイプライターも見せてもらった気がするが、遠い記憶過ぎて曖昧だ。私は数回盲学校にお邪魔したらしいが、点字はまったく習得できていない。何一つ、読めない。
あのとき教えてくれた方にはとても申し訳ない。
結局、私は近所の小学校に通うことになったので、その盲学校とは、それっきりである。
そして、大学生になって間もない頃。進学先の近所の盲学校にお世話になった。
そのときのことははっきり覚えている。盲学校は、私の知っている学校とは違った。廊下に点字ブロックがあること、大人も訪れる場所であること。
単眼鏡(遠くを見るのに使う視覚補助具)を試してみるのが目的だった。結局、スマホで撮影して手元で拡大するやり方に落ち着いたが、盲学校の先生とはたくさん話をした。
アルビノの生徒が在籍していることも教えてもらって、私は会ってみたくなったが、いきなり大学生が同じ疾患だからと押しかけても迷惑だろうと怖じ気づいてしまった。会ってみればよかったなと思う。
以上が、私と盲学校との関わりだ。
盲学校のなかを案内されて感じたのは、あのなかでは視覚障害者は守られている事実だ。それは同時に、盲学校の外の世界がいかに視覚障害者にとって厳しいかも示している。
盲学校が、視覚障害者のオアシスではいけない。いや、社会が、盲学校をオアシスにしてしまう砂漠ではいけない。これを書いていて改めてそう思った。
執筆のための資料代にさせていただきます。