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闘いたいわけではないけど、受け入れることなんてできない私の話。

闘いたくない、か

本屋の一角、”障害と闘う”というジャンルが作られている様子を写真に撮ったツイートを昨夜のタイムラインで見た。ちょっとバズっているツイートだった。

”障害と闘う”というジャンル分けには、障害には勝たねばならない、勝つために障害者は頑張らねばならないといった意味合いを感じるのでそのツイートもわからなくもないが、そのツイートのリプライのいくつかにももやっとした。障害は闘うものではないのはそうかもしれない。けれど、受け入れることはできない。私にはそれはどうしてもできない。

障害を受け入れるって、何だろう。
うまく付き合うとか共存していくって何だろう。
障害がなかった方が全然楽に決まっているじゃないか。

私の心がそう叫ぶから。

見えないことを私は受け入れられない

私はアルビノに生まれ、発達障害の一つ、知的障害を伴わないASDと診断され、視覚障害手帳は出なくて、精神障害保健福祉手帳は出るという具合の、障害者の一人である。自分が障害者であることに、嫌悪感や抵抗のようなものはある。

小さな頃から、目が見えたらできたことに意識がいく方だった。人生のある時期から傍に私より目が見えて、日焼けも平気な”普通”の子どもが近くにいたことが、その原因の一つだったと言えるだろう。

私が日焼け止めを塗っている間に始まる外遊び、私に見えないものが見えている彼ら。何度、一人っ子のままだった方がいいと思ったかしれない。数えるだけ無駄だ。数えきれないくらい、そう思ったのだから。

見えないからできないことは、そのまま体育の成績となって、私に降りかかってきた。努力ではどうしようもない話である。そうわかっていたから、運動に関しては本当に大した努力はしていない。自分でわかるのだ。見えないからできないのだ、と。

見えればそれなりにこなせただろう。少なくとも羞明(眩しく感じてしまうこと)で高く上がったボールが見えなくて取れない、避けられないといったことはなかったはずだ。取れなかった可能性は、十分にあるけど。

体育の成績という足枷をされた上で、普通の人達と成績を争わねばならないのは、相当にきつかった。身体障害を持っている人間に体育の成績をつけるのは足枷でしかない、と本気で思っていた。それと同時に、私の目が見えたら、体育の成績という足枷が消えるからもっと成績が伸びるのだという確信もあった。

ことの真相はわからない。私が見える側であったことなど一度もないのだから

見た目には抵抗がない

アルビノの眼症状については、見えればいいのにと何度願ったかしれない割に、アルビノの見た目については、抵抗感というものが私にはない。アルビノを見た目問題と言われて初めて、”そういう捉え方があるのか”と思ったほどだ。

鏡を見れば毎日出会う、ミルクティーブラウンの髪に、グリーン系の瞳をした自分。眼鏡をかけていない顔に違和感を覚えるほどに眼鏡が生活の一部になってしまったけれど、それでもこの顔は嫌いじゃない。親に似ているという点では嫌いだが、その色は嫌いじゃない。

何度、”ガイジン”と言われたかわからないけれど、そんなことを言ってくるやつらより、私には私に優しい祖父母の言葉があったから。”かわいい”って言ってくれる祖父母のおかげだと思う。

だから、その意味で言うなら、見た目については受け入れているのかもしれない。変わりたいとか変えたいとか思わないし。これはこのままでいい

発達障害については今でも抵抗がある

2018年5月に発達障害の一つ、知的障害を伴わないASDと診断された。抑うつ状態に続き、二度目の衝撃が私を襲った。抑うつ状態よりも大きな衝撃だった。だって、発達障害は、治るものではない。

検査から診断までの間も、自身の中にある発達障害への偏見や差別に苦しめられ、でも何もなければこの症状は甘えということになってしまうと恐怖した。発達障害とは”できない人”であるという偏見が、どこかにあったのは否定できない。私はその人達と一緒にされたくなかった。私は”できる人”でありたかった。

抑うつ状態はいずれ治る、薬もあると希望を持つことができたけれど、ASDに関しては、治らない。コミュニケーションに難があって、疲れやすいままである。今のところは、そういうことになっている。

私は精神障害保健福祉手帳というものを持っていて、これを持っていると税金の控除が受けられたり、公共交通機関で割引されたりする。JRは精神障害保健福祉手帳での割引を実施していないので、そこは少し悲しいしいずれ割引してほしいけれど、それは置いておくことにする。

私の精神障害保健福祉手帳は発達障害に由来するものであると主治医に聞かされた。何だかそれがもやっとした。これが視覚障害者手帳であったなら、私はもやっとしなかっただろう。

どうしてか、ASDなのは私のせいみたいに感じてしまうのだ。そんなことはない。そんなことはないのに。

視覚障害が遺伝疾患のアルビノのせいであるように、発達障害は私の脳の特性だ。それも、遺伝からくるものである。私のせいじゃない

それでも、手帳を出す時、発達障害とは言わないけれど、どこか抵抗があるのだ。割引で懐がどれほど助かるかを知っているので、抵抗があっても手帳は出すべき時には出していくのだけど。

治りたい、と願う

特にアルビノの眼症状については、治りたい、いつか治せたらと思っている。iPS細胞などの研究が加速して、視覚障害ってものが消えるとか減るとかする世界が来たらいいと本気で思っている。

だって目が見えたら、私は運転免許だって取れるし、あれもできるし、これもできる。見えない苦労から解放されるのだ。それは想像するだけで素晴らしい世界だ。見えたからって、私の抱える問題の全てが解決する訳じゃないけど、ほとんどは解決すると思っている。

発達障害については、わからない。発達障害の特性の一つとして疲れやすさがあるのだが、これは治ってほしい。不便だからだ。体が気持ちに追いつかない状況がいくらでもある。それは、本当に辛い。

闘うのは何か違う、でも受け入れることはできない。私にとって障害とはそういうものだ。

執筆のための資料代にさせていただきます。