ありのままの歴史を残すには

平成になってから、「歴史修正主義」という言葉をしばしば目にするようになりました。

「歴史修正主義」とは

「歴史修正主義とはある歴史的事象について定着している評価を一面的とし,その見直しを要求する理論的態度」

「歴史修正主義とは、世間で一般的に認識されている「歴史的事件」に関して、自身に都合よく創造したり、改竄をかけようとする思想のことである。転じて、整形することである」

ということらしいですが、日本における歴史修正主義は概ね後者の意味で使われることが多いです。私もここでは後者の意味で使用します。

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私が生まれたのは戦後25年ほど経った頃です。
現在から自分の25年前を振り返ると、わりと最近という感じです。街の風景はそれほど変わりません。そういえば携帯電話やインターネットがまだ一般的ではなかったなーという程度。その頃の延長として今がある感じです。

だから、私が生まれた頃はまだ戦争の記憶を最近の事として捉えてる人がきっと沢山いたんだろうと思います。

戦争の歴史を書き換えようにも本当のことを知っている人が多すぎて無理だっであろう時代でした。

でも子どもの頃の私にとって、戦争は遠い過去の出来事で、歴史の教科書の最後の方に記載されている事柄にすぎませんでした。

そんな私達の世代が大人になった頃、だんだんと戦争を知る世代が減ってゆき、それに伴い歴史を少しずつ改変していく動きがあからさまになってきたのでした。歴史修正主義者と呼ばれる人が登場しました。
その中心は戦争を知る世代ではなく、戦後に生まれた私達の世代でした。

覚えている世代がいなくなった時に、事実は歴史に変わり、歴史になったとたん「諸説」がでてくるのかもしれません。
何だか怖いな、と思いました。

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歴史は時の権力者によって都合のいいものに書き換えられるものだ。

歴史の研究者でもそのように語ることがあります。

そのことを多くの人が知りながら、今現在起こっていることが、未来に誰かにとって都合のいい史実に書き換えられにくくするにはどうしたら良いか、という議論はあまり聞きません。


既に歴史的な資料になっているものは大切にされるのに、今現在の資料の保全に関しては、経済や人の心情が優先事項であり、歴史の観点からはあまり語られないような気がします。

まだ歴史になってないから、ということなんでしょうが、今現在が歴史として定着する前に、誰かにとって都合のいい資料だけが取捨選択されていくように思えてなりません。

為政者の視点だけでなく、多角的な視点での記録を残しておけば、後世に検証できるのに、それが起こらないようにしているような。

この国では公文書が改ざんされても、政府は責任を取らなくなりました。

統計も結果ありきでサンプルが意図的に抽出されるようになりました。

後世に残るのがデタラメな公的資料だけでいいのだろうか、と不安になるレベルです。

まさか、とは思うんですが、例えば100年後くらいには「原発事故はなかった」とか言い出す人がでてきてもおかしくないような気します。

論文だって純粋な研究の賜物と思いきや、スポンサーの意向を反映したものだったりするのです。

インターネットによって、情報は世界のどこにあっても均一化される傾向にあるので、海外に隠すこともできません。

超レアな言語で記録するとか。
石に掘った記録を地中に埋めるとか。

そこにもフェイクは入り込むのでしょうし、やっぱり無駄な抵抗なのでしょうか。

結局は口伝えの物語が時を超えて伝説のように存在するだけなのかもしれません。

現在の歴史を後世に伝えるために今を生きる人に何ができるのか、良い知恵をお持ちの方にその辺のお話を聞いてみたいです。

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