保育「参加」したら、人生が変わる話。
はじめに
こんにちは、30歳にして習慣の重要さに気づき【読書】【インプット】【アウトプット】【早起き早寝】を習慣とし、【note】や【ブログ】を通じて書く楽しさに目覚めた『由紀』です。
先日、保育「参加」してきました!
保育参観ではないですよ?
この記事では、保育「参加」で得られたことについてお伝えします。
具体的には、「比較」について書きます。
皆さんは、誰かと比較してしまうことはありませんか?
性別、身長、住まい、仕事、学業、お金
正直なところ、比較するのは仕方ありません。
ただ、他人との比較で消耗するのであれば、意味はない、ということです。
では、さっそく保育「参加」で感じたことをお伝えします。
保育「参加」してきた
参加時間は9時~12時の3時間。
内容は、
朝の会
発表会の練習
創作活動
外遊び
給食
でした。
朝の会では、園児と一緒に身体を動かして運動しました。
発表会の練習は、大きなカブの演劇練習を観ました。
創作活動では、園児の名前を一人一人呼びながら、創作に必要な素材を手渡ししました。
外遊びでは、ボールを蹴って遊んだり、追いかけっこをしたりしました。
給食は、園児が食べているものを同じようにいただきました。
もともと、子どもと接する仕事をしてみたいという願望もあったので、良い機会でした。
そのため、登園までは異常に緊張してましたね。
子どもたちは、想像以上にフレンドリーに接してきてくれたので、楽しかったです。
もちろん、息子が保育園でどのように過ごしているのか見れたのは、大きな収穫ですね。
家で一緒に過ごしているだけでは、見ることのできない姿を見れました。
園児は15人、みんな違うなと感じました。
園児全員が全員違う
15人の園児は全員が全員違いました。
ここだけだと比較になりますよね?
ただ、その先には比較することに意味のないことが分かります。
まず、朝の会が始まる前の段階でも違いがありました。
私に対して
・声をかけてくる園児
・近寄ってくるけど話しかけはしない園児
・全く興味がない園児
・興味はあるけど近寄ってこない園児
創作活動中は
・線通りにしっかりハサミで切れる園児
・△の真ん中にバシッと切り込みを入れて満足げに「できた!」という園児
・もくもくと集中する園児
・全く手を付けない園児
外遊び中は
・仲良しの女の子は2人で2人の世界に入り込んでいる
・乗り物にのる園児
・ボールを使う園児
・庭の隅っこが好きな園児
もうとにかく、全員が全員違うのです。
たった3時間でしたが、分かったことはあります。
我々大人が見ると「比較」になりますが、
当時者である園児は、「比較」していないのです。
みんなちがってみんないい
この言葉は覚えています。
園児たちは、自分のできることをやっているだけで、誰がどうとか考えていませんでした。
小学校に入り、テストやかけっこなどで、優劣がつくころには「比較」が始まります。
そして、社会人になってもまだ「比較」は続きます。
でもそれは、当事者が「比較」をしなければ「比較」にはならないのです。
比較して苦しむのであれば、比較を手放しましょう。
おわりに
みなさんは、幸せについて考えたことはありますか?
「比較」すると幸せは見えてきません。
「比較」を手放して、幸せについて考えてみてはどうでしょうか?
そうすると、「比較」がなくなります。
最後に、私がベースとして持っている考えをお伝えして、終わろうと思います。
「生まれた瞬間から死に向かって歩んでいる、それが早いか遅いかだ」
明日死ぬかもしれない人生、「比較」なんかしてる場合じゃないですよね?
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