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『コンビニ人間』を読んで多様性について考えた

2016年に芥川賞を受賞した、村田沙耶香著「コンビニ人間」。
この本を読んで、多様性とは何なのか、について考えた。

以下、簡単なあらすじ。

主人公は人と違うところがあり、他人の感情や世間の常識が理解できない等、アスペルガー的な気質を持った30代の未婚女性。
それでも周囲の人たちを上手く模倣して、感情表現をコントロールしながら、コンビニでアルバイトを長年続けている。

主人公は変わった人として描かれているけれど、彼女から見た世界はバイアスのない、ありのままの人間たちの姿だ。

周囲の人たちは、年齢、性別、仕事、恋愛、結婚……「こうあるべき」といった世間の基準に基づいた価値観で、主人公を心配したり、面白がったりする。

独特の感性から、そこに含まれる見下しや嘲りといった感情にまで気づかない。
だが、自分が「廃除」されないように、表面上の同調表現や言い訳を模索しながら、異端として扱われないように逃れていく。


「価値観の押し付け」から逃げる主人公

読んでいて、なかなかに胸が痛くなる作品だった。
というのも、この主人公へ向けられた周囲の視線は、自分もときどき感じるものだからだ。

令和の時代、多様性が尊重されているらしい時代。
当たり前だが、社会に出ると色んな時代を生きてきた人がいるし、人の数だけあらゆる環境が存在する。
ベースとなる価値観は徐々に変化しつつあるけれど、世代がまるまる入れ替わらない限り、そう簡単に変わるものじゃない。

ある日突然、職場のおじさんから言われた忘れられない言葉がある。
「なんで結婚しないの?」
「(職場に)旦那探しに来てるんでしょ?」
ケンカ吹っ掛けてますか? と思ったけど、このおじさんは悪気無く、価値観の押し付けだとも思わず、世間話感覚で話したのだと思う。せいぜいハラスメントで訴えられないようにしろよ。

ただ、そんな価値観をある意味受け入れてもいて、文句のひとつも言い返せない自分もいる。

だからこそ、主人公が自身をコンビニのために生きる人間だと受け入れて、そこに戻っていく決断をしたことが、少し羨ましかったりもした。

ある意味皆、何かに依存している

最近エーリッヒ・フロムという心理学者の本を複数読んだため、「孤独」と「依存」について考えることが増えた。

『コンビニ人間』に関しても、すべての登場人物が何かに依存している。

コンビニの店員たちや、主人公や居候男の家族たちも、孤独になることが怖いから、「普通の」価値観の中で生きることが当然だと思っているし、それが依存だとは気づいていない。

主人公自身も、コンビニのために生きることを、社会で生きていく手段としている。

本の外の世界の私たちも、同じように、無意識に何かの価値観に依存して、それを内面化してる。
まずはそのことに気づくことが、「多様性」を受け入れ、実現することなんじゃないか。

全ての人間は代替可能、だからこそ自分の価値観で生きたい

18年間、辞めていく人を何人か見ていたが、あっという間にその隙間は埋まってしまう。自分がいなくなった場所もあっという間に補完され、コンビニは明日からも同じように回転していくんだろうなと思う。

村田沙耶香著 コンビニ人間 142P

なんだかんだ言いながら、私たちは代替可能な社会の中で生きている。
仕事や生活もそうだし、家族や大切な人たちを除けば、人間関係だって代替可能だ。
主人公はそれでも(それだからこそ、かもしれない)、コンビニ人間として生きていくことを選んだ。
それは自分にとっていちばん生き生きとしていられる場所だから。

人の数だけ価値観があって、皆色んな理由でそれを選択してる。
「普通の人生」なんて何一つない。
今この瞬間、目の前の人に興味を持つことができれば、価値観の違いを受け入れ合うことができるんじゃないか。

そう感じた読書体験でした。

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