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やっぱり医者なんだなと気づいた話。

「この本を読んで、ほっちのロッヂみたいと思ったんです」
先日お看取りをした方のご家庭に挨拶に伺ったとき、ご家族にそう言って手渡された本には、海が描かれた表紙に「ライオンのおやつ」と書かれていた。

最近は小説を読むことがめっきりと減った。
帰宅部だった中学生と高校生のとき、僕は本の虫で、年に100冊近くの小説を貪るように読んでは、生意気に大学ノートにレビューを書いていた。
電車通学だった当時、2日間の往復で読み終わる、200ページ以内の短めの小説をよく好んで読んでいたことを思い出す。
短めの小説は新人の作品のことが多くて、いろんな作家の初期の作品を読むことが多かった。

やがて医者になったとき、医学知識も技術もない半人前の見習いが医学以外のことを学ぶことも大それたことに思えて、早く一人前になるためにとひたすらに医学書を読んでいた。
腰を据えて読みたい本を読めるようになったのは、ごく最近のことだ。

この「ライオンのおやつ」、どうやら有名で、ドラマになったりととても人気もあるらしい。
久しぶりに、小説を読んだ。
「ほっちのロッヂ」みたいという言葉の意味を知りたくて。
ふんふん、と思い、最後の方は少し涙ぐんだりしながら読み終えた。
不思議な読後感だった。

がん末期の主人公が島のホスピスに行き、自分らしい残りの人生を過ごす話。
こんなふうに過ごす手伝いが自分にできていたなら、それはとても嬉しいことだと素直に思った。

医者のいない終末期

しかしこの小説、医者が出てこない。
ホスピスを作った看護師資格をもつ人物はとても重要なポジションとして描かれているけど、医者は本当に陰すら見えないような、目を凝らしても気づかないような存在だ。なんとも不思議な気持ちになる。

痛みをとってくれるモルヒネワインも、「魔法のお弁当箱(PCAポンプのこと)」も、ふと登場して、当たり前のように使われる。

医者としてはワインに入れるモルヒネの配合も、お弁当箱の中身も、そのタイミングも、あれこれ思索して作り上げるもので、その過程で伝える言葉やその表情も、緩和ケアのアートのひとつだと思っているけど。

物語には、島のワイン畑が何度も出てくる。
口にするワインが島で生み出される過程が描かれるけど、お弁当箱が作られる過程は知られないままだ。

医者の存在は、そんなものなのかもしれない。
主人公の痛みを受け止めたり、一緒に歩くことを、医者もしたいのにと思いながら、多くの人にとって、終末期の医者の存在は、黒子のようなものなのだろうかと、ふと考えてしまう。

黒子だったとしてもいいけど、この物語の人々に、一緒にうんうん悩んで、一緒に喜んで、人知れず泣いたりしている、そんな医者がいるよと教えてあげたい。

自分はやっぱり医者なんだなと改めて感じて、一瞬少し諦めのような気持ちになったけど、たくさんの人生の物語の一部に関わることができて、それがハッピーならそれでもいい。

この仕事に誇りを持って続けていきたいと思う。

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