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音は口程にものをいう


昔はあまり意識しなかったけど、お店で発せられる音のひとつひとつに意味がある。
カトラリーの擦れる音、カップを置く音、鞄を開ける音、置く音。
お客さんはもちろん、お店側もそうなんだけど「出た音」のひとつひとつには意味がないといけない。
ドアが強く閉められた音、洗い物をシンクに「ガシャン!」と置く音。
それらは意味があるのか、というとそんなことはない。ドアは弱く閉めればいいし食器は優しく置けばいい。

(小学生の頃友達に「お前歩く音うるさいぞ」と言われたんだけど当時は足を上げずに擦って歩く癖があったので「あぁそっか」とそこから治すようにしました。当時は指摘されてちょっとイラッとしたのでプレイステーションの鉄拳2でボコボコにしてやった)


意味があるならそれは必要だけど、意味がなければ必要ではない。
人生においては無駄なことも輝くが業務上そんなことは全くないのです。そういうのを意識するようになってから必要以上の音、必要以上の明かり、必要以上の会話、など、そういうものを排するようになった。今でも全て出来るわけじゃないから常に心掛けている。
活気があっていいよね、って言われてもそれが騒音でしかない場合は下手な学生のセッションのように流れ続けるだけで誰も聞いてはくれない。小学生が踏み鳴らす(擦り鳴らす)靴の音のように不快なものだ
みんなが列を離れていくだろう。
そう考えると「みんなが喜ぶ意味のあるもの」を増やせばいい。列を成してでも聴きたいものは「意味を持つもの」だ。

音は口程にものをいう。

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花言葉、というように花も口程にものをいう。クチナシと名付けられた花があるんだけど花言葉は「私は幸せ」だそうです

幸せなことって言葉を発さなくても感じるだけでいいのだ。


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