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心の奥底から欲している矛盾への答え

自分が読みたいと思うのはなんだろう。
人の心の動きが知りたい、素直でまっすぐな心の声を読みたい。
そう思う。生きることに悩む姿そのものが美しく見える。

今死のうと考えている人、死のうとしている人、その瀬戸際に居る人。
その瞬間の思いを込めて書かれた記事とか日記を読むと心が震える。
そして生きることってなんだろうと深く自分の中に潜り込む。
いつまでも息が続かないので息継ぎするけど、もう同じ深さまで潜れない。
だから私は奥底まで潜らせてくれる機会に飢えているのだと思う。

叔母が乳がんになり死ぬまでの日記を読んだ。
医師から余命が宣告されており長く生きれないことは十分理解していたし、
何より自分の体のことだから、先が短いことは自分自身が良くわかっていたと思う。 お葬式で叔母の日記が公開されており、亡くなる間際の日付の日記に目が奪われた。
それを読んだ私は、心が握りつぶされたかのように胸が苦しくなった。
「こんな私に幸せになるだけの時間をくれてありがとう」と書いてあった。
そして、神様は優しくて幸せになるだけの時間を私に与えてくれた。
生きていて幸せだったとそこには書いてあった。そして最後にもう少し時間があったらよかったとも書いてあったと思う。

なんだろう。死ぬ間際の人が書く文章には何かしら魔力みたいなものが宿り、すごく惹きつけられる。書いてある言葉が、叔母が実際に話すように私には想像できて、その顔がすごく幸せそうだと思ったかもしれない。

遺書とか読んだり、自死した人が残した文章を見ると心が動かされるという話があるが、話で聞くのと体験するのはここまで違うのかと思った。

私の心が掻き乱されて、人生が幸せだったと納得して死ぬことができることがすごく憎たらしいと思ったし、羨ましいと思った。
人はこんなにも心穏やかに死ぬことができるのかと。

私は死のうとしている人が考えていること、思っていること、感じていることを知りたいと、ものすごく興味がある。
私自身も自殺未遂の過去があり、その時の感情を言葉にしたり、日記を読み返して何が私をその衝動に駆り立てたのか未だに分からない。
その時々の衝動だったといえばそれまでかもしれないけど、その衝動となった元の思いがあるはずだと感じる。
まだ理解できていないのは、私が生きることにすごく執着していて、死にたくないと心から思っていると同時に、死にたいと思っている自己矛盾を消化しきれないのだと思う。

生きたいのに死にたい、楽しいのに死にたい、充実しているのに死にたい
なぜかいつもそばに死にたいという感情が寄り添って生きてきた。

死への憧れとも言えるかもしれない。
自分が狂ってしまえば、死への憧れを捨てることができるかもしれない。
死んでしまえば憧れも何も無く、生きている状態から死んでいる状態になるだけだと納得してしまいたい。
だけど、行動に移すことはできない。

私も「こんな私に幸せになるだけの時間をくれてありがとう」と死ぬ間際に心からそう思って日記に書きたいと思った。
もしその場面になったら、生きたいのに死にたいという矛盾が解消されて心の詰まりが晴れ晴れするするだろうと期待してしまう。
おそらく矛盾を抱えたまま、自分が死ぬという事実を受け入れて眠るようにこの世を去っていくことになるだろうけど。

心の奥底にあるその人の本性とか、人間であれば誰しも悩むこと、普段表には出せない衝動とか、密度が濃くて凝り固まっており決して表には出てこない。だけど、その人の大切な部分を形作っている感情、これに触れてみたいと思うし、自分の中に眠るこういった深い部分を表に引きずりだして言葉にしていきたいと思う。



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