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アニメ「WHITE ALBUM2」全話《恋という葛藤》について



【はじめに】


本稿は、アニメ『WHITE ALBUM2』についてわたしの内側に募った感情、巡った思考を感想や考察を含めひたすらに雑記した文章のかたまりとなります。

※以下、本編の内容にふれる記載があるため、読む際には注意してください。

【WHITE ALBUM2とは】

そもそもWHITE ALBUM2とは、株式会社アクアプラスの18禁PCソフトブランド「Leaf」によって作成された恋愛アドベンチャーゲームです。2010年に発売され、2013年にはアニメ化しました。

タイトルに”2”と付いているから続編で、先に「WHITE ALBUM」から視聴しなければならないのか?と思う方も多いでしょうが、結論から言えばその必要はありません。

歌や世界に繋がりはあるものの、「WHITE ALBUM」と「WHITE ALBUM2」の本筋に関しては別作品と考えてもらえれば大丈夫です。

「WHITE ALBUM」
が芸能界のアイドルとの恋愛なら

「WHITE ALBUM2」
は学園のアイドルとの恋愛です。

とはいえ「WHITE ALBUM2」の脚本を担当している丸戸史明は「WHITE ALBUM」を絶賛されていますし、どちらも視聴しても損は全くないかと思います。

【物語の内容について】

わたしが本稿で書く「WHITE ALBUM2」

あらすじとしては、「軽音学同好会の再起に向けて動く補欠ギター『北原春希』が、二人の同級生、学園のアイドル『小木曽雪菜』と、孤高の隣人天才ピアニスト『冬馬かずさ』と出会い始まる恋愛物語」といったところでしょう。

ここから早速、アニメ「WHITE ALBUM2」
#1~13を順に語っていきたいと思います。

主に『各話《構成の感想》・《キャラ心情への考察》』、『その他(小ネタ・冴えカノ・楽曲紹介)』、『届かない恋』についてです。

未視聴の方にも各話に魅力があると伝えたいため、各話ごとに語る=重要点が後の回に引き継がれる大変読みにくい構成となっています、ご容赦ください。

気になる項目がある方は、目次からお読みいただくとスムーズかもしれません。

各長文になりますが、楽しんでいただければ幸いです。

それでは、始めていきます。

※以下、極力『WHITE ALBUM2=WA2』とする。

※以下、()書きの記載時間はすべてdアニメでの時間表記とする。

【アニメ「WHITE ALBUM2」全話について】

⚪#1『WHITE ALBUM』

【小木曽雪菜との出会い】

物語における出会いの重要性は言うまでもないでしょう。特に恋愛ものであれば、出会わなければ物語が始まらないものが多いです。その中でどう出会わせるか? ここに悩む創作者は多いのではないでしょうか。

わたしは王道と呼ばれるものが嫌いではありません。
登校中に出会うパンをくわえた女子生徒が実は転校生だった。実際にそのような展開から始まる物語を見たことはありませんが、誰にでも伝わりやすい例として存在しているこの出会いと同等の出会いから始まる物語は多くあります。わたしが好きな作品では『ニセコイ』や『多田くんは恋をしない』がそれにあたります。

物語における重要な出会いとは、「その後の関係を築くきっかけとなる出会いのすべて」を指している、とわたしは考えています。

上記の例を参考にすると、登校中の出会い単体を指すのではなく、登校中の出会いも、転校生だと判明した教室での出会いもを、どちらも含めて出会いとしています。

物語における出会いとはなにも初対面を指すのではなく、多重化した出会いのすべてを指している、とも言えます。

前置きが長くなりましたが、これを踏まえてWA2の出会いはどうか。
副題でも述べたように、#1では主人公の北原春希が学園のアイドル小木曽雪菜と出会います。

小木曽雪菜


はじめに、会議室での出会い。ミス北城付属の参加を辞退したい小木曽の話を聞く役割を担ったのが北原でした。ここがいわゆる初顔合わせ。アニメにおいても始めて二人が会話する場面となります。

ふたつめに、屋上での出会い。音楽室の隣人と壁越しのセッションをしていた北原が、聞こえてきた歌声を追いかけ向かった屋上で出会ったのが小木曽雪菜でした。

大きく分ければこのふたつですが、実はほかにも出会いはります。北原が以前から学園のアイドルとして小木曽を認識していたのも、その学園のアイドルが地味なアルバイトをしていた姿を見かけていたのも、屋上に向かう前聞こえてきた歌声単体も、どれも出会いと言えるでしょう。

この出会いのなかで、本人たちにとって重要なのは屋上での出会いです。

後に北原が、小木曽との出会いについて刻名に思い起こしたのが#1での屋上の光景でした。北原がこれを出会いのひとつとして強く認識していることは明らかです(#13 11:50~)。

ただ、小木曽との重要な出会いがいったいどの部分を指してるのかといえば、わたしはやはりそれまでの過程を含めたすべてを指すのだと考えます。

それはアニメWA2の構成上、「出会いの多重化による発覚」が重要だからです。

小木曽で言えば、「ようやく出会えた歌声の主は、すでに出会っていた学園のアイドルだった」ということになります。

なぜわたしがこれほど出会いという言葉を繰り返し強調したがるのか。

それはWA2が

『君に出会わなければ良かった』
『君に出会わないなんて嫌だ』

を幾度となく繰り返す物語だからです。
これは通常ED【さよならのこと】の歌詞にもあります。

どういう意味で出会わなければ良かったのか、また嫌なのか。この辺りは終盤まで続く話になりますが、順に追っていこうと思います。

ともかく、小木曽雪菜との出会いを印象づけた#1。

しかし忘れてはいけない存在がもう一人います。
それは冬馬かずさというキャラクター。

#1で冬馬かずさは顔こそ映りませんが、ずっと出続けています。(#1 ①2:50~ ②10:20~ ③11:20~ ④18:51~ ⑤19:10~ ⑥22:14~)

顔を映さない演出は意図的になされています。
#1を小木曽雪菜
#2を冬馬かずさの登場回だと認識させるためでしょう。
それでいて、実は#1から冬馬の物語も始まっていると暗に示すため、あえて小木曽を際立たせています。

さっきから当たり前のように名前を出していますが、そもそも冬馬かずさってどういう人か、ということを踏まえ次にいきます。

⚪#2『隣り合わせのピアノとギター』

#2で語るのは
『教室・音楽室の隣人』であり、それは『冬馬かずさと知る』に尽きます。

【冬馬かずさと知る】

終盤、#1から繰り返し登場していた教室・音楽室の隣人が冬馬かずさであったと判明しますが、この場面に至るまでの過程をまとめてみましょう。

冬馬かずさ

教室での隣人→北原の左隣、窓側に座る女子生徒。いつも机に伏せて寝ている。正体発覚前はなぜか北原を無視していた。

音楽室の隣人→北原が練習している第一音楽室の隣でピアノを弾く別名第二音楽室のエリート君。北原のつたないギターに合わせてくれていた人物。

この両方が冬馬かずさという同一人物であると知る背景には、小木曽が軽音同好会に参加することになったという事実があります。屋上で北原のギター、冬馬のピアノを聞いた小木曽は、当然、二人とも同好会にいると思っていました。彼女に残ってもらおうと、北原は音楽室の隣人を同好会に率いれることを思い付きます。そうして、隣人は冬馬かずさと発覚するのです。

この背景にはさらに解散寸前だった軽音同好会へ小木曽雪菜を率いれたという事実があります。最終的な参加の判断は小木曽自身がしましたが、きっかけは#1の終盤、屋上で小木曽の歌声を耳にした北原が彼女を誘ったからです。

この過程をまとめると、軽音同好会の解散を受け入れた北原は小木曽の歌声を聞いて彼女に同好会への参加を求める。最終的には参加することになった小木曽を引き留めるため、北原は音楽室の隣人を勧誘しようと動き、それが教室での隣人である冬馬かずさと発覚。このような流れになります。

これは即ち、北原が隣人を冬馬かずさと知る背景には、小木曽雪菜が必要不可欠、ということに繋がります。

また、「出会いの多重化による発覚」としては
「ずっと練習相手だった音楽室の隣人は、以前から出会っていた教室の隣人だった」となります。

⚪#3『軽音楽同好会、再結成』

【一対一の会話と、もう一人】

これには三種類あります。

①北原と小木曽

 冬馬の勧誘に失敗した帰り道、北原は小木曽に、冬馬かずさが同好会のメンバーではないと話します。それに対して小木曽は、北原の発言のに引っ掛かりを覚えます。

なぜ引っ掛かりを覚えたのか?

②冬馬と小木曽

三話目にしてようやく出会ったヒロイン同士の会話場面。ここの会話、会話ですが、視聴しているとなんとも奇妙な感覚に陥ります。その原因は、冬馬が感情をはぐらかしていること、それなのに表情には感情が透けて見えること、そして小木曽はそれらすべてに気づいているからです。

「じゃあ、どうしてお隣のギターに合わせてあげたの? 楽しかったからじゃないの?」
「ただの暇潰しだ」
「でも、あなたのその暇潰しのせいで彼はその気になっちゃたんだよ? その公開なんとかにでようって」
「あいつがその気になったのは小木曽が入ったからだ」
「それは順序が逆だよ」
「逆じゃない。確かにそれまでもバンドは立て直そうとしてたけど、本気で動き出したのは、小木曽の歌を聞いてから」
「…詳しいね」
(WHITE ALBUM2 #3「軽音楽同好会、再結成」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

冬馬からすればこれは当然のこと。何故なら北原が小木曽の歌声を聞いた瞬間走りだし屋上へ駆けていった時、冬馬は隣の第二音楽室にいたからです。

しかし小木曽にとっては①の時点で北原が口にした「ギターの師匠」という事実が引っ掛かっています。
「ギターを教えた北原くんの練習に隣の音楽室からもこっそり付き合ってあげてたんだよね? あなたどうしてそこまでするの?」
そういった小木曽の感情を踏まえた上でこの場面を改めて視聴してみると、小木曽が冬馬を試すような話し方をしているのが分かります。

また、小木曽は冬馬の言葉よりもその表情に注目しているのがうかがえます。特にガラス窓に映った冬馬の表情がほんの少し変化した微妙な間に気づいた小木曽が顔をあげる場面(#3、9:25~)がめちゃくちゃ好きだったりします。

この会話は意図的に小木曽の言葉がひとつ隠されたまま終わります。この隠された言葉については【#7】で。

③冬馬と北原

ふたりは小木曽の家に招待されます。それは小木曽が冬馬に同好会への参加を要求する話し合いの場を設けるためでした。

「らしくないね、超現実的主義者の北原の言葉とは思えない」
「俺ってそんな渇いた人間かな」
「事前準備、リスク回避、安定思考、それがお前のアイデンティティ」
(WHITE ALBUM2 #3「軽音楽同好会、再結成」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

ここでは冬馬が北原評を語ります。
重要なのは、北原が語る冬馬評の一部にあった「無関心」に小木曽がすねながら疑問を持つことです。

「北原→←冬馬」は互いに分かっているような口ぶりで分かっていない。しかもその分かっていない部分というのが、お互いが関わると変わる例外な場合ばかり。

例えば前述した北原が思う「なにごとにも無関心な冬馬」これは北原の評価をつらつらとする冬馬の言葉から、北原に対してはあてはまっていないでしょう。
そして冬馬の思う北原の「リスク回避・安定思考」に関しては、そもそもこの会話で冬馬が「らしくない」と語っているように、小木曽が参加してからもう学園祭まで期限もないのに同好会へ躍起になっていることからも間違っていると推測されます。

さきほど重要なのは小木曽がすねながら疑問を持つことだと書きましたが、それはどういうことか。

ここまでこの#3では【一対一の会話と、もう一人】について思考を巡らせました。しかし【もう一人】については書いていません。このもう一人とは、その場にいない、もしくはいても会話にいない人物を指しています。

①なら、北原と小木曽の会話と、その場にいない冬馬
『しかし、会話内容は冬馬かずさについて』

②なら、冬馬と小木曽の会話と、その場にいない北原
『しかし、会話内容は主に北原春希について』

③なら、冬馬と北原の会話と、その場には居る小木曽
『しかし、会話内容は軽音同好会への勧誘のようで、北原と冬馬の痴話喧嘩。小木曽は入る余地がない』

どうして小木曽は”すねた”のかといえば、それは小木曽が唯一両者間(北原→←冬馬)の評価を耳にし、痴話喧嘩にも似た言い争いを前にして、疎外感を覚えているからだと推測します。

入る余地がないというのは、二人の会話を中断したのが小木曽雪菜自身ではなく、小木曽の母親と弟が盗み聞きをしていたという出来事をきっかけにしていることからも推測できるかもしれません。それでいて会話を中断させたことを謝るのが小木曽雪菜という苦しみのあるキャラの良さだなと。あのまま会話を続けていたら冬馬がなにを言っていたか、想像に固くはないです。ただ相手が北原なのでそれはそれで丸く収まるとは思えないですが…。

#3の一話だけでこの①②③の対比が出来るのは、恐らくそういった小木曽の感情を演出するための構成が意識されていたからではないかと、わたしは考えます。

ちなみにこの#3では、三人の家族との距離感というものも暗に示されています。
小木曽はいうまでもありませんが、母親が外国にいて干渉に冷笑する冬馬、北原は帰宅時にコンビニ弁当を買い母とはホワイトボードでメモ書きのような会話をし、ゴミ箱にもコンビニ弁当のプラスチック容器が捨てられています。正直なところコンビニ弁当は食べるだろうと思わないこともないですが、創作表現であえてその描写をする以上家庭環境に対する示唆が含まれていると考えるのが自然な気もします。
これを自然と捉えるのに嫌悪感がありますが、それはまた何かの機会に…。

この話の最後は北原と冬馬の帰り道ですが、ここである場面と対比が成されています。

それは②で語った小木曽と冬馬の会話の場面
隠された小木曽の台詞が発せられたあと、黙ったままの冬馬に、電車が駅で停車し踏み切りの信号が青から赤く表示される映像がはいります。(#3 10:06~)

対して終盤での帰り道、冬馬かずさの言葉に頬を染めた北原の横を電車が勢いよく通りすぎます。(#3 21:47~)

これらは電車の通過をとおして本心を留めているか感情が表面化しているか、を表しているのではないでしょうか。

このときだけ冬馬が後ろを振り向いたことで、ふたりは向かいあう形にあります。その状況で電車は冬馬の後ろから正面を向いた北原の横を通ります。冬馬からの言葉に頬を染めた北原の本心が電車の明かりを伴って表面化しているのかもしれません。

⚪#4『SOUND OF DESTINY』

【冬馬かずさの本心 Ⅰ】

『冬馬かずさの本心』についてはいうまでもなく後にも語ります。
なのでこの章ではⅠとし、#4で本心が透けて見える箇所を列挙しておきましょう。

①飯塚武也が裏方になる。

この理由は作中において「小木曽のため」と冬馬は語ります。小木曽は北原のギターと冬馬のピアノで歌うことに喜びを覚えており、直前の#3では三人で歌いたいかの確認を冬馬が小木曽にしています。

②自宅で北原にギターの個人練習を行う

保証のない「やるよ」を連発する北原を見兼ねて始まったこの個人練習は、連日夜通し行われます。

①②はそれぞれ小木曽と北原のためと言い換えられますが、②の事実を冬馬は小木曽に言いませんでした。わざわざ伝えなかっただけか、それとも意図的に隠していたのか。もしも後者であるなら、②においても、そして①においても意味が変わってきます。じゃあ、一体誰のための行動だったのか。
→#6【冬馬かずさの本心Ⅱ①】へ引き継ぎます。

【目線での語り】

壮大なテーマのようになっていますが、これはWA2のアニメにおけるひとつの特徴と言えます。

こと#4においてはそれが顕著に表れており、特に重要なのは”飯塚武也”の目線です。

そもそも飯塚武也とは、軽音同好会の残り一人のメンバーであり、北原の自称親友でもあるキャラで、何気に#1からずっと出ています。

飯塚武也

そんな飯塚武也の#4における重要な目線は以下の通りです。

・北原が冬馬を語る場面(#4 17:23~)
・冬馬と北原を、小木曽が見つめる場面(#4 19:34~)

飯塚武也という人間は、あえてここで言及するような真似はしませんでした。しかし、なにかを感じ取った描写であることは言うまでもありません。それがなにかはおそらく視聴者にもこの段階で既に伝わっているのではないでしょうか。

飯塚武也の目線は、視聴者の感情の代弁者とも言えるでしょう。

目線での語りは#4に止まらず、以降も続いていきます。

水島:【先程も会話シーンの話が出ましたが、そのセリフを言っている人間がずっとオンでしゃべっているということが、実は少ないんですね。それこそセリフの入り口が風景バックだったり、別の人物だったりというところでの会話だったりするのが特徴的だなと感じていまして、(後略)】
(TVアニメ「WHITE ALBUM2」公式サイト / スペシャルインタビュー第1弾より引用 / https://whitealbum2.jp/special/index.html /AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

話し手ではなく風景が背景にあるのは何故でしょうか。頻繁に見かける手法ですが、意味合いや効果は多くあります。そもそも話が真実ではなく疎かにしたいとき、時間の流れを話で強調したいとき、話し手の表情を隠したいとき。門外漢であるわたしが思い付くのはほんの一部の例でしょう。
これが話し手ではなく別の人物が映っていれば、話し手の感情を隠しつつ、別の人物の本心は滲ませることができるなど、さらに効果は増えていきます。

WA2では後者の意図で用いられていることが多いです。

前述した
・北原が冬馬を語る場面(#4 17:23~)
・冬馬と北原を、小木曽が見つめる場面(#4 19:34~)
もこの例に含まれます。
言葉を用いている時間の言外に含みをもたせることで、作品の幅が広がるのだなと、わたしは思いました。

終盤では武也が冬馬に『青いノート』を渡します。この本については、内容が明かされる【#6】に引き継ぎます。

ひとつ言えるのは、これがWA2における最重要物だということです。

引き継ぎが多くなってきて何が何やらといった感じではありますが、次話から徐々に回収が始まっていきますのでご辛抱ください。

⚪#5『触れあう心』

【過去のトラウマ】

帰り道で小木曽が北原を貶し、見送りを断る。

これは端的に言えば小木曽がまた”すねている”だけなのですが、どうして冬馬の家で北原が練習していたと知って小木曽がすねるのか。そこには小木曽の過去が関係しています。

「私はね、仲間はずれが一番怖い。すれ違いが、一番辛いの」
(WHITE ALBUM2 #5「触れあう心」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

小木曽は中学三年生のときに、友人が突然口を利いてくれなくなったという経験をしていました。きっかけは、当時仲良くしていたグループのリーダーが小木曽に告白したこと。

この経験からトラウマをもった小木曽。だから冬馬の家で北原が個人練習をしていたことは、その事実よりも、その事実を暗に隠して教えてくれなかったことが嫌だったのです。

わたしは初めふんわり視聴していたとき、そうは言いつつもまあ小木曽は北原が好きっぽいし嫉妬だったんじゃないか?とずっと思っていました。ですが改めて考えると、小木曽は常に自分と北原と冬馬の三人でいることを望んでいます。なのでおそらくこの段階では、秘密にされていたという事実が単に嫌だったと考える方が自然かと思います。

すねた小木曽と北原の帰り道。ふたりは”歩道橋”を渡ります。この場面は印象的で、もしかしたら#3や後述の#10の冬馬の場面と対比して作られているのかもしれません。

WHITE ALBUM2 5話「触れあう心」より引用/(C)PROJECT W.A.2

この時は小木曽が赤色になります。#3で書いた赤信号は本心を留めている色合いだ、との仮定が正しいとすると、色味の線引きはあえての演出かもしれません。

また、電車が真横を通りすぎた#3と比べると、歩道橋は真下を車が通過していきます。北原や冬馬の帰路と同じ方向へ走る電車に、北原と小木曽の帰路とは別の方向へ走り抜けていく車。高さも違います。電車はほぼ同目線なのに対し、車は歩道橋を上がった分見下ろす形になります。

これらは総じて、北原と二人の関係を表しているのではないでしょうか。

電車の進行方向は冬馬から北原への気持ち(冬馬→北原)を、車の進行方向は二人(北原→←冬馬)の間にひかれた関係という線を貫く小木曽の三人でいたいという気持ち(↓小木曽)を、目線の高さは北原の等身大の感情、言わば本心の立ち位置を表しているとわたしは考えます。

わたしにとって小木曽は、まどろっこしい言い回しで伝える気のない感情を僅かに滲ませた言葉を扱うことに定評のあるキャラクターです。何も言わないよりも良くできた悪いキャラに感じたりもしますが、だからこそ放っておけない北原春希というもう一人のキャラクターと相性が最高であり、最悪です。

「俺は絶対に小木曽から離れていったりしないから」
(WHITE ALBUM2 #5「触れあう心」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

北原の評価というのはここまでにもいくつか紹介しましたが、この言葉を聞いてどう思うでしょうか。わたしはかなり引いてしまった訳ですが、しかし同時に直前までの電話の内容(過去のトラウマ)を聞いていたら、その場で瞬間の優しさを見せることに違和はないようにも思います。後先考えないといってしまえばそれまでですが、後先よりも寸前の癒しを優先させてあげたくなる気持ちをわたしは理解できるので、何だかんだいって実は北原が憎めないです。

★【小ネタと冴えカノ】

息抜きも兼ねて、ここでは余談を語っていきます。

「ここがあの女のハウスね」
(WHITE ALBUM2 #5「触れあう心」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

上記は、小木曽が授業を抜け出して冬馬の元へ来たとき、北原が第二音楽室の戸を開けるために使用された合言葉です。
やたらと思わせ振りな演出がなされているので、引っ掛かる人もいたのではないでしょうか。わたしもその一人です。調べてみると、これには「WHITE ALBUM」をとりまくささやかな歴史が関係していることが分かりました。

皆さんは『あの女のハウス ~彼を返して……あとお金貸して!~』という宮崎吐夢の楽曲を知っているでしょうか。
この曲の冒頭に、引用に該当する言葉が出てきます。

ことの発端は、引用部分含むこの曲の冒頭とゲーム「WHITE ALBUM」を組み合わせたMAD動画が作成されたことにあるようです。広まったその動画の存在は、WHITE ALBUMを製作するLeafの関係者も知っていたのでしょう。後に発売されるゲーム「WHITE ALBUM2」において、この台詞が逆輸入として使用されました。

そしてアニメ「WHITE ALBUM2」においても使用されます。ちなみに冬馬のノートを没収する教師役として、曲を歌う宮崎吐夢は出演しています。

以上が「あの女のハウス」と「WHITE ALBUM」の歴史です。
ここから余談となりますが、この台詞を他のどこかでも聞いたことがあるなと思いまして、探っていたら冴えカノにあたりました。

「ここがあの女のライブハウスね」
(冴えない彼女の育て方 #12「波乱と激動の日常エンド」より書き起こしによる引用 /  (C) 2015 丸戸史明・深崎暮人 KADOKAWA 富士見書房/冴えない製作委員会)

氷堂美智留のライブを観に加藤惠と共にライブハウスへ足を運んだ霞ヶ丘詩羽の言葉です。

 「冴えない彼女の育て方」と「WHITE ALBUM2」は、どちらもシナリオ・脚本を丸戸史明が担当しています。

同作者ということで、冴えカノにも反映させたのかもしれません。

【霞ヶ丘詩羽】

上記の例もそうですが、他にも冴えカノとWA2の関連はいくつかあります。

①「出会の多重化による発覚」


WA2では北原が小木曽や冬馬とそれぞれ体験したこれを、冴えカノでは加藤惠、霞ヶ丘詩羽としています。
物語が動きやすいという特徴がどちらにも存分に活かされています。

②「恋するメトロノームの声優」


アニメ冴えカノでは、#4「予算と納期と新展開」(3:50~)において、霞ヶ丘詩羽作品『恋するメトロノーム』の一部が声付きで語られています。登場するふたりのキャラを演じているのが、WA2で小木曽雪菜を演じる米澤円さん、北原春希を演じる水島大宙さんでした。
『恋するメトロノーム』という作品の内容は正確には語られていないので推測でしかないですが、米澤円さん演じるキャラの「言葉にしてしまう」造形が小木曽雪菜を連想させること、のちに安芸が語る「ダブルヒロイン」という特徴も踏まえて、『恋するメトロノーム』=『WHITE ALBUM2』説があるのではないかと思います。完全な妄想にお付き合いくださりありがとうございました。

③「WA2から台詞の引用」


原作冴えカノ8巻(p55.L15~16)の霞ヶ丘詩羽の言葉は、大部分がWA2で使用されている言葉です。それがまたWA2において重要な台詞となるためここでの引用は避けますが、両方の作品を知っていて冴えカノかの原作を所持している方は気が向いたら見てください。『どんな使い方してんねん』となるので。

④「届かない恋」

冴えカノはギャルゲーソングカバーアルバムを発売しています。そのなかで霞ヶ丘詩羽が歌唱している曲のひとつがWA2の名曲「届かない恋」です。
 

これがまためちゃくちゃ”良い”ので、ぜひお聞きください。
とある休日。霞ヶ丘詩羽がこの曲を歌う一番のタイミングはどこだろうかと考えていたら一日が過ぎていきました。

この他にもおそらく冴えカノにはWA2と絡めた要素があると思います。というか書いていないだけで加藤恵でもいくつかあるので間違いなくあります。別に興味ないや、という方にはつまらない話だとは思いますが、こういった同作者による繋がりが大好きな方にとっては、違った側面からWA2を楽しめる要素になると思います。

それでは、再び本編へと戻ります。

⚪#6『祭りの前』

【冬馬かずさの本心Ⅱ①】

#4から透けていた冬馬の本心が、ここでも見てとれるようになっています。

・「看病」

#5の終わりに倒れた冬馬を看病しに来ていたのは北原でした。小木曽は学園祭ライブのリハーサルがあるからという理由で北原に来ることを拒まれています。確かに前日に喉をやられてしまっては困るので、この拒否はなんらおかしいものではない。ただ気になるのは、仲間外れを恐れる小木曽にこれはとっても良い行動だったのだろうか、という点です。実際に小木曽はリハーサルを失敗します。多くの人の視線に晒された状態に緊張し声が出なかったのです。

「わたし、みんながいないと、歌えない」
(WHITE ALBUM2 #5「祭りの前」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

小木曽はこの時点で”一人”に恐怖を覚えています。さらにのちに判明しますが、北原は携帯電話の電源が切れており、連絡すらとれなかった状態でした。

また仲間はずれにされていないよね?と小木曽が不安にかられても無理はないでしょう。

くわえてこの「看病」では、冬馬が語る北原評「リスク回避」が、お互い(北原→←冬馬)が関わると変わる例外とてしても証明されています。北原自身が風邪をひく、何より小木曽を一人にすることになんの疑問も感じていない。リスク回避とはほど遠いでしょう。

前置きが長くなりました。皮肉なことに、小木曽が来なかったという事実が冬馬の本心を透かさせた要因になります。

冬馬かずさは中学生の頃、母親に置いていかれました。それでも北原は心配して来てくれた。この#5では頬を赤く染める冬馬が散見されます。熱があるので赤いのが標準な気もしますが、加えて茶目っ気のある反応も幾つかあります。少なくとも登場場面の冬馬かずさを思い浮かべれば、他人の言葉にお粥をむせる(#5 5:09~)や、北原のギターを聞いて笑顔(#5 8:06~)は意外な一面に映るのではないでしょうか。

これらも風邪で弱っていたからと言い切れてしまう状況なのがWA2のにくいところだなとつくづく思います。

「小木曽と、付き合うのか?」
(WHITE ALBUM2 #6「祭りの前」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

北原への問いかけでありながら、この声は北原に届かないです。届かせる気もなかったのでしょう。

たとえば、小木曽は明らかに北原が好きでありながら冬馬を含めた三人での友情を大事にしようとしています。もしも冬馬もそうであるなら、この問いかけは「二人に付き合われたらわたしは近くにいられるのか」という悲観した意味合いにもなるでしょう。しかしあいにく冬馬かずさは「三人でやりたいか」と小木曽に学園祭出演の意思を問いかけはしても、「三人でいたい」と自身の気持ちを打ち明けたことはありません。打ち明けていない感情はないのと同じです。そもそも冬馬はそんな風に思ってはいない。この段階ではそう考えるのが自然でしょう。

じゃあどうして小木曽との交際の意思を北原に問いかけたのか。薄ら想像がつくのではないでしょうか。

【北原春希という人間】

北原春希

冬馬が打ち明けた母親との確執を、北原は「家族喧嘩」という一言でまとめようとします。当然冬馬は良い気分がしません。そのなかで北原は、自身の発言を自嘲します。おそらく、北原自身が母親とのあいだに存在する距離感を思いそうさせたのでしょう。#3で読み取ることのできる北原の家庭環境は、冬馬とは違いますが、距離があるという点では同じと言えます。冬馬に優しくするなかには、同情の側面もあるのではないでしょうか。

#5での「離れていったりしない」という小木曽への言葉も、直前に彼女の過去のトラウマを聞いてのことでした。他人に瞬間の救いを与えることで感情に安らぎを与える北原という人間は、小木曽や冬馬からすればなんだかんだいっても悪い人には映らないでしょう。

しかし、いち視聴者の自分としてはやはり懐疑的にならざるを得ないというのもまた事実です。

現に「離れていったりしない」と語った北原は、音信不通で恐れていた仲間はずれへの恐怖を小木曽に再び覚えさせます。小木曽という人間の扱いの難しさはあるものの、それを知った北原がとるべき行動ではないでしょう。もしくは、「離れない」などという非現実的な言葉を瞬間の安らぎに用いたことが北原の危うさを体現しているのかもしれません。この#6でも、北原は「なんとかしてみせる」という言葉を使います。(#6 ①11:58~ ②14:24~)

現になんとかなったからいいものを、②に関しては小木曽の気持ちや冬馬の体調面の話も含まれているので、北原にはどうやったって解決できない可能性も充分にあります。それなのにこう答える北原は、頼りがいや責任感があるようで、その実、鉄砲者な性格なのではと思います。あるいは。破滅型とでも呼べるのでしょうか。

ようやく学校に姿を表した北原は、廊下に集った生徒へ一喝します。そのくせ、自分は小木曽を連れ出し再び学校を走り去ります。「お前が一番なにやってるんだ」とつっこみたくなる場面ですが、こういった時間すら学園祭に浮わついた学生の青春の一部として最高の記憶として留めさせるあたりが、WA2のこれまたにくい造りになっているのは、言うまでもありません。

【青いノート】

#4で飯塚武也から冬馬へ手渡された『青いノート』には、『北原の作詞』が書かれていたことが明かされました。

終盤には小木曽にも伝わるのですが、ここでの各反応がまあ面白い。わたしがWA2に惹かれたきっかけの場面のひとつです。

①北原春希

・「始まり」

#4で『青いノート』が冬馬に渡っていたことに、北原は一足早く気づきます(#6 11:39)。まだ学園祭で疲労する曲もままならないのに、冬馬がつけた前奏をひける北原からは、喜びが見てとれます。

飯塚武也はノート渡す際、「あいつの夢」と言いました。

北原は、飯塚武也がいるから自分がギターを披露することはない。それなら、ということで歌詞を書きます。それは北原いわく「三年間の集大成」「たったひとつのバカ」。言い換えれば、青春の思いで作りと言えるのではないでしょうか。この俗っぽい北原の着想から、作詞の書かれた青いノートは生まれます。

・「小木曽への気遣い」

冬馬と合流した北原たちは、青いノートを基に出来た曲の楽譜を小木曽に見せます。

【このとき、小木曽の心境を答えよ?】
と問題があれば、おそらく二通りの回答があるでしょう。

ひとつは、歌詞についての心境。
ふたつめは、曲の存在を知らされていなかったことについての心境。

北原はふたつめを思い、小木曽の心境を案じます。
「まずい、また隠し事してた」との思いが、言い訳めいた言葉を並べ立てます。とはいえ、実際に北原も寸前までこのノートが飯塚武也から冬馬に渡っていたとは知らなかった訳ですし、隠し事というつもりはないでしょう。寧ろ隠し事という意味合いを抱いていたのは、冬馬です。冬馬はふたりに隠して作曲をしていたのですから。

②冬馬『冬馬かずさの本心Ⅱ②』

冬馬は#4でノートを渡されてから、歌詞に曲をあて始めます。

その最初の場面は#5(7:48~)であり、ここでは曲の原型となるピアノをひいています。

次に同#5の小テスト中(15:56~)。北原は学園祭ライブのプ
ロモーションを考えており、その隣で冬馬はノートを広げ、指を動かします。作曲を示しているのでしょう。先生に叱咤されノートを奪われてしまうと、冬馬は怒ります。

冬馬はこの寸前、青いノートを「大事なもの」と形容します。
さらに#6(20:53~)では、冬馬がこの歌詞に一切手を加えてないという事実も判明します。

どうして冬馬は、北原が書いた歌詞をそこまで大切にするのでしょうか。それは、飯塚武也から「あいつの夢」と間接的に伝えられていたからか、それとも別の感情があるからなのか。

#5の終盤に倒れた冬馬の周りには楽譜が散らばります。楽譜は北原の作詞に作曲した楽譜でしょう。ここから冬馬は、作曲に夢中で疲労し倒れたことが判明します。

ここも一考の余地があります。初めわたしは冬馬が語る倒れた理由「辛くないから」、は小木曽を含めた三人で過ごした練習時間を指していると解釈していました。この意味合いもあるにはあるのでしょうが、実際に冬馬が倒れた直接的な原因は「夜通し北原とした個人練習」と「北原作詞の作曲」です。「三人で過ごした練習時間」というよりも、「北原のために使った時間」を辛くないと表現していると考えた方が自然かもしれません。

③小木曽雪菜

小木曽は楽譜を見せられ、困惑します。

そんな彼女の心境を慮り、言い訳のように歌詞が出来た訳と、隠してたわけじゃない、と重ねて慌てる北原でしたが、小木曽は黙って歌詞の一部を読み上げます。

ここから読み取れるのは、①で問いにした【楽譜を見た小木曽の心境を答えよ?】のもうひとつの可能性。
小木曽は歌詞についての思うことがあった、です。

歌詞を眺めながら小木曽は呟きます。

「届かない恋…」
「孤独なふりを…」
「誰より、惹かれていた…」
(WHITE ALBUM2 #6「祭りの前」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

歌詞を書くとき、なにを考えて書くか。それは人によって様々でしょう。音楽を聞いてわいた感情を文字に表現する人もいれば、現実での鬱屈とした思考を形として残したい人もいる。いずれにせよ必要なのは感情です。つらつらと無感情で文章がわき出てくる人はそういません。そもそも書こうとしている時点でどういった理由であれ感情はあるはずです。

そのなかで、北原春希はなにを想って歌詞を書いたのか。この段階では上記で引用した小木曽の言葉(歌詞)から連想するしか術はないでしょう。(曲が明かされてないこの段階ではそういうことにしておきます)

抽象的ではありますが、どうやら好意を抱いている人物の視点から歌詞が書かれているのが分かります。小木曽は『これ…』となにかを言いたそうにします。この場面では冬馬、小木曽、北原が同じ画面に映りますが、小木曽の目線は応答している北原ではなく冬馬に注がれてています。(#6 20:42~)

どういった心境だったのか。
特に「孤独なふりを」という歌詞から、小木曽は冬馬を連想したのではないか。つまりこの歌詞は、書いた張本人である北原が、冬馬を想って書いた歌詞なのではないか。小木曽はそう考えたのだと思います。

次いで、他にも小木曽を驚かせる事実が判明します。

ひとつは、前述もした
「冬馬が歌詞に一切手を加えていない」

もうひとつは、それでいて
「冬馬が飄々としている」

このふたつの事実に、小木曽が想像する
「北原作詞=冬馬へのラブレター」

これら三つの要素からさらに
「冬馬は北原からの歌詞というラブレターを受け取りながら、その意味に気づいていない。けれど歌詞を書いた彼を大切に想っている」

と小木曽は想像することが出来るのではないでしょうか。

以前(#5 15:35~)、小木曽は自身が二人の側に居ていいのかを問いかけていました。もしも、この頃から北原と冬馬が抱いているであろう互いへの想いを想像していたとしたら、歌詞を見た時点でその両者への疑惑はより強いものへと変わったのかもしれません。

そうなると、ひとつ大きな問題が出てきます。

小木曽が北原に対して好意的な感情を持っていることは明らかです。だからといって、三角関係などという括りに対する不安を抱く小木曽ではありません。

というよりも、それ以前に大きな問題があります。
それは「仲間外れ」への不安の拡大です。

もしも、三人のうちふたりが互いを特別に想っていたとしたら、残る一人はどうなるのか。
三人という輪から明確に弾き出されなくとも、ふたりの時間が増えれば、自然と残る一人はふたりの輪から弾かれます。それは三人というより、ふたりと一人という輪です。

#3【一対一の会話と、もう一人】で語りましたが、ここでの小木曽の心境は③北原と冬馬の会話に入る余地がない小木曽、と同じです。入る余地がないという事実は精神的な仲間はずれになっているという不安を小木曽に与えています。

「北原が詩を書いて、あたしが曲をつけて、 小木曽が歌う、三人のためだけの歌だ」
(WHITE ALBUM2 #6「祭りの前」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

小木曽にとって冬馬のこの言葉は、会話以外の時間にも仲間はずれが派生してしまうのか、と「ふたりと一人」の不安を煽るものでしょう。

形だけ捉えれば、三人の共同作品という最高の形です。しかし前述した小木曽の感情を踏まえると、これは「自らが仲間はずれになる曲を自分で歌う」というなんとも虚しい行為になります。そうした気持ちが、苦虫を噛み潰したような表情に繋がるのだと、わたしは考えます。

長々と小木曽の心境を想像してみましたが、これは「小木曽の第一優先=三人での時間」に基づく思考であり、別解として「小木曽の第一優先=北原春希」というのもあると思います。しかしこの場合においても、小木曽の心境は似たものになるでしょう。
なにしろ「仲間であり恋敵の友人へ自分の好きな人が書いたラブレターを歌う」という苦しい行為になってしまうのですから。

重要なのは、どちらを重要視していても「仲間はずれ」の恐怖からは逃げられない、ということです。

⚪#7『最高の、最後の日』

【学園祭で披露した三曲】

一曲目:WHITE ALBUM

 つかみから成功した小木曽に対して体育館には賛辞のどよめきが起こります。友人、観客の生徒、家族、小木曽を敵視している柳原朋、すべての眼差しが小木曽を中心とする軽音同好会に注がれる。熱気は始めから衰えることはなく、終盤の冬馬のサックスで盛り上がりはさらに一段階上がります。学園祭の浮わついた空気と混じりあい、WHITE ALBUMは終了し、MCに入ります。わたしはこのような成功例の学園祭バンドを現実で見たことはありませんが、これらすべてがタイトルにもある『最高の日』にふさわしいライブを印象づけています。

二曲目:SOUND OF DESTINY

一曲目ではキーボードにサックスを演奏した冬馬が今度はベースを演奏するというとんでも技量。
この演奏時間において重要なのは、小木曽と冬馬の言葉を用いない会話でしょう。もはや会話とは呼べず、額面通り受けとれば念力の類いになってしまいますが、あくまで各々の言葉は視聴者に伝わりやすいようにしたもので、当人同士は視線で気持ちを通わせようとしていると捉えた方が自然かもしれません。

さらにこの場面では、サビ前から冬馬の回想がはいります。

①第二音楽室でピアノを弾く冬馬が、なにかに気づき窓辺に立つ。
②飯塚武也に教わりながらギターを弾く北原
③昇降口で気づいたように顔をあげる小木曽。
④視線の先に窓の開いたふたつの音楽室。
⑤冬馬はピアノ、北原はギターを奏でる。
⑥そうして、小木曽が屋上で歌う。
映像にはありませんが、この後#1で小木曽の歌を聞いた北原が屋上へ駆けつけてくる。

この一人から二人、そして三人になる流れの始まりが、北原のギターの音色だったと分かる、とてもリズム感のある構成です。そしてこの各々の回想を流す後ろで彼らが演奏している曲のタイトルが、「SOUND OF DESTINY」。

まさしく「運命の音」です。

三曲目:この時点では伏せられています→【#13】へ

【隠された言葉について】

#3「②冬馬と小木曽」では意図的に隠された言葉があると記述しましたが、二曲目の演奏中にそれは明かされます。

「だって、冬馬さん、隣の教室でギター弾いてるのが北原くんだって知ってたから、一緒に弾いてたんだよね」
(WHITE ALBUM2 #7「最高の、最後の日」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

#3で冬馬はこの言葉に返事をしません。
どうして二曲目の演奏中にこの事実が明かされたのか。それはきっと小木曽のなかで感情が入り乱れつつも、この瞬間だけはライブの高揚感で「仲間はずれ」という不安が一時的に消失していたからだと考えます。

小木曽のなかにある感情を挙げると
・「仲間はずれ」への不安
・北原春希への好意
・軽音同好会の三人でずっといたい(飯塚武也は除く)
が主なものでしょう。

これまでの小木曽を見る限り、普段は「仲間はずれ」への不安が一番大きな心持ちのようです。しかしこれが消失すると、残りふたつの比率が上がります。その願いを叶えようとすれば「仲間はずれ」へのリスクも上がりますが、共にステージにあがり、共に歓声を浴びている仲間に対して、小木曽は対等な感情共有を求めるための布石を打ちます。

或いは「仲間はずれ」を怖がるあまり僅かな隠しごとも嫌だから本音を求めた、という見方もできるかもしれません。わたしはライブ中の小木曽の強気な表情からして、ここでは前者を推します。

#6では表情や目線から小木曽の心境を好き勝手に書きましたが、あくまであれは小木曽の想像という前提です。冬馬の本音は直接聞いてはいない。だから小木曽は目線で一方的に自身の北原への好意を伝えることで、冬馬の本音が隠されてしまうことを防ごうとしたのでしょう。

仮にこの思考が合っていた場合、この時点でもう小木曽は危ういです。冬馬には本音を求め、しかし本音が叶えられてしまえば自身が「仲間はずれ」になる。この辺りは見方を変えると、次々と真情を発露する小木曽に冬馬がひたすらに振り回されている場面とも読み解けるのではないでしょうか。

【花と奴】

学園祭も幕を閉じ、北原と冬馬は第二音楽室で会話をします。会話中、北原は今後についての話をします。ここで重要なのは、小木曽を含めた軽音同好会の三人は学園祭ライブに向けてこれまでの時間を共に過ごしてきたという事実です。言い換えれば、練習を言い訳に会うことが許されていた期間でした。

タイトルにある『最高の』は「学園祭ライブで共に歓声を浴びた感情」を、『最後の日』は「理由を用いて会うのが許されていた期間の最終日」を指しています。

会話中、北原は小木曽を「高嶺の花」、冬馬を「友達になりたかった奴」と形容します。この言い方に、北原のふたりへの距離を感じました。
主観に過ぎませんが「花」の方が遠く、「奴」の方が近しいように思います。実際、北原は冬馬に対して「本音で分かりあえた」と言います。この言葉を聞いた冬馬がピアノで無理に音を鳴らしたのは、本音などなにも言えていない自分への葛藤を表しているのでしょう。
そう考えるのは、仮にこの段階で小木曽が推測しているであろう「冬馬→北原」という好意を正しいとした場合、冬馬には新たな葛藤が生じているからです。
それは、自分が気持ちを伝えたら「小木曽を傷つける」という点です。小木曽は初めから北原への好意を開示していました。加えて学園祭が終了しても「北原と冬馬の側にいる」ことを望んでいます。そんな小木曽がいるのに自分だけ気持ちを伝えるのは憚られるでしょう。

しかし事態は急展開を見せます。寝てしまった北原が目を覚ますと、すぐ側には小木曽がいました。冬馬はもういません。小木曽は会話の途中、これからも一緒にと再び呼び掛けます(#7 21:20~)。同意を示す北原に対して不安な表情を浮かべる小木曽は、大学の学部を擦り合わせようとしてきます。この急な焦りに違和を覚える人は多いでしょう。わたしもそのうちの一人でした。そして言葉を並べた小木曽はそのままキスを迫ります。迫りますが、最終決定権は北原に委ねるのが小木曽雪菜という人間の性格を表しています。

ライブ中には冬馬に本音を促していた小木曽が、どうしていきなりこのような暴挙にでたのか。
学園祭の浮わついた熱気にあてられて? 
北原を独り占めしたくなった? 
この段階では真意を読むとくのは難しいですが、ポイントをあげるとすれば、明かりをつけようとした北原を小木曽が制止したことにあるでしょうか。→【#12④小木曽と水沢依緒】へ引き継ぎます。

⚪#8『やがて冬が始まって』

【小木曽の本心 Ⅰ 】

屋上で冬馬は、小木曽から北原との交際の事実を聞きます。「冬馬→北原」と推測している小木曽にとっては後ろめたい気持ちなはず。「割りこんだ」「謝らなくちゃ」「冬馬の気持ちを知っていた」「本当に取っちゃっていいの?」。小木曽は罪悪感から、次々と自身のほの暗い感情を口にします。
そんなに心配ならいきなり北原と交際するなよ、という話であり、先に仲を深められたら「仲間はずれ」にされてしまうのが怖い小木曽にとっては仕方ない話でもあります。それにしたってこれだけ罪悪感があるのも辛い気はするのですが、
そこを冬馬が庇います。

小木曽を「雪菜」、と冬馬は呼びます。これは交遊を深めたようにするための単なる名前呼びではありません。
#4で冬馬の軽音楽同好会への参加報告がなされた場で、小木曽は自身を「雪菜」と呼んでほしいと言っていました(#4 3:17~)。同じ同好会の仲間だからという理由で。これまで頑なに「小木曽」と呼んでいた冬馬が「雪菜」と呼んだのには、仲間として認めたという気持ちがあるのでしょうか。しかし、軽音学同好会が目標としていた学園祭は終了しています。それでも名前呼びをするのには、小木曽が「あなたと春希くんの側に」(#5 15:34)と語った絵空事を実現するための一歩、いわば冬馬にとって小木曽は言葉だけじゃない友達だ、と他ならぬ小木曽へあてた冬馬なりのメッセージだったのだと推測します。同じように冬馬は自分を「かずさ」と呼ぶように言い、これからを約束します。

ここで小木曽は「冬馬が男だったら」と仮定の話を持ち出しますが、それだと小木曽はおそらく形は違う罪悪感に苛まれるのでは?と想像したのはきっと私だけではないでしょう。
ましてや男だからといって想像する「冬馬→北原」が解決するわけでもない気はしますが、一旦その仮定は置いておきましょう。

とにもかくにも、図らずも「同じ同好会の仲間から名前呼びされる」という小木曽の要望はこれにて全員完了します。飯塚武也はまあ同好会の仲間として(たぶん小木曽は思ってない)、北原は恋人として、冬馬は友人として。「仲間はずれ」を恐れていた小木曽にとっては最良の形を迎え、ようやく冬がやってきます。

【幸せな日々】

12月になっても、北原、小木曽、冬馬は三人のまま過ごします。冬馬の追試に向け放課後に机を三人で囲む姿は分かりやすい青春のかたちでしょう。数人の友人が合流しテストの打ち上げへ向かいますが、冬馬の追試が終わってからみんなでいけばよくないか?と思った自分はおそらくこの中の誰とも友達にはなれない。唯一同じような反応を示したのは北原ですが、北原と友達になると壊れそうなのでこちらからご遠慮願います。

話がそれました。
変わらず三人のまま過ごすことで、小木曽は『幸せな日々』を過ごします。この幸せな、という形容の範囲はひとまず前述した小木曽雪菜の日々に対してのみされるでしょう。
変わらず三人で過ごす、といっても常に三人ではありません。なぜなら小木曽は北原と交際しているので、ふたりだけの時間も存在します。

このふたりだけの時間というのは、#4でふたりだけの練習時間として北原と冬馬も過ごしています。
問題なのはそのとき小木曽はすねていた事実です。
たしかにあの時は同じ同好会の仲間なのに隠れて練習していたという事実に「仲間はずれ」をトラウマにする小木曽が不安を募らせるのは分かります。しかし、北原と交際を始めたことにより、彼女は冬馬を精神的な「仲間はずれ」にしている、と捉えることも出来てしまいます。

三人は卒業旅行で泊まる旅館の夕食終わり、これからについて話します。

「三人でいるときは、春希くんは大切な友達だよ? かずさは、かけがえのない友達だよ」
(WHITE ALBUM2 #8「やがて冬が始まって」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

小木曽のこの言葉、わたしは戦慄したわけですが、ここまで視聴された方はどう思ったかとても気になります。わたしは小木曽が学園祭で共に歓声を浴びた学園祭を恍惚として引きずっている辺りから若干の怖さがありますが、加えてこの言葉です。上記で引用した言葉は、単純に考えても無理があります。北原と交際しているのは小木曽なのですから、三人でいるときはその関係を白紙にするなどという行いができるとはとても思えません。

勿論、小木曽もそんな風に割りきれると心から思ってはいないでしょう。ただ、心からそうしなければいけないとは思っている。それが、「北原と恋人」「冬馬と友達」「もう一度三人でライブ」をすべて叶えたい小木曽が自身に課す精神的負荷だからです。

わたしが戦慄したのは、この負荷があってでもすべてを維持・叶えようとするその傲慢さです。傲慢、などという言葉を用いるとこいつは小木曽を好いていないだけではとお思いの方もいるでしょうが、わたしはキャラとして小木曽が好きです。この傲慢さも、或いは強さと言ってもいいかもしれません。

忘れてはいけないのは、その強さが、かつて自身が不安を募らせていた「仲間はずれ」を友人であるはずの冬馬に強いている点でしょう。

⚪#9『すれ違う心』

【すれ違う、冬馬と北原】

#9では前話とうって変わって三人で過ごす描写が減りました。冬馬がコンクールに向けてピアノの練習を一人しているから、が理由ということになっています。実際にピアノの練習はずっとしていますが、それだけがふたりの前に姿を表さない理由でしょうか。腹をたてて強く鍵盤を弾きわざと外れた音をだす場面からは、少なくとも北原の来訪がピアノの練習を集中させてはくれない要因になっているようにもうかがえます。

その反面、冬馬は小木曽からの連絡には短くとも対応してくれていることが明らかになります。北原はメールさえ無視されています。
ここから、冬馬が拒否しているのは北原か、北原と小木曽がふたりでいる場、ということが推測されます。しかし、冬馬は北原の差し入れにはちゃんと口をつけている場面もありました。(#9 6:24~)。顔も会わせない連絡も返さない、それらが嫌悪からさせる行動ならば、差し入れなど食べるでしょうか。そうなると、冬馬が拒否しているのは、北原と小木曽がふたり揃っている場、ということになってきます。

コンクールにふたりは顔を出します。冬馬も舞台上からふたりに気づきますが、瞬間顔をしかめますね。友人のコンクールに来てまで客席で肩を寄せ合う北原と小木曽のいかれ具合はおいときまして、演奏をする冬馬がわたしは好きです。

演奏曲はベートーヴェン、ピアノソナタ第26番『告別』(「第二楽章:不在」「第三楽章:再会」)だと思われます。(全く詳しくないので違いましたら教えてください……)。

違えば戯言となりますが、「不在」が小木曽と北原を見て自分の居場所を問うものだとしたら、「再会」は三人への回帰を願う副題であり、自身と北原との出会いに視るすがりたい過去の記憶との出会いを表しているのかもしれません。

同日、終わりには久々に三人で食事をしますが、ここでも冬馬の反応は露骨に含みがありますね。
なかでもまた肩を寄せ合うふたりを前に、冬馬が静かにカップを置く場面は何度も見返しました(#9 12:50~)。
静かな空間にわずか響くソーサーの音が、まだ冬馬の本心など知らないのに寂しさを募らせます。わたしの耳が過敏なのかもしれませんが、この場面ではカップが置かれ揺れるソーサーの音だけがやけに鮮明に聞こえました。

口元だけを描き、目元を映さないのも心情を把握させないようで感情の綻びを抑えているのがよく分かるわたし好みの演出です。

対照的に、目元だけを描く場面もあります。それがすぐあとにある冬馬が帰宅する場面です。直前に冬馬は北原を凝視します。このとき唯一顔を曇らせるのは、北原に最近の態度を咎められたときでした。

北原に話しかけられれば「邪魔」、去り際には「忘れない」と言い残す冬馬の真意はどこにあるのでしょう。「覚えた」も加味すると、この一連の流れは、冬馬が北原を忘れないように凝視していたことになります。それはもう感情が表れていると言ってもいいのではないしょうか。

【すれ違う、小木曽と北原】

冬馬と会えていないあいだ交際中のふたりは仲良くしていますが、すれ違いは起きています。

「冬馬と北原」のすれ違いが冬馬のせいならば、「小木曽と北原」のすれ違いは北原のせいと言えるかもしれません。
例を挙げるとすれば、カフェとパーティーに向けての場面でしょう。

・カフェ(#9 3:40~)

小木曽は、冬馬と会えない寂しさを理由に北原をより求めます。それは小木曽の中にある過去のトラウマに対して、北原が向き合っているからでもありました。

「一人にしない」と北原は口にします。会話中ずっと手に触れていたり、肩を寄せあったり。路上でするキス等の身体的接触が多いのは、こういった北原の感情が表面化した行為なのでしょう。しかしキスの場面では、冬馬がひとりピアノを練習している場面も描かれています。これは明確はふたりと一人です。小木曽がかつて怖れていた「仲間はずれ」を冬馬に強いている場面、とも受け取れるでしょう。

とはいえ冬馬にはまだ「コンクールに向け練習が忙しい。だからふたりとは会えていない」、というこの状況に正しさを主張できる理由が存在します。だからふたりは気後れせず交際の間柄でいられるのです。

同時に、北原は冬馬を気にかけています。
それは「小木曽の電話には出て、自分は一切連絡を絶たれている」からだけが理由なのでしょうか。

「雪菜がいる、雪菜しかいない」
北原の感情からは小木曽とふたりだけで過ごすことが多くなってきた今の時間に対する陰りが見え隠れします。
小木曽との時間が苦痛な訳もありませんが、幸せ一色でもありません。

そもそも「一人にしない」という理由で交際相手といるのも倒錯でしょう。好きだから一緒にいたいではなく、一人にさせたくないから交際して過ごしているという義務感に駆られている。それは優しさと呼べる大層なものなのでしょうか。

・パーティーに向けて

カフェの場面で誕生日にはパーティーを行う話があがっていました。ふたりはこのパーティーを、各々の思惑に利用しようとします。

北原は、冬馬を除いたふたりだけで過ごそうとします。
これは北原が自身の心境を確かめるためであり、自身には小木曽だけだと再確認するための儀式でもあるのでしょう。

対して小木曽は、冬馬を含めた三人だけでパーティーを過ごそうと画策します。
これは小木曽が、冬馬の本音を確かめるための動きと言えるでしょう。

自身の誕生日パーティーを利用するふたりの動きに、祝いたいなどという純粋な心はありません。これはもう誰が来ようが来まいが楽しめないのでは、と思います。

ここまで心情的な側面からすれちがいを起こしていた小木曽と北原ですが、パーティー当日は行動でそれが起こります。

小木曽は予定通りパーティーの準備に取りかかり
北原は冬馬の家へ行きます。
ふたりで過ごしたいと語っていた北原がどうしてそんな行動をとったかと言えば、北原いわく『小木曽のため』です。小木曽を一人にしないためにも誕生日会に友達は連れていきたいからということにしてはいますが、思い付いたのが電車で自身が冬馬と過ごした時間を思い出してからなので繋がりません。自身の感情を優先させた結果とった行動を、小木曽のせいにしているだけと言えるでしょう。

⚪#10『雪が解け、そして雪が降るまで(前編)』

ここまでお付き合いいただいた稀有な方々、誠にありがとうございます。WA2の真髄、その幕がようやくここから開けていきます。

#10は、AパートとBパートに分けて語りたいと思います。

⚪#10Aパート

【冬馬かずさの本心Ⅲ①】

「北原は、冬馬にずっと好意を寄せていた」
「冬馬は、北原にずっと好意を寄せていた」
これが確定した瞬間に与えられる過去の違和をまずは振り返っていきます。

①#3


「③冬馬と北原」で語った冬馬の思う北原の「リスク回避・安定思考」。

これは小木曽のパーティーを放って空港に向かう北原を見れば間違っていると分かります。「仲間はずれ」を怖れ一人になりたくないと語る小木曽が主役のパーティーで、その小木曽を一人にしてでも冬馬に会いに行く思考を安定思考とは呼べません。
ましてやリスク回避など、むしろ小木曽を再び不安に陥れるというとんでもないリスクを背負っています。

状況だけを鑑みれば一応「小木曽のため」と言えなくもないですが、空港では北原自身がその言い訳を背負いきれなくなっていました。本当に小木曽のためであるなら、遅れる電話をして何度も謝る必要はないでしょう。「小木曽の友人を、俺たちの仲間を連れてきた」と胸を張って言えるのですから。そうではなく、外国へ旅立つことを相談してくれなかった冬馬への怒りや寂しさを、小木曽を一人にしてでも伝えに、冬馬を優先した、その罪悪感から謝罪の言葉が出たのです。

②#4

まず、飯塚武也が裏方に。
そして、自宅で北原にギターの個人練習を行った。

飯塚武也の裏方行きは冬馬が提案しました。それは軽音楽同好会が学園祭ライブへの出場に現実味を帯びさせるためには必要であり、小木曽雪菜を納得させるためには仕方のないことと北原も他も納得しましたが、本心が明らかになったいま、本当にそうであったのかは考えものです。

思えば、一話から北原の隣の席の人=冬馬は、北原が参加する軽音楽同好会の動向を気にしていました。くしゃくしゃに丸めた紙をわざわざ開く(#1 19:10~)や、小木曽の歌声を聞いてから本格的に動き始めたと知っている(#3 9:00~)、などがその例です。一緒に演奏したかったのは小木曽だけでなく、冬馬もだったのかもしれません。

個人練習に関しては、北原のギター上達のためであり、これもまた冬馬自身のためでもあるでしょう。冬馬は北原と一緒にいる時間を捻出したかった。どこまで意識しての行動なのか分からないですが、少なくともこのきっかけとなった電車からむりやり連れ出す場面では、どうしようかという葛藤が見え隠れします。

或いは、頼ってほしかったという感情もあるかもしれません。冬馬にはピアノしか、音楽しかない。唯一教えられることができる分野です。そしてなにより冬馬は音楽室の隣人としてこれまで北原に陰ながら寄り添っていました。正体が露になってもその立ち位置は失いたくなかった、と考える方が自然かもしれません。個人練習期間が終わり、飯塚武也や小木曽も含めた同好会全員で集まったとき、冬馬はほんのすこし悲しそうな表情を浮かべます。やはり北原とのふたりの時間に終わりを迎えた寂しさゆえ表情なのでしょう(#4 16:16~)。

③#5「青いノート」に関して

北原の作詞が書かれた「青いノート」を手にいれた日から、冬馬はずっと作曲をしています。それはテスト中にも及び、教師にノート没収されてしまいます。このとき、冬馬は慟哭にも近い怒りをぶつけました。「どういうものか分かっているのか」という声は、本心が明らかになると違和は拭えます。
青いノートは北原の夢でした。ギターを舞台上で引くことは叶わなくとも、自身の詩=感情もしくは告白を歌ってもらえる。冬馬は飯塚武也から聞いていた「あいつの夢」という願いを叶えてあげるため躍起になっていたのです。結果として倒れてしまいますが、「辛くないから倒れた」というのも、好きな人のために無理していた自分の苦しさにも気づいていない冬馬の献身的な一面がうかがるのかもしれません。

④#7


タイトル『最高の、最後の日』は、『最高の』は「学園祭ライブで共に歓声を浴びた感情」を、『最後の日』は「理由を用いて会うのが許されていた期間の最終日」を指していると書きました。これは三人の共通的な部分でのみ言えます。

しかし三人それぞれにとって、それ以上の大きな意味合いを持っていたことが判明します。

冬馬からすれば
「最後の日=北原が親友である小木曽のものになってしまった日=北原への恋を終わらせなければいけない日」
小木曽からすれば
「最後の日=北原との仲間関係が終わった日=恋人としての期間が始まった日」
北原からすれば
「最後の日=小木曽との仲間関係が終わった日=恋人としての期間が始まった日=冬馬への恋を終わらせなければいけない日」

特に冬馬と北原の、互いへの恋を「終わらせなければいけない」という感情は重要でしょう。なぜ終わりにしなければいけないのか、小木曽がいるからです。すでに小木曽と交際しているのならば、冬馬が思いを告げるのは裏切り行為にもなりかねません。また、冬馬は小木曽の散々の本音要求にもしらをきりとおしてきました。今さら本音を告げることは、小木曽を傷つけにかかるようなものです。

北原も似たようなものですが、彼には「小木曽を一人にしない」という自身に課した使命があります。交際する前ならいざ知れず、交際後にそれも小木曽の親友と交際を始めてまた三人仲良くなど「仲間はずれ」を怖れる彼女に強いれるわけもありません。

北原と冬馬の恋は、北原が小木曽と交際を始めた時点で終わらせなければいけないのです。それを小木曽ではなく、誰よりも冬馬と北原がそう思っているのがまたややこしいですね。

#10Aパートでは、そうした感情を持ちつつもしつこく冬馬に関わろうとする北原が原因となり、冬馬の本音が判明します。「終わらせなければいけない」はあくまで小木曽を想う感情であり、互いの本音は「終わらせたくない」です。この感情の齟齬が、冬馬と北原のちぐはぐな言動の一端となっていたことは、言うまでもないでしょう。

ここまで「冬馬の本心」と「アニメ本編#1~#9の内容」とを照らし合わせてきましたが、そもそも冬馬はいつから北原が好きなのか。

⚪#10 Bパート

では、
「冬馬の記憶(2007年4月~8月)」と「本編中の出来事」を照らし合わせて語りたいと思います。

【冬馬かずさの本心Ⅲ②】

本稿では序盤に「出会いの多重化による発覚」がアニメWA2においては重要だと語りました。
それはどういう意味合いだったかがこの章でわかります。

#1では小木曽が、#2では冬馬が、「出会いの多重化による発覚」を北原と経験しています。視聴者にとっては小木曽→冬馬です。

しかし、実際の時系列では逆です。順番的には冬馬→小木曽になります。

重要と勿体ぶっていましたが、情報の開示が時系列順ではないという至極単純な話ともいえます。

ただ、この単純な話が彼女らおいてはとても重要です。なぜなら「初対面」も「出会いの多重化による発覚=運命の出会い」も「キス」すらも、すべては冬馬の方が先だからです。

しかも出会いに関しては、のちの小木曽と被る要素が多い。

①北原とギターの音

#7 で「SOUND OF DESTINY」を演奏中に流れる回想では、冬馬が初めにギターの音を聴き、そのあとギターとピアノの合わさった音を聴いて小木曽が歌うようになる流れが描かれています。音の広がりを向きで表すと「北原→北原と冬馬→北原と冬馬と小木曽」になります。分かりやすく冬馬の方が先です。

②早坂と北原の交遊関係

そもそも早坂とは誰か。北原や冬馬と同クラスで背の高いお調子もののあいつです。

小木曽は#1(10:00~あたり)で早坂含む文化祭実行委員会の面々と北原との信頼しあっている関係を目の当たりにしています。
対して冬馬はそれより数ヵ月前、時期にして2007年5月~6月の間に、北原と早坂が親交を深める過程を目撃しています。5月では北原に悪態をついていた早坂が、6月では北原を信頼している。これも小木曽が目にした北原を取り巻く人間関係よりも前の出来事です。

③ギターを引いている人物が北原と発覚

小木曽は#1の終わりに北原がギターをもって駆けつけてきたことで気づきました。
対して冬馬は、それ以前の2007年7月の時点では気づきました。

これも時期で言えば冬馬の方が先ですが、③に関してはその後の対応に違いがあります。

小木曽は北原から、いわば関係を始めるきっかけとなる同好会への勧誘を持ちかけてきたのに対して、
冬馬は、わざわざ夏休みに学校に来てまでしかも音楽室の隣人であることを隠して自ら北原にギターを教えようとします。

似たような経験でも③だけは北原への感情が冬馬はもう大きい。

これがアニメWA2における冬馬が一番勇気を出した場面と言えるでしょう。

気持ちを伝えることだけはついぞ終わりの日までしなかった冬馬ですが、北原に関するほとんどの出来事は小木曽より早い。
「どうしてあたしを選んでくれなかった」という言葉は、「キス」を含めこの流れを唯一知っている冬馬だからできる心の叫びです。

ちなみにわたしはさきほど、「すべては冬馬の方が先だった」と書きましたがあれは間違いでした。一点だけ冬馬の方が遅い出来事があります。

それは「北原から同好会に誘われた順番」です。
これだけは放送順どおりになります。

この事実がまた視聴者というかわたしの感情を混乱させました。

というのも、冬馬に同情して「小木曽がいなければ」と想うことすら難しくなったからです。なぜなら同好会へ先に小木曽を勧誘したということは、つまり小木曽がいなければ学園祭ライブに本気で出場しようと北原は努力をすることも実現させようともしなかったから。
それは冬馬も語っていたとおり。また現に小木曽に出会う寸前までは冬馬とセッションしているにも関わらず冬馬=音楽室の隣人を勧誘することなど微塵も考えていなかった。
軽音楽同好会として学園祭ライブにしたからこそ得た「最高の日」は、「小木曽がいたから成し得た日」でもあります。

そんな学園祭前後の冬馬はどういった心境だったのでしょうか。

⚪#11『雪が解け、そして雪が降るまで(後編)』

#11も、AパートとBパートに分けて語りたいと思います。

⚪#11Aパート

では、
「冬馬の記憶(2007年9月~2008年2月(現在))」と「本編中の出来事」を照らし合わせて語りたいと思います。

【冬馬かずさの本心Ⅲ③】

①「英語の参考書」

夏休み中にギターを教えたお礼として、冬馬は北原から参考書を貰いました。この参考書を、冬馬は一度無くしてしまいます。無くしたままでも別段こまらないのに、冬馬は探し回りました。
それはなぜか。大切なものだったからと答えるのが一番筋が通ると思います。
なぜ大事かといえば、北原からもらったものだからでしょう。
なぜ北原からもらったものが大事かと言えば、北原に対して特別な感情が芽生えてたいたからと考えるのが自然です。

ただそれが恋愛感情かどうかは分かりません。というかこの先ずっとそれは分かりません。恋愛感情は間違いなく一部としてあるのですが、北原も冬馬も家庭に対する喪失感を補おうとしている節があります。
冬馬は自身を気にかけてくれる人に、北原は自身が気にかけなければいけないと思った人への感情に陥りやすいです。

冬馬が参考書を探す最中、降ってきた雨にうたれる場面があります。これは取り繕った感情と行動を洗い流すという意味合いがあるのではないでしょうか。その証拠に参考書を見つけた冬馬は声を出して嬉しそうに笑います。

②「犬のぬいぐるみ」

冬馬は誕生日プレゼントに母親から犬のぬいぐるみを貰います。冬馬がまだ音楽科に在籍し、教師陣が普通科への編入を議論していることから時期はおそらく高校二年生でしょう。
冬馬は海外から郵送で送られきたそのぬいぐるみを引き裂きます。置いていかれた、感情的にいえば見捨てられたと母親に対して過去の記憶を引きずる冬馬なりの反抗です。

しかしこの引き裂かれた犬のぬいぐるみを、冬馬はあるタイミングで修復します。それは①関連の後です。
参考書を探し出した冬馬は、不器用に手を針で刺しまくりながら犬のぬいぐるみを縫い直します。ピアノをひく人間の指先が絆創膏だらけになるその意味合いは大きいでしょう。

ではなぜ修復したのか。冬馬が貰いものに対して抱く感情に、変化があったからと考えられます。
ことの発端は①です。特別な想いを抱き始めている北原からの貰い物を探し回り見つけたことで、冬馬は《大切なひとから与えられたものは大切だ》という感覚を得たのではないでしょうか。
犬のぬいぐるみは引き裂いたまま捨てずに部屋に置いていました。それは母親に対する憎しみと愛情がない交ぜになったちぐはぐな行為です。その感情に《大切なひとから与えられたものは大切だ》という①の影響で得た感覚を合わせたことで、冬馬は犬のぬいぐるみを修復したのだと考えられます、

つまり冬馬にとっては、母親も大切な一人だということです。

③「青い本」

冬馬が英語の参考書を貰ったように、実は冬馬も北原にあるものを渡しています。現実味にいえば紹介しているだけですが、情報を教えたという点では渡しものでしょう。

それは『ギターの練習本』です。実はこれ、#1で北原が読んでいる場面があります。

時系列的にはなんらおかしいことはありません。
むしろ、アニメWA2の構成上の肝がここにあります。

#1では小木曽雪菜
#2では冬馬かずさの登場回だと認識させる構成。
しかしその実、キャラ同士の直接的な会話を用いる接触は冬馬→小木曽の順番です。

『ギターの練習本』を読んでいる水沢依緒と電車で帰宅する場面(#1 13:17~)も、手には冬馬との関連が示されるその本が持たれていながら、二人の会話内容は小木曽の話題でした。

序盤から「冬馬の方が先だった」を描いていたといえるでしょう。

④「学園祭が終わった日」

学園祭ライブが終わったあと、第二音楽室で冬馬と北原はふたりで会話をしていました。#6では、北原が途中で寝てしまった間に冬馬は帰っています。そして小木曽が来る訳ですが、この北原が寝ているあいだの冬馬の行動は大胆なものでした。

これまでの回想からこのキスに至るまでのあいだに起きたもっとも大きい変化は、小木曽の加入です。それは軽音楽同好会への加入だけを指しているのではなく、北原と冬馬という恋していたふたりの関係への加入です。

冬馬が流した涙には小木曽に対する葛藤があったのだと思われます。というのも、一応直前の演奏中に冬馬は目線で小木曽の本心を読み取っていています。それでなくとも小木曽は好意を全面に出しているので、ここで冬馬が北原を取ることは、小木曽を傷つけることに直結してしまいます。

それでも冬馬が行動してしまったきっかけは、直前にしていた会話で北原が口にした『本音で語り合える』という部分でしょう。冬馬からすれば「北原が好きだ」という本心は友人を傷つける口にしてはいけない言葉です。それなのに軽々しく本音などと口にする北原への苛立ちがピアノを乱暴にひく動きに表れていました。

お互いが好意を抱いていると知っている視聴者からすると、寝ているあいだにするキスというのは、相手に知られたくない最大限の告白だと私は思います。
小木曽への気もち、正直に生きられない自身への不満、それらがあって意識的ではなく無意識に、冬馬は北原に知られない告白を実行したのです。

⑤「ずっと三人」

北原と小木曽の交際を知った冬馬は、期間にして12月~翌年2月までのあいだ感情的に苦しい日々を送ります。これはアニメ放映話数でいえば#8~#9を中心とする期間です。

思い出していただきたいのは#8(3:07~)の始まり、北原のモノローグです。締めの言葉として「俺たちは三人だった」と語っています。これは交際が始まっても冬馬を含めた三人で学園祭以前のように過ごせていたという意味合いですが、冬馬視点からすれば恐ろしい話でしょう。

「三人で過ごす」という状況は、それぞれにとって救いでもありました。

小木曽からすれば、北原と交際しつつ、冬馬と友情を継続でき、「仲間はずれ」にならない。

北原からすれば、小木曽と交際することで彼女を「仲間外れ」にせず、かつ恋している冬馬ともまた共に過ごすことができる。

冬馬にとっては、自身を「かずさ」と呼ぶ親友ができ、好きな北原と一緒に過ごせる。

しかし、この救いは冬馬にとってだけは刃でもあります。

冬馬だけはそれは傷つけながら瞬間癒されるようなもの。
なぜなら「好きな人と過ごす」ためには、「好きな人が交際相手と過ごす」時間を目撃しなければならず、また、親友と言葉を交わすたび、頭には「親友が好きな人の交際相手」であるという事実が常に過るのですから。

小木曽は#7で三人でいるときは「冬馬と北原=友達」だと語っていましたが、#8を見る限りあの意識はどこへ、と思わずにはいられないほどのいちゃつきを見せていました。

恐ろしい、というのは、学園祭以後「三人でいる」という状況に、冬馬を除くふたりはただただ喜んでいたことでしょう。それは冬馬が我慢すれば仮初めの幸せな時間が続いていくことすらを示しています。

そんな冬馬に巡ってきたのは、逃げ出す機会です。

⑥「ピアノコンクール」と「温泉旅行」

#8では「温泉旅行」が、#9では「ピアノコンクール」の様子が描かれています。#11ではこのあいだの冬馬の心境が描かれていますが、それは前述したとおり苦しみ一色です。

北原から交際の事実を打ち明けられた冬馬は、連絡を受け久しぶりに母親と会います。そこでピアノコンクールを受ける話になります。小木曽や北原には進路を考えた末の決断と語っていましたが、実際は母親からの勧誘が理由でした。
重要なのはピアノコンクール出場そのものではなく、その成績次第では母親と共に海外へ旅立つということでしょう。

それは冬馬にとって、「三人で過ごす」をもっとも安全に壊せる方法。
「自身の進路に向かうから離れてしまうけど、これからも友達だ」と仮に言ったとして、反感を覚える人はいません。

#8での温泉旅行、帰り道で冬馬は人知れず自身の心をえぐります。
この席位置がまた酷です。運転席に冬馬、助手席に北原、後部座席に小木曽。言い合いをする北原と冬馬のうしろから小木曽が声をかける姿は、恋していたふたりの関係にある親友が加入した図そのものです。実際に冬馬は助手席に顔を近づけた際、後部座席の小木曽を意識して行動を止めました。

そして翌月に行われたピアノコンクールで冬馬は海外行きを決意します。

だから北原や小木曽とも、冬馬は距離をおいていました。このまま行けば、自分だけが傷つき、自分だけが逃げるような人間になれるから。もう、好きな人と親友を見て傷つかずに済むから。

その思惑が破綻するのは、北原もまた、自身を偽っていたからです。

⚪#11 Bパート

時は二月。冬馬の回想を終え”いま”に戻ります。

冬馬が進路に向け海外へいく。そんな「三人で過ごす」をもっとも安全に壊せる方法すら壊したのは北原でした。

北原は#10の時点で冬馬に会いに行きます。はじめこそ小木曽の誕生日会に冬馬を出席させたいから、という言い訳がありましたが、それも冬馬の海外行きを知ってからは意味を持ちません。

北原の再三の追求により本心を包む脆い壁が決壊した冬馬に残されたのは、「進路のために」という理由をむりやり剥がされた”三人で過ごす”を決定的に壊す本音でした。皮肉にも、北原の語った「本音で語り合える」関係になれます。

恋人でも、友達でもなくなってしまって。

【それぞれのキス】

・冬馬

冬馬の場合は前述で触れたとおり、相手が寝ている時にしました。ここから読み取れるのは、相手への伝えられない伝えたい想いの強さでしょう。

好意を伝えられないのは、なにも親友を慮っての葛藤が理由だけではありません、本心と離れた行動をついしてしまう冬馬自身の弱さもあります。もしも初めから面とむかって告白をしていたのなら、少なくとも冬馬に関しては逃げ出さなければいけないほどの苦しみを味わうことはなかったでしょう。

しかし、そんな行動をとれてしまったらそれはもう冬馬かずさとは呼べません。

伝えない選択の上で相手には気づかれない時間には伝えようとする。あのキスが正に冬馬かずさというキャラクターを表しています。

・北原

ここで語る北原のキスとは#11の場合を指します。

してはいけない状態だろうがしてしまう。

以前、冬馬に評された「リスク回避」は影もありません。それどころかこの瞬間はリスクを背負っています。特定の相手のためなら「リスク」が瞬間的に見えなくなっています。
これは愛の大きさと考えるより、このまま冬馬が離れていくことを許さない、繋ぎ止めようとする非常に身勝手な愛の発露です。

そもそも愛とは身勝手なものですが、愛以前に北原春希は身勝手な男です。それは学園祭でライブをするに至るまでの過程で明らかにされています。
小木曽への勧誘に彼女が隠していたバイトを持ち出そうとしたり、冬馬への勧誘に人の手を散々借りようとしたり、学園祭の実行委員会を手伝っている功績はあるものの、有無をいわせぬ説教癖もあります。

友人たち曰く「理解するのに時間がかかる男」。

その点については冬馬も同様の感覚でしょう。クラス委員として北原が話しかけてから冬馬が北原を意識するのには数ヵ月かかっていました。

そんな北原のキスは冬馬に突き放されて幕を閉じます。

その理由もまた、北原の身勝手さを象徴しています。だから今度こそ北原は冬馬を追いかけられません。離れて行く姿に手を伸ばすことしかできない。それは自らの身勝手さを、最悪な失恋という形で知ったからです。
失恋が最悪なのでない。現状を鑑みれば北原に限っては最悪な失恋という話です。

実直で頼れる身勝手な男。しかしその実、自己肯定感がかなり低い。あのキスからの出来事は、まさに北原春希というキャラクターを表しています。

・小木曽

ここで語る小木曽のキスとは#6の場合を指します。

「避けてもいい」という直前の台詞は相手に最終的な意思決定権を持たせる小木曽雪菜という業です。

後に本人の口から語られるように、一見委ねているようで、小木曽は相手も応じてくれると確信しています。それはなぜか。北原が実直な人間だと知っているからです。「仲間外れにしない」と宣言した北原が、学園祭後の熱気にうかれたあの状況で小木曽を突き放す訳がありません。

突き放す理由は北原にはあるはずなのに、それを小木曽は知っているのに、小木曽は迫り、北原は受け入れ、小木曽はそれすらも分かっていた。北原が好きな相手も北原を好きだから関係は続いていく、と理解している小木曽だからとれた大胆な選択です。

小木曽が思う北原は優しいので、北原は「自分から小木曽に告白した」と吹聴して回りました。

小木曽は交際が始まってもなお、冬馬との時間も求めます。それが結果として傷つけた冬馬への罪悪感だけが理由なら、冬馬もまだ突き放しようがあったでしょう。しかし小木曽は心から冬馬とも一緒にいたいと思っています。だから冬馬も一度は屋上ですべてを受け入れようとしました。

アニメでは母親からの連絡と屋上で冬馬と小木曽が話す場面のどちらが先かまではわかりません。ただ。冬馬はコンクールで自分が認められるとは思っていなかったことを踏まえると、どちらの場合もまだ結論を先伸ばしに、と考えていたのかもしれません。その結論=海外行きを冬馬が決断したのが、温泉旅行の帰り道だと私は思います。

小木曽はまだ#11時点では冬馬の海外行きを知りません。それどころか、自身の誕生日パーティーが始まるのをひとりで待っています。

誘った彼氏の北原、親友の冬馬は来ていません。
そもそもこのふたりだけを誘ったのは小木曽の策でした。北原には友人も来ると伝えています。

どうしてそんな嘘をついているかといえば、小木曽が冬馬に「本心」を強要しているから。

「冬馬が来ないと小木曽と北原はふたりきり」
あえてその状態を作り出すことで冬馬に揺さぶりをかけた。
だがら結果として、小木曽はまた「仲間外れ」になります。

我儘で強欲、思い遣りに溢れていて、人の気持ちがよくわかる。あのキスから始まる同好会のさよならは、まさに小木曽雪菜という葛藤を表しています。

【冬馬の構成について】

私がアニメWA2にはまった要因は数多くあります。

#1「屋上に立つ小木曽の夕焼けに染まる歌唱場面」
#4「電車を降りた冬馬の表情」
#6「小木曽が噛み締めた唇」
#9「ソーサーを静かに鳴らす冬馬」等など…

そのなかでも#10と#11の構成力は外せません。

北原春希から見て『小木曽雪菜は好き』であり、『冬馬かずさが好き』です。それが如実に表れているこの二話は何度でも視聴したくなると同時にもう視聴したくないとも思えます。

前話#10の終わりは、冬馬が北原にギターを教えようとする場面。
対して#11の終わりは、冬馬が傷つき北原から離れていく場面。
回想を経て『本心を偽った冬馬から北原へ近づいた』という事実が明かされたのち、『本心をさらけ出した冬馬が自ら北原から去っていく』。

冬馬を苦しめにかかるこの対比は、同時に北原をも絶望させ、視聴者すら苦しめます。水面下で進行していた冬馬の感情を一気に知らせ、もうどうすることもできない北原を描き、追い討ちをかけるようにそれまでの『冬馬かずさ像』を崩すよう泣かせその場を離れさせる。視聴者はただ悲しみの発露を呆然と目の当たりにすることしかできない。当然だ、ただの視聴者なのだから。視聴者はなにも出来るわけがないといういたって当たり前の事実が、わたしをWHITE ALBUM2に引き込みました。

★【楽曲紹介】

息抜きも兼ねて、ここではアニメWA2使用されている多くの楽曲を紹介していきます。

⚪「届かない恋 '13」(歌:上原れな)
《OP;#2 #3 #4 #5 #6 #9 #11》
この楽曲は、アニメWA2では殆どの回においてオープニングに使用されています。ゲーム版を「届かない恋」としているため、アニメ版では放送年を追加し「 届かない恋'13」としており、楽曲そのものにも手が加えられているため聞き比べるのも楽しいのではないかと思います。特別エンディングとしての使用については最後に語るので、ここでは映像が少しずつ異なる序盤について、わたしが気づいた違いを挙げるのみにします。

①「なぜだろう、気になっていた」
人の姿がない第二音楽室(#2)
・冬馬の目線(#3)→次のカットが北原なので冬馬の感情と推測。

②「誰より惹かれていた」 
・小木曽→←北原の目線の衝突。ふたりのみ(#2)
・小木曽→←北原←冬馬、三人の目線の流れ。冬馬は無表情(#3)
・小木曽→←北原←冬馬、三人の目線の流れ。冬馬の表情が葛藤へ変化(#4)

⚪「さよならのこと」(歌:上原れな)
《ED;#3 #4 #5 #6 #8 #9 #10》
アニメ「WHITE ALBUM2」のエンディング楽曲。この楽曲のみアニメ用に作成されているようです。
歌詞がよく、それぞれの感情を表しています。
特に
「君と出会わなければつらくないのに」
「君に出会えないなんてイヤだと気付いた冬」
は三人、特に小木曽が口に出していた感情と合致します。映像もシンプルな造りですがわたしは好きなので、見ていただきたいですね。

⚪「clossing '13」(歌:上原れな)
《ED;#2》
冬馬かずさ楽曲、と言っても良いのではないでしょうか。
構成上、冬馬の登場を印象づけた#2でかかるのがその証拠。とはいえ序盤で歌詞を深読みしすぎても楽しくないので、わたしは最後まで視聴し終えたあとにもう一度聞き直すことをオススメいたします。

⚪「深愛」(歌:小木曽雪菜(米澤円))
《劇中歌;#4(5:01~)で数秒鼻歌を歌うのみ》
『WHITE ALBUM』の楽曲。アニメ『WHITE ALBUM』ではオープニングにも起用されている。歌唱している水樹奈々さんは、この楽曲で紅白歌合戦にも出場しています。
WA2においては、小木曽が数秒間鼻歌を歌うのみの使用とされているが、発売されているアルバムでは一曲を聞くことができる。前作と比較されることもあるが、わたしはどちらも好きでした。

⚪「Free and Dream」(歌:上原れな・津田朱里)
《劇中歌;#7》
学園祭の冒頭、知らない生徒ふたり組が披露している楽曲。
実は「WHITE ALBUM2」と同ゲーム制作会社の別作品「ティアーズ・トゥ・ティアラ」のアニメ版OP。

⚪「WHITE ALBUM」(歌:小木曽雪菜(米澤円))
《劇中歌;#7》
もとはゲーム版『WHITE ALBUM』の楽曲。WA2においては、序盤で北原がギターの練習をしたり、小木曽が歌ったりしている、学園祭披露一曲目。

⚪「SOUND OF DESTINY」(歌:小木曽雪菜(米澤円))
《劇中歌;#7》
こちらもゲーム版『WHITE ALBUM』の楽曲。WA2においては北原が苦戦したギターの演奏が存在する。学園祭披露二曲目。

⚪「悪女」(歌:小木曽雪菜(米澤円))
《劇中歌;#2》
中島みゆきの名曲。WA2では小木曽がカラオケで歌唱していました。この曲は歌詞がとてもよく、紐解くと「相手を想うがゆえに悪女になりきれない人」を表しているとわたしは考えています。特に一番のサビは空港に向かうまでの小木曽を見ているようです。
”気にかけて”、”行かないで”。との本心を抑え込み、自分が一番の悪者だと語り一人泣く姿は、小木曽雪菜そのものと言ってもいいでしょう。

⚪「White Love」(歌:小木曽雪菜(米澤円))
《劇中歌;#8》
言わずと知れたSPEEDの有名楽曲。WA2では旅行の道中、小木曽が車内で歌っています。冬だから、にしてもこの選曲は冬馬も言っていたとおり小木曽らしさ全開だなと思います。”求める想い”の大きさと”つくす想い”の重さは、小木曽雪菜そのものです。また、有名楽曲であることから、小木曽雪菜が際立って可笑しいわけではない、一般的な感情の持ち主であることも言えるのかもしれません。

⚪「POWDER SNOW」
《挿入歌:#11(北原のギター、小木曽の歌のみ》
ゲーム版『WHITE ALBUM』の楽曲。こちらはアニメ「WHITE ALBUM」でも使用されており、水樹奈々さんと平野綾さんがペアで歌唱するなんとも豪華な演出なので、そちらもぜひご覧ください。
WA2においては飯塚武也も語っているとおり特定の人への想いを歌っている点に意味があります。

⚪「Twinkle Snow '13」(歌:津田朱里)
《挿入歌兼ED;#12》
冬馬かずさの恋愛ソング、と言えるでしょう。終盤までに口に出すことのなかった冬馬の感情。それは端からみれば恋ですが、本人にはその自覚はありませんでした。単に感情には気づいていても自覚しないことで現状を保っていたとも言えます。#10が嘆きのみなら、#12では嘆きに伝える意思のある告白も含まれます。そんな冬馬が明確に恋だと分類し伝えた想いのたけを肝心な時にはいつも降る雪と絡めた曲です。

⚪「After All ~綴る想い~ '13」(歌:上原れな)
《挿入歌;#10(#12は歌唱なし)》《挿入歌兼ED;#11》
アニメでは北原と冬馬が結ばれないことを予期させる場面でかかります。#11では曲とエンドロールとともに、「冬馬にとって北原との想い出の場所」が流れます。
この楽曲が初めてかかる#10のタイミングもあり、一番好きな曲だという人も多いのではないでしょうか。わたしもそうでした。(今は決められません)
なんと言っても前奏がとても良く、ピアノの音色は悲しみを引き立たせます。余談ですが一時期この曲を聞いて哀切増し増しダイエットという気色の悪い行いをしたところ成功したので、すぐ現実に影響するそこのあなたには変な意味でもおすすめします。
それより前奏。そして歌詞も冬馬の北原と過ごした日々を季節で示しています。
ふたりだけで過ごし恋をしたまぶしい夏、ふたりではなくなった寂しさ過り想い残る秋、想い届かずともいつまでも巡る冬。すべてが冬馬の心情を語る曲となっています。

いかがでしたでしょうか。
では、本編へ戻ります。

⚪#12『卒業』

悲劇的ともよべる別れの翌日から#12は始まります。
この話は、明確に5つの会話で構成されてると言っていいでしょう。

【それぞれの時間】

①小木曽と北原

北原を介抱するために小木曽が家へ来ています。北原は、小木曽を頼っていました。北原は前夜の行いの上で小木曽を頼るというのがどういうことか理解し後悔するなかで、小木曽は自身を頼ってくれたことを感謝します。

パーティーは開かれませんでした。
小木曽は「冬馬の本心を知る」を目的としてひとり作戦を決行していましたが、その意味もなくなってしまいます。

元々想定していたパターンは
1.小木曽雪菜と北腹
2.小木曽と北原と冬馬 のふたつ。

しかし北原の行動により、第三の形となってしまった。
3.小木曽のみ

ここでは、北原は冬馬について小木曽になにも語りません。海外行きも、自身の行動についても。
語るとなれば小木曽が自身から離れていくことは、北原の目線からしたら当たり前に想像できるはず。自分の裏切りで数時間のあいだに仲間をふたり失うのは、実直な北原に耐えられるはずもありません。とはいえ、それは説明をしない事実を正当化する理由になるはずもありません。そうした葛藤で、北原は小木曽への罪悪感を募らせます。それがプレゼントするはずだった指輪の入った箱を持ちうずくまる行為に表れています。

②冬馬と小木曽

北原が言わなかった「冬馬の海外行き」は、小木曽に対して本人の口から告げられます。理由は「母親と暮らすため」。小木曽はそれに対してしばらく思案します。そのあとに聞いたのは、「北原がそれを知っているかどうか」でした。

「春希くんには、話したの…?」
「話したよ。あたしの決断を尊重してくれるってさ。笑って送ってくれるって…言ってたよ」
「嘘だよ…そんなの」
(WHITE ALBUM2 #12「卒業」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

最後の小木曽は呟きはおそらく冬馬には聞こえていません。

わたしは、もしも海外行きをピアノコンクール終了後のカフェで告げたのなら、小木曽は泣きながら反対しながらも、最後は前向きに応援してくれたのではないかと考えています。

しかしこの場面ではちがう。なぜなら、小木曽は直前に様子が不自然な北原の体調不良を目の当たりしているからです。

小木曽の頭には、パーティーの夜、北原は冬馬と会っていたのではないか、と考えが及んでも不思議ではありません。そこで海外行きを聞いたのではないか。だから北原は様子がおかしかったのではないか。だからこそ最後の呟きに繋がるのではないかと思います。

「わたし、わたし…友達になれなかったかな」
「雪菜…」
「やっぱりかずさ、まだ」
「絶対にそんなことない。ありえない」
(WHITE ALBUM2 #12「卒業」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

ふたりだから通じる会話ですね。学園祭ライブの二曲目、視線だけで意思疏通していたのを思い出します。

漠然とわかるとは思いますが、

・小木曽は、「冬馬の好きな人=北原」を自分があとから奪ったと考えている。
・小木曽は、冬馬がまだ北原を好きでいるのではないか、と想像している。
・冬馬は、小木曽のしようとした発言を理解し、否定した。(先読みできてしまうことが、まだ好きである可能性の高さを強調している)
・小木曽は、冬馬の海外行きの本当の理由は「小木曽が北原と交際しているのを見られない」=「小木曽と北原から離れたい」だと考えている。
・小木曽は、もしもそうだとすれば、今いる場所から逃げ出そうとする原因を作った自分と冬馬は、友達になれていないのでは、と不安に感じている。

おそらくこのような心理があり、しかし言葉にはできず、抽象的な会話になったのだろうと想像します。

結果的にこの場は冬馬が場を収める力が一枚上手だったため,
なにごともなく終わります。

③北原と飯塚武也

復帰した北原は第一音楽室でギターを弾きます。
補足すると、この曲はWAで使用されてた曲となります。

飯塚武也もいうとおり、「別れた相手を想う曲」
しかもそれを第一音楽室でひくのは、北原が冬馬への想いを溢れさせているようなものです。

飯塚武也もそれに気づいていました。彼は基本ずっとしつこいくらいにイイヤツなので、北原に小木曽だけを見ろと言います。

北原は返事をせずにギターをひき続けました。
それは堂々と、まだ自分が冬馬を想っていると告げてるようなもの。

個人的には感情的な話としてここが一番、北原ってやっぱりよくないよ、となった場面です。

最後まで友人になにも伝えなかった北原のような男もいれば、なにもかも友人に吐露する小木曽のような女もいます。

④小木曽と水沢依緒

補足すると、水沢依緒は彼ら共通の友人です。


水沢依緒

北原がひくギターの音を聴きながら、ふたりは屋上で会話します。これは北原の冬馬への想いを聴きながら話すという冷静に考えればとんでもない時間です。

ここでは水沢依緒の問いかけや言葉が視聴者に近く、小木曽が語るのは小木曽のみにわかる心情ではないかと考えています。

たとえば、小木曽が同好会に入った理由とは
客観的にみれば加入をするに至った最終的な勧誘や、入るときめたきっかけが理由に該当すると思います。
だから小木曽の場合は、北原の勧誘、となるでしょう。
小木曽の歌に聞き惚れた北原からの強引な勧誘。
水沢依緒もそう語ります。

しかし、小木曽はそうは思っていません。

ここでも#8でも、小木曽は「自身が割り込んだ」と語っています。小木曽のなかにはずっとこの感覚が消えずに染み付いています。だから#5で冬馬が黙って北原とふたりで個人練習をしていたと知ったときも、冬馬は北原のためにやってたのに、とすねる自分を謝罪していました。

同好会への加入は北原の勧誘によるものでも、その前から小木曽はふたりに割り込んでいた。正式な加入といえば北原からだが、ふたりと過ごすという面では小木曽が自ら率先して加入していた。

だから同好会に自分がいたのは、自分のせい。

これが小木曽の心理です。

同好会への加入だけに限らず、小木曽はこれと似た思考で北原との交際についても語ります。

「でも、春希が雪菜を選んだんじゃないか。それを今さらどうこう言っても、始まらないだろ?」
「告白したのが、私からだとしたら?」
「え?」
「そしたら春希くん、私をふるかな? 自分の気持ちと私の気持ち、どっちを優先するかな?」
(WHITE ALBUM2 #12「卒業」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

#7で学園祭ライブが終わった夜、最終的にキスをする選択をしたのは北原からでした。しかし、あれは小木曽から迫っています。同好会への加入よりも、もっと直接的に小木曽は動いています。

どちらも偶然に「北原から選ばれた」のではない。
同好会への加入は「ふたりと過ごしたい」
告白は「北原と過ごしたい」と考えていた小木曽が近づいたために起きた出来事だと、そう語ります。

小木曽が語る北原の本当の気持ちとは「冬馬への好意」でしょう。しかし北原は小木曽の「仲間外れが怖い」も知っている。告白の直前、喪失を恐れていた小木曽を突き放すような真似が北原にはできないことは容易に想像できます。

これが小木曽と北原のふたりだけの話であるのなら、さして影響はなかったかもしれません。

でも、冬馬かずさがいます。

小木曽は、利己的な動きが最終的に冬馬を遠ざけたのではないかと考えます。考えるというより、もはや確信に近い感覚でいますね。

さらにここでは、小木曽が冬馬のキスを目撃していたことも明らかになります。

#7で小木曽が急に北原に迫った理由。
#8で小木曽が言いかけた「冬馬さんがあのとき」(#8
1:48~)の続きがこの部分です。

#8の【小木曽の本心 Ⅰ 】において、小木曽は「冬馬→北原」と推測しているから申し訳なさそうにと記載しましたが、小木曽にとってはもう推測ではなく確定的だったというわけです。それは後ろめたい気持ちにもなりますよね。

なにより、小木曽の推測があたっていた(#7でキスを目撃した時点で「冬馬→北原」が確定していた)ことによって、小木曽自身の行動にも意味が与えられてしまいます。
「夢が覚める」とは、あの瞬間だけは北原がどちらのものでもないから三人で過ごせる時間であり、冬馬を忘れるというなんとも恐ろしい行為だったのでした。

加えて、北原が明かりをつけようとしたのを止めた小木曽は、床に溢れた冬馬の涙を見せまいとしたのです。しかし、そもそも床に落ちた水滴を見て涙と気づく人間はいるでしょうか?おそらく小木曽は冬馬の涙だと気づかれるのを直接的に恐れたのではなく、それがなにか一瞬でも疑問に思う北原に対して、自分は言い訳ができないと感じ明かりをつけるのを止めさせたのではないでしょうか。

「人の気持ちが分からなくて、答えが分からなくて壊してしまったんじゃない。人の気持ちが分かってて、皆にとって、一番良い答えが分かってて、けれど、それが私にとって一番幸せな答えじゃなかったから、壊した。そんな、とんでもないエゴイストなんだよ」
(WHITE ALBUM2 #12「卒業」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

これも漠然とはわかりますが、

・人の気持ちとは、「冬馬←北原」「北原←冬馬」の好意。
・皆にとって一番良い答え=「冬馬と北原が交際。仲間,友人,親友として、小木曽も共に過ごす」
・私にとって一番幸せな答え=「小木曽と北原が交際。仲間.友人.親友として、冬馬も共に過ごす」=「現状」
・壊した=叶うはずだった冬馬の恋を叶わなくさせた。
・エゴイスト=小木曽が自分の幸せのために、起こりうるはずであった「皆にとって一番良い答え」を拒否し、自らの手で「現状」へと塗り替えた。
・自分の幸せ=「北原との交際」だけでなく、「仲間はずれではない=三人での時間の継続」

このような意味合いでしょう。

友人に対して話さない北原とは対極的に、小木曽は次々と感情を口にします。

小木曽の印象として、「言葉にしてから感情を形に整える」というものがあります。一先ず感情を口にして、そこから自身の行動とを紐付けしていく。

楽しそうでセッションに混じり歌い一緒になって音を奏でるというただそれだけの動きに、「割り込んだ」という感情をあてはめ、《楽しそう》すら《醜い感情》にすり替えてしまうのが、小木曽の葛藤です。

小木曽が葛藤を語っても、水沢依緒は「冬馬の海外行き」とは関係ないはずだ、と言います。

仮に関係があるとしたら冬馬の行動を「イタい」「本気」と形容する依緒の言葉は、小木曽を守ろうとしたわけでもなく、冬馬を批判したわけでもないでしょう。ただ、それほどの愛情を抱く間の存在が信じられないという驚きだけに満ちています。

「あり得ない」という否定は、もしもそうだとしたら小木曽がどうあるべきか分からない、という思考放棄の一歩手前かもしれません。端からみて戸惑うのなら、渦中のそれも罪悪感がある小木曽が葛藤するのも当然だとも言えます。

⑤北原と冬馬

卒業式に冬馬は出席しませんでしたが、小木曽の机には手紙が残されていました。その事実を知った北原が冬馬を求めて駆け出します。

本当は、ここで北原と小木曽は真剣に向かい合って話し合うべきだった。

小木曽は北原の本心を知っていてまだ黙っている。
北原は小木曽を裏切ったのにまだ黙っている。

話し合いにはならないかもしれない。苦しいだけの高校生活の終わりになるかもしれない。けれど、言葉を交わせば少なくともここから起こる出来事に比べたら傷は浅く済んだでしょう。

冬馬を探し回る北原に、小木曽はずっと連絡を取り続けますが、出てはくれません。

以前、北原が伝えてくれた「離れない」という言葉に、小木曽はすがるしかありません。すがった言葉と現状の整合性がとれていない事実が、さらに小木曽を苦しめます。

北原は、冬馬からの受電はすぐに受けます。ここで北原は、はっきりと冬馬への好意を本人へに告げました。

この瞬間、北原は本当に小木曽を裏切りました。

冬馬は北原からの告白を受け止めません。このまま去ろうと、思い出から湧く澄んだ感情のみを語り、決別を宣言しようとしますが、それも出来ません。

曖昧な感情の行方は、明確な裏切りを行った北原の感情の強引さに屈します。

北原と冬馬のふたりは、真正面から向き合いました。

冬馬はこれまで自身の心を言葉にしてきませんでした。拒否反応は示してきましたが、だいたいは照れ隠し。嬉しかったり恥ずかしかったりしたときには言葉にしています。でも小木曽から問われた本心については、ここに至るまで口にはしていません。

そんな冬馬だから、たとえ見つめあっていても、電話越しに声だけとしてなら、本心を伝えられたのです。

学園祭以降の冬馬に閉じ込められた感情が溢れたとき、直前の北原の告白もあり、ふたりは両想いとなります。そこではじめて、北原も冬馬に触れます。

冬馬が自身を名前呼びさせるのは、裏切りの意思表示、もしくは小木曽の存在をいまの時間だけは忘れる罪を背負う覚悟を表しているのではないでしょうか。

#8冒頭で小木曽に”かずさ”と呼ばせたとき、冬馬は「一人くらい」とその存在を語っています。

名前呼びが親密度の高さをうかがわせるというのなら、それを北原にさせるのは、「冬馬→北原」の好意が「小木曽→北原」への好意よりも小さくはないという証明であり、唯一呼ばせていた小木曽への、友達ではいられないという表明にも繋がるのではないかと考えます。

雪の降る夜に、ふたりの美しい恋愛模様。

それはふたりにとって、小木曽雪菜という恋人で親友を、裏切り続けることでしか紡げない時間でした。

⚪#13『届かない恋』

いよいよ最終話。

語るのは【それぞれの選択①~④】と【小木曽の本心 Ⅱ】
そして、【届かない恋】について。

【それぞれの選択 .Ⅰ 】

冬馬との別れの日、渋る北原を強引に連れ出し、小木曽はふたりで空港へ向かいます。そして物語は終わりへと向かうのですが、まずはその過程を追っていきます。

①冬馬の選択《制服の第二ボタン》

云わずと知れた、卒業式にのみ意味をもつ学生限定の好意アピールアイテム。#12では友人の早坂や飯塚武也もそのアイテムについて話しています。

北原は結局すぐに冬馬を求めて学園を出ていったため、ボタンを小木曽には渡していませんでした。付いたままの第二ボタンを持っていったのは、冬馬です。しかも冬馬は、第二ボタンだけに限らず第一ボタンまでをちぎりとっています。ブレザーのボタン数は計二個なので、冬馬が独り占めしています。

飯塚武也も言っていたとおり第二ボタンから順に渡していくものであるなら、二つしかないものを二つともを奪うということは、北原の好意を自分だけのものにするような行いになる。

冬馬にとっては大切な土産であり、もう言葉にできない最大級の愛情表現です。

その独占欲は、小木曽に渡せないという意味合いにもなりますが、冬馬の心情としてそこまでは考えてはいないのでは、とも思います。事実的にそういう意味になるとはいえ、北原を誰のものにもしたくないという幼稚な抵抗に近いのではないでしょうか。

その幼稚さが、結果的に海外行きという逃げ場を選択させ、最後まで小木曽と本心からの言葉で交流することを諦めさせました。

②小木曽の選択《空港へ》

卒業式から一夜明け、小木曽は北原の家を訪れます。部屋の状況から、昨日になにがあったかを察するのは容易でしょう。

絶望に一瞬足を踏み入れた、壁に置いた小木曽の手が力を失い垂れ下がる場面(#13 5:20~)をわたしは繰り返し見ました。

それなのに小木曽は、北原に怒りを見せず共に空港へと向かいます。

この選択は、北原の《小木曽にすべてを告白する》という選択を受け入れてなお成し遂げようとする意思の強いものでした。

理由は「冬馬に言いたいこと」があるため。
その内容は、葛藤や後に語られる本心から、冬馬への謝罪だと断定できます。

小木曽はこれまでずっと冬馬に本心を要求してきました。それでも語らないのは冬馬の勝手でもありますが、小木曽が北原と交際を始めてからは、明確に言えなくなります。

冬馬が本心「北原への好意」を口にすれば、小木曽を傷つけるからです。つまり小木曽は、散々本音を要求しながら、本音を閉じ込めることも暗に強要していたのです。

小木曽は「北原を奪った」との感覚が強くある。冬馬は祝福すると言ったが、その言葉を一切鵜呑みにしていない。それなのに自分は北原との関係は切り離さず継続していた。そうした矛盾した行動、ある種友人への裏切りを、小木曽は謝ろうとしていたのではないでしょうか。

③北原の選択《駆け出す》

空港に着いたふたりのうち、北原が冬馬を見つけます。そして、駆け出します。この場面は本当に凄まじく、何度見ても、もう笑っちゃいます。

話は、見つけるという想いの断片から。

空港に着いてから、
北原は、「きっと冬馬が自分をもう見つけている」と考えます。

そこで彼が思い出すのは、
学校の教室。
隣の席同士だった北原と冬馬。

北原が冬馬を見ると、冬馬は顔を背ける、といった流れが見受けられます。嫌われているか偶然で処理しようと思えば思える些細な出来事でも、想いを確かめあった北原にとっては別の意味をなす。

「冬馬も、自分を見ていたのではないか」
その疑念が、空港ではきっと自分より先に見つけているのではないか、という思考に繋がりました。

これまで先に見ていたから”いま”も自分を先に見つけているだろうといったただの《推測》ではなく、これまで先に見ていたように”いま”ももう何処かで自分を見ているという《期待》であり、だから自分が探さなければいいだろうといった《諦観》ではないか。

駆け寄った北原を突き放しきれない冬馬は、結局受け入れてしまいます。小木曽の前で。

これは冬馬の《小木曽の親友ではなくなる》
そして北原の《小木曽を一人にする》という選択も同時に含まれています。

そしてなにより北原が駆け出したこの構図は、もう三人でいられないという現状を表します。

小木曽はこれまでずっと、自身を「割り込んだ」と表現していました。それは同好会としての立ち位置にも表れています。

それだけではありません。三人で過ごす際も、小木曽は仲裁の役割を担っていました。学園祭ライブ前に撮った、北原が待受にした三人での写真にもそれは表れています。

WHITE ALBUM2 1話「WHITE ALBUM」より引用/(C)PROJECT W.A.2

両隣に、恋人「北原春希」と親友「冬馬かずさ」をもつ中心人物「小木曽雪菜」にぴったりの写真です。

同時に、これらは見方を変えると

「ふたりのあいだに割り込んだ小木曽雪菜」

にもなります。

北原が駆け出す前と後の立ち位置を比べると

『冬馬 小木曽 北原』
『冬馬 北原 小木曽』

これは「ふたりのあいだに割り込んだ小木曽雪菜」を外す。すなわち、『小木曽を仲間はずれにする』行為となります。

形だけでも小木曽を見ていたはずの北原が、小木曽ではなく、小木曽の目の前で「北原→冬馬」にはしった意味は、恋人としての裏切りよりも、「三人で過ごす」を破壊した意味合いの方が大きいでしょう。

教室のようにたとえ視線が合っても、冬馬がそらしていれば。
北原が求めてきても、冬馬が受け入れなければ。

小木曽の謝罪を得て、曖昧な、もう会うことはない同好会の元仲間としての三人で、お別れできたかもしれません。

【小木曽の本心 Ⅱ】

④を語る前に、空港へ向かう電車内で小木曽が語った本心を紐解いていきます。

彼女は「割り込んだ」「仲間はずれが怖い」という両方の感覚をずっと抱いています。
これは、決して釣り合いの取れない感覚です。

「割り込まなければ二人に追いていかれ一人」=「仲間はずれ」になるので、恐れる小木曽は「割り込む」しか選択肢がない。

「二人に置いていかれる」と思う要因は幾つかあります。

Ⅰ.『ギターとピアノのセッション』

小木曽は同好会加入以前からふたりのセッション聞いていました、息があって楽しそうで、小木曽ははじめから二人が親しい間柄だと考えていた。だから北原のピアノの正体を知らずにセッションしていたという事実に驚き、#3で冬馬が北原を意識していると知っても想定内だった。

小木曽が関わる前から、ふたりにはふたりだけの時間が存在していた。

それでもはじめは、「学園祭ライブに向けての練習」という明確な会う理由が存在した。

Ⅱ.『学園祭の終了』

小木曽にとって学園祭の終了は、これからの関係継続に関わる重要な分岐点となります。それでも、同じ舞台で同じ輝きを浴びたという事実が、彼女にとって「三人での時間」を存続させるには充分だという思いがあった。だから学園祭終わりでは水沢依緒に、「暫くは三人で」と語っていた。

決断の先伸ばしでもあり、全員にとってより良い道を模索する時間稼ぎでもあった。

しかし、時間は稼げないことを知ってしまった。

Ⅲ.『冬馬の言葉ではない告白』

小木曽にとって、なにより「二人に置いていかれる自分」を意識した出来事になります。

小木曽にとって「三人の時間」は、「冬馬と北原が互いに告白をしない」という前提の元で成り立っています。それは小木曽が求める「三人の時間=自らが仲間外れになっていない時間」だからです。

そうでなければ、北原と冬馬が交際しようが友人・仲間関係は維持できます。でも、小木曽はそれが不安で仕方ない。一度ともに過ごした関係の輪から自分がいない時間が存在することが怖くて仕方がない。

だから彼女はあの瞬間、選択を迫られました。

「自分が仲間外れの三人」か
「自分も仲間のまま三人」か

自分のことだけ考えれば、勿論、後者を選びます。
小木曽も後者を選びました。

けれどこの二つの選択肢は、同時にふたり(北原・冬馬)への裏切りが付いてきます。

本当の選択肢は

「ふたりの気持ちを叶え、自分が仲間外れの三人」か
「ふたりの気持ちを奪い、自分も仲間のまま三人」か

ふたりの恋心を知り、だからふたりは離れられないとわかっているからこそ、小木曽は後者を選択した。

だから小木曽は自らを#12で『エゴイスト』と評しています。
”皆にとっての良さ”ではなく”わたしにとっての幸せ”を優先したから。

北原の『裏切り』は、小木曽にとってはこれだけの経緯を得ても想いあったふたりの致し方ない行動となります。

「ごめんね。春希くんのこと好きだったけど、でもかずさほど、真剣じゃなかったよ」
(WHITE ALBUM2 #13「届かない恋」より書き起こしによる引用 / AQUAPLUS (C) PROJECT W.A.2)

「真剣」という言葉は、おそらく水沢依緒が冬馬の恋心を「本気」と評したことに由来します。同時に、はじめから”ただ好きだった”冬馬とは違い、散々な感情の経緯を得てしか告白していない自分の醜さを表しています。

自らの裏切りを告白した北原にとっては、責められるより苦しい言葉。庇い、卑下し、自分と、かずさまでもとっくに許している。

小木曽にとっては、感情として優しさではなく、嘘でもない言葉でも、このときに言葉にした優しさと、嘘はあります。

じゃあ、どうすればよかったのか?
小木曽は数ある起点のなかで、自身と北原の出会いを述べます。

しかし彼女らは、出会いは失いたくないと宣言します。

”がんじがらめ”から脱出する”はじまりの喪失”すら拒む彼女らに残るのは、”現状の曖昧な破壊”のみです。

【それぞれの選択 .Ⅱ】

④小木曽の選択《これから》

小木曽は冬馬と言葉を交わすことなく場面は次へと転換しました。ここではやりとりがなかったものとして話を進めます。

電車内で残された小木曽の選択は、先ほども述べたとおり”現状の曖昧な破壊”のみです。

もしもこれが”完全な破壊”であるなら、救われた人もいるかもしれません。

それは小木曽にとって、怖れていた「仲間外れ」に飛び込むことであり、「割り込んだ」という事実を解消するというための儀式になります。

つまり、「三人での時間」を解消するため、ふたりから離れることが”完全な破壊”だとわたしは考えます。

そのための、冬馬への謝罪、北原を返し、小木曽は「三人の時間」への固執から脱却し、冬馬は小木曽を憎み、北原を愛す。

けれど引き返すには時間が遅すぎました。冬馬はもう海外への旅立ちを目前としています。

なにより、小木曽もまた自身の恋心を強く自覚してしまいました。

冬馬を強く求める北原を目の当たりにして、小木曽は俯きます。

行動と感情をない交ぜにし、愚かな自身を反省ばかりしていた小木曽ですが、確かに「小木曽→北原」という純粋な好意も存在していました。

「仲間外れになりたくない」から「北原に告白した」
完全な真実ではありません。

「恋人になりたい」から「北原に告白した」
完全な嘘ではありません。

”割り込んでしまった”そして
”利用して想いびとを奪った”、冬馬への《罪悪感》
”利用してまでも奪いたかった”、北原への《好意》
”仲間を壊してでも仲間外れになりたくなかった”小木曽の《未熟さ》

それらすべてが、小木曽の葛藤です。

冬馬と言葉を交わせずとうとう現状を破壊する機会さえ失い葛藤を抱いたままの小木曽へ最後に残された選択は、曖昧に破壊された現状への”停留”でした。

明確に冬馬を想う北原からさえも、小木曽はとうとう離れられませんでした。

【小木曽の構成について】

#10Bパートではすべては冬馬の方が先だったと語ったが、北原と冬馬に以前からの関わりがあることは伏線やときには映像として視聴者にははっきりと伝えられている。

それでもわたしは無意識のうちに小木曽をはじめの出会いと捉えてしまう。

#1→#2という放送どおり視聴すれば自然な認識かもしれないが、ここにアニメWA2への魅力の一端がある。

#1で一話かけ小木曽をヒロインと認識させることで、のちの展開でも彼女への注意を引き続ける。

結果として、最初と最後で出会いの立ち位置は正反対になっていた。

#1 学校の屋上「小木曽←北原」
#13空港の屋上「北原←小木曽」

冬馬と北原ではなく、視聴者が見続けてきた#1から始まる小木曽と北原によって、”いま”という物語は終わりを迎えるのである。

同じ、"空を見上げる《場所》"で

"違う《空》"、を見上げる場所で"。

★【届かない恋について】

WA2の特徴は、『三人で仲間』であり、元から『ふたりは両想い』だった点だろう。

一方、届かない恋とは、『北原が作詞し、冬馬が曲をつけ、小木曽が学園祭で歌唱した曲』であり、また『北原が冬馬を想い書いた詩』である。

本作の特徴は、『届かない恋』という曲が辿る変遷と同じ。

ここでは最後に、『届かない恋』を連想した北原と、歌唱する小木曽について考えてみる。

①「届かない恋」と「小木曽と北原」(学園祭まで)

学園祭で披露するまでの彼らにとって「届かない恋」はなんだったのか。

作詞した北原にとっては前述したとおり、告白の原型、或いは想いの残滓といったところだろう。何れにせよ冬馬への想いを綴っていることに違いはない。

「届かない」というのは、北原が自身に抱く「俺なんか」という自己肯定感の低さが表れている。

普段はそのような思いはないように見受けられるが、冬馬に対してだけは違う。北原は冬馬に対してだけは”かっこいい”と憧憬の眼差しをおくっていた。

総じて北原にとって「届かない恋」は
「届かない《と思い込む》恋」を表している。

では、小木曽にとってはどうか。

小木曽からすれば、好きな人《北原》が好きな人《冬馬》を想って書いた詩を歌うわけだ。

心理的に辛いのは間違いないが、「自身が仲間外れになる曲」とも感じている。

ここでの「仲間外れ」は、「三人」どころか「北原とふたり」=「北原と交際」すら無くさせてしまう意味を持ち、小木曽にとって、ひとりぼっちを強く想像させる。

だから#6ではほんの瞬間、感情を閉じ込めようとする葛藤が表面化していた。

総じて小木曽にとって「届かない恋」は
「届かない《で欲しい》恋」という心情を表している。

②「届かない恋」と「小木曽と北原」(#13)

それぞれが本音を言葉にするまで
「届かない恋」とは
北原にとって「届かない《と思い込む》恋」であり
小木曽にとって「届かない《で欲しい》恋」だった。

だから心情としては
『冬馬→←北原 ←小木曽』でも
形としては
『冬馬→ 北原→←小木曽』となった。

しかし#13に至る頃には、形が明確に変化した。

北原は冬馬と想いを確認しあい、小木曽は自身の恋心を眼前の裏切りにより強く自覚した。

新たな形は、空港の屋上によく似ている。

飛行機で離れて行く”冬馬”
立ち止まり空を見上げる”北原”
その背中に寄り添う”小木曽”

心情は同じ
『冬馬→←北原 ←小木曽』でも
新たな形は
『冬馬  北原 ←小木曽』となった。

「届かない恋」はこの瞬間

北原にとって「《もう手の》届かない恋」となり
小木曽にとっては正真正銘「届かない恋」となったのだ。

甦る学園祭の記憶。

北原にとって【届かない恋】という曲は、それまでと同じ意味をもちながら発展形となった。

そして小木曽が歌う【届かない恋】。
学園祭では「冬馬を想う北原」としてのあくまで借り物の感情が宿っていただろう。
しかし、いまはもう違う。借り物ではない《嘆き》を歌う曲として、【届かない恋】は《小木曽雪菜のもの》となったのだ。

この最終話#13EDで流れる映像は#1~#7の部分しか使用されていない。北原と冬馬は#1以前から出会っておりその回想は#7以降で語られる。つまり《#1~#7》という範囲は《小木曽が過ごした最高の日々》という側面が大きい。

その映像に流れる小木曽雪菜の《届かない恋》だ。

曲の表記も普段ならキャラ名の後ろに声優名も必ず記載されるのが通常の仕様だが、この回だけはちがう。

   「届かない恋」
    歌:小木曽雪菜
   作詞:北原春希
作曲・編曲:冬馬かずさ

粋な表記であり、あまりにも余韻が残る表記だと、わたしは感じた。

【最後に】

アニメ「WHITE ALBUM2」を初めて視聴してからだいたい一年ほどが経過しました。これほど長いブログを書くとは、去年には思ってもいなかったです。なんだったら初見時はそれほどはまってもいなかった。ただ#1や#5や#10といった、なんとなく気になる回をひたすらに繰り返し視聴した結果、いつのまにか五万字を超える文字数のブログを書いていました。

これから視聴する人のなかには、当然アニメ「WHITE ALBUM2」が合わない人もいるでしょう。
わたしは寧ろ合った人にこそ注意していただきたい。

初めはそれほど…と感じた人間が一人こんなことになったのだから、初見で魅力を感じた人がどれ程はまってしまうか、また現実に精神的な影響を及ぼすかも分からない。

更に、恐ろしいことにゲームには、アニメ以降の物語を描いた続編が発売されている。というか「WHITE ALBUM2」は三部作(公式には二部作)であり、アニメはその序章となる第一部しか描かれていない。

アニメの終わりが苦しいというのに、続編ではあの状況のまま数年が経ち新たにヒロインが三人加わる大学生編だ。体験して損は無いでしょう。ゲームで続編を体験するなら、アニメ部分に該当する第一部をゲームで再体験するのもひとつの手だと思います。

また、AQUAPLUSの公式サイトに掲載されている丸戸 史明書き下ろしショートノベル「届かない恋、届いた」を読むと、興味が増すか一段と理解が深まるかもしれません。

続編はともかく、今回はなによりアニメを視聴された方、なかでも熱い感情を抱えた方がいましたら本稿に「こんなもんじゃWHITE ALBUM2の良さは足らないよ!!」とコメントしていただきたいです。

そうなれば、このブログを書いた意味が生まれます。

すべてをお読みになられた稀有な方、すでに視聴していて気になる箇所だけ読んだ方、未視聴の方、これから視聴する方。

どのような人にこのブログをお読みいただけるか想像もつきませんが、せっかくなら大勢の人の目に触れれば嬉しい。考察に関しては違う意見も当然あると思いますので、感想としてコメントを送信してもらえれば幸いです。

ここまでの長文、駄文をお読みいただき、本当にありがとうございました!

最後に、僕はかずさ派です!

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