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㊗️千穐楽!CEDAR Produce Vol.11「夜への長い旅路」 熱演をありがとうございました✨

酷暑の真夏の本読みからの長い長い旅路、関係者の皆さま、9月24日千穐楽、おめでとうございます👏👏お疲れ様でございました。
アメリカの劇作家、ユージン・オニール(1988-1953)晩年の作品で、1912年当時の家族との一日を赤裸々に描いた自伝の戯曲。
オニール家を「タイロン家」に置き換え、登場人物はそのまま家族を当てています。

詳細は、是非こちらへ!


待ちに待った初日から、相乗効果がぐんぐん増して、千穐楽は気迫がMAXにこもっておりました✨

大変な戯曲、膨大な台詞の会話劇に果敢に挑んだキャスト5名の皆さま!
エドマンドの松本幸大さんは奮闘されていることを表立って感じさせないクールな今どきの好青年の魅力が素敵で労わってあげたくなるし、その兄ジェイミーは酒と女に依存するどうしょうもないひとでも、桧山征翔さんご自身はとても誠実な好印象のギャップが新鮮、この兄弟の両親への愛が美しかった。またドラマのなかで、家政婦キャスリーンの越後静月さんの明るさには心底救われてホッとします。各々の魅力が光っていてとても素敵で、懸命な姿に演劇の将来は明るい!と感じたのは、私だけではないでしょう。

長く応援させていただいている長谷川初範さんは、ジェイミー&エドマンド兄弟の父親で、俳優のジェイムズ・タイロン役を演じられました。

ーーアイルランドからの移民で、幼い頃に父親を亡くし、家族を養うため10才で働きに出た苦労人。その後、俳優の修業をはじめシェイクスピアを演じた折、共演した有名俳優の目に留まると勢いに乗る。当たり狂言を買いとり、各地を巡演する日々を送る一面、土地は株より確実な資産になると、土地を買い求め大地主の顔を持つようになったーー

この境遇を、映画「アイリッシュマン」の世界から役づくりのコンセプトに加えてアプローチされたと、ご自身のFacebookに綴っていらっしゃいます。
日ごろ財布の紐は固いが人付き合いは良く、家族への愛は果てなく深い、ヨーロッパのマフィアを彷彿とさせる純白のスーツに、おしゃれなレッドのナイトガウンのお姿✨が本当にお似合いで、翻訳のト書きのジェイムズは……!長谷川さん⁉︎と思ってしまいました。

今回改めて感じたのは、人にはその年代の役割や醸し出す味があるということ。
舞台に登場されると、役の人生がみえてくるような奥行きがオーラのように感じられるところが、この作品の大黒柱たる存在、これは人生を数多経験した方でなくては出せない妙!素晴らしいことですね。長谷川さんが積み重ねてこられたものの年輪を感じます。そして、爽やかな風が薫るような、ならではの魅力が素敵でした。

そしてそして、妻のメアリーです!
国内では大竹しのぶさん、麻実れいさんと名女優が演じてこられた役、今回は彩輝なおさんの底力を魅せつけられました✨
声色や、中毒症状の落ち着きのなさや感情の起伏の激しさを表現する技術、観るものを惹きつける魅力には拝見するたびに圧倒されておりました。
(一幕最後の孤独な姿には、毎回涙しておりました…)

夫に、肺を患ったエドマンドを失う怖さを訴える場面、2番目の子を幼くして亡くした哀しみが蘇ってくるメアリーの台詞。
ーー過去は現在じゃない? 未来でもある。私たちはすべての過去に嘘をつこうとするけれど、人生が忘れさせてくれない…ーー完全一致してないですけど💧この台詞こそが、作品のテーマのように思えるのです。

Eugene O'Neill Quotesより

家族である前に、人は"個"であることが痛いくらい伝わってくる、家族は一番身近で甘えられる存在だから、喜びを分かち合えるときもあれば、言葉にしてはいけないことを投げつけ、傷つけ、そして後悔することも現実にありますよね。

アフタートークの折の、演出の松森望宏さんがお話されていたことを是非書き留めておきたいです。この物語の後、信心深い母は、療養所では治らなかった依存症を修道院で克服し、エドマンド(=オニール)の肺結核も治るのだそうです。
そのため、原作では皆がうなだれて終わるところを、息子エドマンドが母を抱きしめて終わる希望への幕切れの演出に、旗揚げ公演時から変えられたそうなんです。

私はこの終わり方はとても好きだし、CEDARの 旧Twitter=Xでは作品解説を発信し続けておられました。この探究の姿勢が観る側への配慮に繋がって嬉しいし、芝居をつくる側の本来あるべき姿だと思います。

公演は名残惜しくも終わりましたが、今でも物語の世界観をセンスよく表現した舞台美術や神聖な音楽、的確な照明で彩られた舞台が甦ってきます。最後のバイオリンの音色の弦は、松森さんが言われる家族の鎖・絆にも感じられ、切なさが込み上げてくるようです。
どうかまたタイロン一家と元気な家政婦さんに会えますようにと、願ってやみません。

オニールが3番目の妻、カーロッタ・モントレーに捧げた「血と涙で書いた」魂の戯曲、実際描き終えた1940年、家族は次々旅立った後のことでした。
現実世界でも戯曲でも皆が苦しむ、不運にも亡くなした幼い命ーオニールはその後に生まれているので会えてはいないのですが、その存在も含めた繋がりも"家族"。
作品研究をされている方々からはご意見を頂戴すると思いますが、この戯曲は波瀾万丈な人生の終着駅をみつけ、オニール自身も病に苦しみながらようやくすべてを受け入れられたとき、かけがえのない家族の生きざまを遺しておきたかった、彼の愛情なのではないかーと私は感じます。

貴重な舞台を全身全霊で創り上げた皆様に感謝🙏ありがとうございました💐




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