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ほんとは人が好きなのかもしれない ~映画『オットーという男』をみた~

かつて、あんまり人間が好きではないと感じていた時期がありました。
今思えば、自分のことが好きではなかったこと、自分を卑下する気持ちを抱いていたことが大きく影響していたのかもしれません。

好きではないというか、怖かった。
さてじゃあ現在はどうなんだいというと、うーーーーん……
「私って人が好きなんだよね」と明るい笑顔で言う人にはちょっとした違和感というか警戒感を抱いてしまうかもしれない。
そういう人たちには多くの割合で、他者の弱さや痛みを想像できなくて踏み込みすぎる人が多いと経験から感じているからかもしれません。

人間は争ったりマウント取り合ったり、自然や動物に悪さをしたり。
うんざりすることがいっぱいいっぱい、いーーーーっぱい。
けれど複雑なもので、「人類」みたいなくくりだと「好き」って素直に言えないところがあるけれど、身近なあの人、この人、友達、家族…みたいに人類から近いところの人にズームしてくと、好きな人たちばかり。

「人間が好き」と堂々と言えなくても、周囲の人たちと深く交流できることが幸福につながることはすごく理解できる。
弱さも傷も、あることを認めながら優しくしあうことはできる。
自分が単純に人間嫌いなわけじゃないと認めることができるのは、息をするのをだいぶ楽にしてくれたような気がします。

映画『オットーという男』の主人公オットーは、妻を亡くしたことから…もしかしたらそれより以前、妻にとある不幸な出来事が起こったくらいから周囲に対して怒りを抱え心に壁をつくるようになった男。

妻を亡くした自分の人生には意味がないと絶望していたけれど、お向かいに引っ越してきた家族とやむをえず関わり始めてから、生活がどんどん変化していきます。

向かいの家族のペースに巻き込まれていく様子がとてもユーモラスに描かれつつ、少しずつ、近所のさまざまな人々との交流も取り戻していくなかでオットーの顔つきが変化していくのが、さすがトム・ハンクスといった感じで素晴らしいです。

人はやっぱり、狭い範囲でも少ない人数でも、誰か気にかけてくれる人たちとの間で笑ったり話したりしながら生活することが幸福につながるんだと、あらためて感じずにはいられませんでした。
(全員がそうかは知らないけど、少なくとも私はそうで、多くの人がそのタイプなんじゃないかしら)

友達といえるほど仲良しじゃなくっても、職場の人たちやときどき顔を合わせるお店の人たちなど、自分に親切に優しくしてくれる人って、案外たくさんいるものです。
それは快適にその場をやり過ごすためのライフハックなのかもしれないけどそれでも、私に笑顔と優しい言葉をかけるという労力をかけてくれてるわけで。
私はけっこう、本気で興味のない人には興味ないそぶりを見せてしまうようなので(若い頃よりはちょっとはマシになったみたいだけど)、ちゃんと親切にしてくれるっていうことはその程度のことはしてもいいと思ってくれてる証だと感じている。

たまにそのことを考えると、しみじみと「ありがたい…ありがてぇよ」と思うことがあります。
そういうことを時折噛みしめていくのは悪くないと思うな。

オットーが、「それでも生きる」ことを覚悟し、周囲の人たちと向き合って優しさを渡しあって信頼しあう姿はとても感動的でした。
どうせ生きていかないといけないなら、優しい世界のなかで生きていきたいもんね。
非常に素敵な映画でした。
もとになった北欧の映画も気になります。

余談ですが、夫と鑑賞したのだけど、オットーが妻を非常に愛し亡くなったことを深く悲しむ姿を見て「私が死んだらここまで悲しんでくれるものかしら」とそっと横をチラ見したい気持ちになったのでした。
ちょっとは泣いてたみたいだけど、何を感じたのかな。

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