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2022年映画「ある男」

原作、平野啓一郎の映画。原作を読んでからプライムビデオで観た。原作に忠実でイメージどおりに映像化されていたので何となくほっとする。今年1月に原作を逸脱した内容でドラマ化し作者が自死するという悲しい事件もあった。作者の意図を無視するとは言語道断であると私は思う。

2022年9月に原作を読んで深い感銘を受けた。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えるこの考え方を「分人主義」と呼ぶ。これまでの自分、今の自分は間違っていないと確信を持てたような気がした。

殺人者の子供として生まれ違法に戸籍を変えて生き直したかったX。在日3世として居心地の悪い人生を歩んできた弁護士の城戸。亡くなった夫(X)が全くの別人であったことを知る里枝。里枝が城戸に亡き夫の身元調査を依頼すると、城戸はXが本当は何者なのか自身の人生と重ねX探しにのめり込む。

親ガチャという言葉が流行った時期があったが子供は親を選べない。親が殺人者ならば自分も殺人を犯してしまうのではないかという恐怖。親が在日ならば偏見の目で見られる違和感。私個人で言えば父親が自死しているから自分も自死の衝動に駆られるのではかいかという不安。まっさらに生まれ変わって生きてみたい、 誰しもが持ったことのある感情ではなかろうか。例えば美男美女の親から生まれ容姿端麗な体で生きたいとか、才能のある親から生まれ、努力だけでは叶えられない者になって生きたいとかetc。

戸籍を変え殺人者の子供から解放され、里枝と結婚し穏やかに暮らすXは、Xとしての本当の自分を生きた。それは戸籍を変えなくとも一人の人間の中にはたくさんの本当の自分がいるものだと思う。私の中にも複数のわたしがいてどれも本当の自分であり、それぞれ懸命に生きていると思う。城戸にとってそれは「現実逃避」と自ら言う場面があったがそうだろうか。ラストシーンでは妻の不貞を知りバーで初対面の客と他人になりすまして雑談をしている。城戸もまた他人になりすますことで別の本当の自分を生きてみたかったのではなかろうか。

人ひとりの人生とはちっぽけなものだ。だとしてもそれぞれが物語の主人公である。物語はひとつではない。私たちはたくさんの物語の主人公として生きている。

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