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薬漬けだった頃のお話


♡お薬のこと♡

今日は「向精神薬」の体験の話をします。

一般的に風邪をひいたり、インフルエンザになったり、肌が荒れてしまったりして、病院を受診すると処方される「お薬」。わたしも365日中360日体調不良の人間なので、よくお世話になっています。加えて父親の仕事がMRということもあり、小さい頃から「薬を服用する」ということに抵抗がありませんでした。

前回の記事「いち。」で書いた通り”いつ死んでもおかしくない診断”と時を同じく、わたしの投薬治療が始まりました。ここで大切なのは、当の本人は何よりも治したい!と思っているということ。

最初はおそらく適量の処方だったと思います。睡眠導入剤・抗不安薬・抗うつ剤…

ちょっと多いかな?って思っても、治すためには飲まなきゃいけないんだ!と思っていました。調子がいい日は大学に行って、講義を受けてから、病院に行き3時間待ってやっと診療……そしてお薬を処方されるのがルーティーン。

♡今日寝て、明後日目が覚める。。。♡

そして3ヶ月ほど経った頃、なぜだか徐々に調子が悪くなってきて、気がついたら明後日目を覚ますようなこともしばしば……。この頃には「起き上がること」が難しくなっていて、東京に両親が交代で来てくれていました。

「実家で療養しなさい」がごもっともな意見だと今は思います。だけどこの時のわたしは、一度東京を離れてしまうと、もう戻ってこれないような気がして、残ることにとても重点を置いていました。そしてもうひとつの足枷が、完璧主義者の典型……「入学したんだから絶対に卒業したい」という強すぎる意志。

話を戻して、父親が来てくれた5月中旬のこと。この頃のわたしの薬の量は大体10種類7〜8錠を1日3回になっていました。職業柄、疑問に思った父親は一緒に病院に行って処方の意図を聞きたいと言って、病院に同行。長い待ち時間の後、案内された診療室で事件は起きました。

わたしの記憶はかなり曖昧で、ぼんやりする頭で見ていた光景と、父親から聞いた話をつないでいくと……。

♡まさかの全消し!!♡

「この薬はどういった意図で処方されていますか?」という父親の問いに主治医は「お嬢様が辛いとおっしゃった症状を改善するために処方しています」と言いながら今までの処方してきた薬の履歴を全て抹消しました。

あまりの非常識な行動に開いた口が塞がらない父親と自己防衛に走った精神科医の攻防戦が始まったのを、ぼーっと眺めていたのを覚えています。

何を言っても答えず履歴を消し、証拠を隠滅した精神科医に、しびれを切らした父親は、「お前のところに娘は二度と受診させない!」と言い、わたしを連れて診療室を後にしました。わたしは「お薬手帳」をつけていなかったのですが、処方される際にもらう袋に薬の銘柄が全て手書きで書かれていました。というのも本来であればPCで入力し印刷するのですが、処方量が多すぎて書ききれないのでかなり小さな文字の手書きになったものです。

♡療養で東京を離れるという考え方♡

状況を見かねた父親が、「退学する」のではなく、療養で「東京を離れる」のはどうかと提案してきました。その頃の実家は秋田県。休学届けを出し、秋田に少々滞在することになりました。普段起き上がれないわたしにとって、当時飛行機にのるということが体力的にかなりきついものだと痛感したのをよく覚えています。

今は問題なく飛行機にも乗れますし、なんなら船の運転もできます(笑)。ここまで回復できたのも、東京を離れてやってきた秋田で、優秀なお医者様に出会わせてくれたからです。

”薬局の封筒”という証拠を持ってとある小さな診療所を訪ねました。いわゆるおばあちゃん先生というやつです。父親が証拠を提示するなり、叫び出すおばあちゃん……(※先生です)。理にかなっていない処方にご立腹でした。

簡単に処方内容をまとめると………

★落ち込んだ時に飲む薬と、テンションが上がりすぎた時に飲む薬の同時処方

★とっても強い睡眠導入剤

★とってもとっっても強い向精神薬

★下剤(……??え?)

1週間に1回起きれたらマシな処方だと言っていました。それにしてもわたしの記憶が曖昧なのも相まって、下剤の謎が深まりますね。そしてこれを毎日飲んでいたので、お腹も本当によく壊していました。わたしが治して欲しいのは便秘じゃなくて頭です。切実に。

♡いる薬といらない薬♡

次に薬の選別がなされました。今の症状と必要な薬のバランスをとっていただきました。しばらくこの診療所に受診した後、大きな病院に紹介していただくことになっていたので短期処方ですが、とってもシンプルな2種類の薬になりました。

メイラックスとレンドルミン

毎朝起きて10錠弱の薬を飲まなくて良くなりました!今となってはこれが、喜ばしいことだと思えますが、当時のわたしは「大量の薬がないこと」が不安になっていました。なぜなら「治すために飲んでいるのになんで取り上げられるのか」がわからなくなっていたから。これに輪を掛けて、大きな病院ではメイラックスも消去されて、レンドルミンのみの処方になったのでわたしの不信感、怒り、悲しみ、色々な感情が加速していきました。

♡ここからが本当の勝負♡

ひとつだけ忘れないでいただきたいのは、うつ病は的確な診断・処方の元、投薬をしなければならない場合もあります。処方されたお薬を独断で断薬すると症状がもっとひどくなってしまう場合もあります。

あくまで過剰投薬のわたしの体験談なので、的確に処方されている方は、しっかり用法容量を守って服用してくださいね!

さて、精神薬の怖いところは増やすのは簡単なのに、減らすのはとても大変だということ。増やされすぎた結果、記憶をはじめ、時間、判断力、生活リズムなど、取り戻すのに手間のかかるものをたくさん失いました。自分のしっかりした判断力が戻るまで、苦難の道でした。

「薬がない不安が正しい道」だと気付けるようになるまで多くの時間を要しましたが、両親の献身的なサポート、カウンセリング、断薬を踏み切ってくれた主治医、たくさんの支えのもと精神薬を抜きました。

特に大きな意味をなしたのは”カウンセリング”でした。

薬で症状を一時的に改善する(というより現実逃避させると言ったほうが正しい表現な気持ちにもなりますが……)よりも、考え方を少しいじって変えてみることは長期的な治療にもかなり役立ちました。

前述した通り完璧主義な性格なので、小さい頃からテストで98点取れたら、「なんで2点分間違えちゃったんだろう……」と考える人間でした。可愛くないちびっこですね。このある種、考え方の歪みみたいなものを解消していくことに注力していきました。

カウンセリングを重ねていくうちに、カウンセラーの方との信頼関係を築くことができ、判断力・生活リズムも本当に少しずつ戻ってきました。ロールシャッハテストを始め、色々な心理検査を行い、医学的に症状や病名が証明されたことで投薬をしなくても治せるという自信にも繋がりました。

あれから4年経った今でも、薬漬けは回避できています。もちろん、必要な薬は最低量を飲むようにしています。あの後無事に復学し、大学に行けたり行けなかったりしながらトータルで6年かかって卒業しました。そのまま東京で就職をし、生活をしています。

新卒で入った会社で超絶パワハラにあったり、転職してうつ病なの接客業についたり、ツッコミどころが満載の20代の人生を送っています(笑)。

♡さいごに♡

重複しますが、「断薬=正しい」というわけではありません。いろんな精神疾患を抱えている人が薬の処方で改善されることも事実です。ただ一番大切なのは、信頼できるお医者様のもとで、治療と向き合うことだと思います。

薬に頼るのではなく、人に頼ることの大切さが身にしみました。わたしの両親は本当によき理解者です。薬漬けにされた後に出会えた主治医やカウンセラーの方も真摯に向き合ってくださり、周りの人に恵まれていました。

一人ではとてもできなかったと思います。わたしもそうでしたが、精神的な問題はとても口外しにくかったです。まだまだ世間的に理解されているわけじゃないし、両親にでさえ軽蔑されたらどうしようと思い、上京してから2年間言えませんでした。

「そういった類の話ができる信頼できる誰か」がもしいれば話を聞いてもらうでもいいし、もし周りに信頼できる人がいなければ、「身体からのサインだけは見逃さないこと」が大切だと思います。

完璧主義者のわたしがあえて戒めのためにも文字にしますが、「2点取れなかった自分を褒めてあげること」を忘れないようにしたいと思います。ちなみに、未完成のまま記事を公開することもリハビリだと思っています☻。





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