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不幸自慢は身を助ける

不幸自慢。
自分の身に降りかかった不幸をなぜか自分の存在価値かのように話してしまう。

以前、飲み会で誰かが、「私はこんな過去があって大変だったんだ〜」と発言すると、堰を切ったように俺も俺も、私も私も。と不幸自慢が流布された。

成功を自慢するのはよく聞く話だが、案外不幸を自慢することも実際としては多いと感じた。


不幸自慢をなぜしてしまう??

なんで、不幸自慢なんかしてしまうのだろうか。

一般的には弱い部分を見せるのは、弱者認定されたり、腫れ物扱いされたりとネガティブなイメージを持つことが容易に想像できる。

しかしながら、実際としては違う。

弱さを露呈するのは、即ち弱者認定ではなく、「コイツはそんな暗い過去を持ちつつも今懸命に生きてるんだ」と1目置かれる存在になる。

それを理解してしまい不幸自慢をしてしまうのだろう。

また、不幸自慢はとても気持ちいいものだ。

暗い過去を話すだけで、自分があたかも何者かになったように錯覚してしまう。「何者か」にこだわる現代人にとっては、不幸自慢は妙薬になりうるのだろう。  

不幸自慢のメリット・デメリット

・メリット

メリットは上にも書いたように、自身の存在意義の確認、話すことによってのフラストレーションの解放などが挙げられる。

・デメリット

デメリットは、「なんかめんどくさいヤツ」と他人だけでなく、自分でも思ってしまうことだろう。
単純に、ネガティブな面でしか主役になれないと感じてしまうと、メリットのひとつの存在意義の確認の効果を薄めてしまう。

それ即ち、自己肯定感の低下に繋がる。

不幸自慢は気持ちいい

デメリットは書いてみたものの、やっぱり不幸自慢は気持ちがいい。話している時は、頭がスッキリとしているし、聞いているひとの神妙な面持ちがなぜか面白く感じてしまう。

そんな所に、フラストレーションの解放が結びつけられるのだろう。

とは言っても、不幸自慢は現実逃避の手段でしかない。なにも解決しない。

そのまま、不幸自慢の快感の津波に押しつぶされて、自他に弱者認定されるだけだ。

逃げてもいいじゃない。

不幸自慢の快感は波に似ている。ある人は、波に上手く乗れるだろうし、ある人は溺れてしまうだろう。

あくまで逃避の方法の1つ。

逃げて逃げて逃げまくったら、その先に財宝があるかもしれない。もしくは、無人島があるかもしれない。

逃げ切った先になにか見えるかもしれない。

今生では逃げる=恥に繋がりやすいが、逃げる=死にはなりにくい。

ホントにイヤだったら一目散に逃げればいいのだ。

現実逃避の手段として

話は脱線したが、今回は「不幸自慢」について書いた。ひとつの現実逃避手段として描いたが、他にも方法はある。

とりあえず、今の現状に耐えきれない時は逃げよう。

そして、波が過ぎ去ったら1歩踏み出してみよう。話はそれから。


ではまた。

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