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やっぱり、「スゴい‼︎」と言われたい‼︎


昨今、承認欲求を持つことがダメなことだという認識が広まっている。
他人から「スゴい!」「いいね!」の言葉をもらうために、なにか行動を起こすことがあまり良くない、というのだ。
心理学者のアドラーも、「承認欲求を否定せよ」という認識を残している。

確かに、SNSのサービスが始まってからというもの、あまりよろしくない動画や画像が増えたのは事実だ。(代表例は、寿司ペロやバカッター)
そして、その原因は、存在悪とされがちな承認欲求であることが多いだろう。
( そう、「誰か」に見てもらい、面白いと思ってもらうために、さして面白くもないことをやる羽目になってしまうのだ。)

また、承認欲求の足枷は自分にもつけられる場合もある。他人の目を気にし過ぎてしまい、本来の自分を出せなかったり、逆に無理して自分を作ろうとしたりする。
私の場合、飲み会の帰り「なんであんなことしたんだろう、、」と、ひとり反省会をするのがザラにある。

辛い。。(自分で枠を作っているだけなのに、だ)

やっぱりコレは承認欲求という悪魔のせいなのだろうか。
承認欲求は人生から排除するべきなのだろうか。
誰かにスゴいと言われるために、行動するのは悪なのだろうか。

良い結果が出るならば、動機は不純で良い

上の問いに対してのこたえは、どう考えてもNoだ。

いちいち動機を気にかける時間のほうがもったいない。その時間があったら、すぐに何かを始めた方がいい。(僕なんかは、褒められたい、がほとんどだ)

多くの人が、承認欲求に対して悪い印象を持っているのは、SNSなどの局所的なところを拡大して、「悪だ」と捉えているからだろう。
または、容姿や恋愛の問題でギクシャクした過去を持ったりしているからだろう。

ただ私は、承認欲求=悪ではないと思う。

その理由は、僕の経験にある。(ダヴィンチも「自身の経験を最重要視せよ」と言っているので、あやからせてもらう)

というのも、私の人生が、承認欲求のおかげで上手くいっていると感じているからだ。

例えば、部活では、野球の強豪校で替えのきかない存在になり、勉強ではゼロからのスタートで、国立大学に入学もできた。日々の挑戦では、毎月新しいことを5.6個始めることができている。

ただただ他人に認められたいから、以前の自分とは比べ物にならないくらい頑張れるのだ。

また、承認欲求があるものの方が、継続しやすいのも実感している。(筋トレ・絵は10年ほど続いている)

また、一般的な話になると、モテるためにファッションを学んだり、可愛くなるためにメイク・ヘアセットを学ぶことは、多くの場合良い方向に転ぶだろう。
この場合、何もかも、承認欲求のおかげで上手くいっているのだ。

となると、私はそんなに承認欲求クンを無下にすることはできない。
この子のおかげで、死ぬ気で頑張れるからだ。

そうなると、承認欲求を「否定するもの」と認識する必要はないんじゃないだろうか。何より、自身の欲求の否定は、後々の暴発にもなりかねないし、窮屈だ。

承認欲求を味方に!!

それならば、どうするのか。
「上手く乗りこなす」という認識が有効だろう。

一度ここで承認欲求のデメリットを数えてみたい
・SNSなどでいいね!をもらうために、無駄な時間を過ごす
・他人のできるところと、自分のできない所を比較して、嫉妬し、劣等感を持つ
・他人の目線が気になって、大勢の前で手を挙げれない

こんな所だろうか。軽くまとめると、承認欲求があるせいで、時間を無駄にし、落ち込み、チャンスを逃す、というわけだ。

そして、それらの嫌な結果は、基本改善されることはない。
理由は、単純明快

他人に認められるために、全く努力していないからである。

SNSでいいね!をもらえないのも、自分の不得意が多いのも、チャンスを手に入れることができないのも、大衆に認められようと芯から思ってないからである。

逆に、承認欲求をもっと活用して、「スゴい」と思われるために、努力するのだ。そうすれば、いつの間にか、承認欲求の波は収まってくる。

努力の種類は多岐に渡るが、ひとつ「モテる」というカテゴリーだと、話し方、姿勢、目線、声のトーン、自分の顔と性格の分析、などが挙げられる。

また、そんなことをしていると、承認欲求のために変なことをしてしまうのではないか、と思うかもしれないが、そう言ったことは起きない。

なぜなら、ある程度の段階にくると、自分の理想を追いかけるようになるからだ。そうなると、他人の目は気にしなくなるから。

見る角度次第で、どうとでもなる


承認欲求の存在は、辛い。全く満たされないし、誰かが満たしてくれるわけではないからだ。

ただ、だからと言って、承認欲求をなくそうとすることは、いい手段ではない。その意識は、欲求の逆流を招くからだ。(下手なダイエットと同じだ)

そして、承認欲求をなんとなく「悪だ」と捉えることも、自分の生活を狭くする。罪悪感が、己の無力感を加速させるからだ。

となると、手段は一つ、承認欲求を飼いならすことだろう。
他者に認められるために、承認欲求クンを燃料にすれば、いつの間にか成長ができている。

結局は、その方が健全だし、楽しいと思う。

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