見出し画像

マンゴープリンとバリカン

 そんなこともあったなあという回顧。

 ◆ ◆ ◆
 社長につれられて、ベトナムで働く社会人がたくさん集まる会合に出席した。たくさんのひとと名刺交換をするのだという社長の命令のもと、手当たりしだいに名刺を配った。
 適当に座った円卓のとなりには、先日訪問してあいさつをしたばかりの社長が座っていた。いまいち人柄がつかめなくて、どんな会話をしていいかわからなかった。
 酒をみなで飲み始め、司会者が話をして、バイキング形式でごはんをとる。社長が「カレーがおすすめ」と言うので、刺身や寿司はいっさいとらず、カレーだけを大盛りでよそった。おかわりをしたら、量をまちがえてしまい、半分ぐらいでおなかが苦しくなってしまった。どうしようと考えて、気分を変えるためにマンゴープリンをとってきた。
 苦しみながらもマンゴープリンを食べていたら、なつかしい感覚があった。
 そうだ、この状況は、高校2年生の秋にもあった。

◆ ◆ ◆
 僕の高校2年生のとき、3年生に「マンゴープリン先輩」と「バリカン先輩」がいた。僕と僕の友達何人かだけがそう呼んでいただけだが。
 高校2年生の秋、文化祭の打ち上げで地元の焼肉屋でクラス全員で行った。食べ放題コースで、みんな楽しみながら食事をしていたとき、先輩のクラスも離れた席で打ち上げをくり広げていた。
 僕の友達がたまたまそのクラスのひとりと知り合いだったらしく、高身長の男子の先輩がひとりやってきた。僕が調子のことを言っていたら、なぜだかマンゴープリンをたくさん食べることになってしまった。食べ放題メニューに入っていたマンゴープリンを先輩がとんでもない量を注文した。そして、僕の目の前に積まれた。
 おなかがいっぱいになりながら、マンゴープリンを食べ続ける僕。注文した先輩のとなりには、いつのまにかもうひとり知らない先輩がいて、ふたりがマンゴープリンを僕に強要する。おなかの苦しさと、先輩からの圧力で胃袋と心が悲鳴をあげていた。
 全部食べ終えた僕は、マンゴープリンがトラウマになっていた。そして、僕と僕の友人は、マンゴープリンを強要していた先輩を「マンゴープリン先輩」と呼ぶことにした。

◆ ◆ ◆
 その年の年末、外がすっかり暗くなった放課後の教室で僕は友達とどうでもいい話をしていた。そのとき、マンゴープリン先輩が教室に入ってきた。
 彼は、秋の打ち上げのあと、ときどき僕の教室に来て、もとから仲のいい後輩や僕になんやかんやと話しかけてきた。トラウマがそのたびによみがえり、ぎこちない笑顔しか浮かべられなかった。
 しれっと入ってきたマンゴープリン先輩のとなりには、あの打ち上げで僕にマンゴープリンを強要していたもうひとりの先輩がいた。その先輩は、短髪でがっしりとした体でジャイアンのようだった。おそろしいという点でもジャイアンと同じだった。
 そして、どうしてなのか、僕の髪をバリカンで刈るという話になった。マンゴープリンのとなりの先輩が「おれ、バリカン持っている」と言って、自分のリュックからバリカンをとり出した。なぜリュックにバリカンが入っているのか全員わからないが、結局、僕のうなじの毛がほんの少しだけ刈られた。泣きそうだった。
 このときから、僕と僕の友達は彼を「バリカン先輩」と呼ぶようになった。

◆ ◆ ◆
「バリカン先輩、電車に乗っているとき、礼儀正しくリュックを前にかかえて両足閉じて席に座っていたぞ」
 あと数か月で僕も高校3年生となる1月ごろ、僕の友達がそう言った。あのジャイアンに、そんな丁寧な一面があった。少しだけ恐怖感が薄れそうであったが、やはりあのバリカンの音と笑い声が忘れられなくて、恐怖感は払拭できなかった。
 そのあとの3月、マンゴープリン先輩とバリカン先輩の代の卒業式があった。卒業式も終わり、在校生が座っているあいだを卒業生がゆっくりと歩いて体育館を出ていく。歩いているひとびとの顔をぼんやりながめていると、バリカン先輩が見えた。彼は、鼻をすすりながら小さく泣いていた。
 驚く僕は、しかし少しだけ心が軽くなっていた。

◆ ◆ ◆
 ベトナムの会合ももう少しで終わりをむかえようとしていた。となりに座っていた人柄がつかめていない社長は、ビールで赤くなった顔で僕に上機嫌で話しかけてくる。明るくて話しやすいひとなのだと僕は知った。
 そうだった、バリカン先輩は、自分の卒業式で、僕に大事なことを教えてくれたじゃないかと思い出した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?