フォリア工房の和装についての考え
フォリア工房、そして代表の仁平幸春の、和装への姿勢です。
文化面
「いわゆる呉服」は、古臭く、水商売臭い、美術団体や呉服業界などの閉鎖的価値観で作られ着用される日本の衣類=「日本の伝統の本筋から切り離され、日本の伝統の亜種となってしまったもの」と考えています。
「和装」は、染色・染織以外の日本の伝統とも連動し、機能する立体的な存在であり、同時に現代日本の様々な文化、並びに日本以外の文化とも共鳴する「伝統と新しさが交差し、かつ同時に存在するもの=本来の伝統的衣類」としています。
フォリアは「和装」を提供したいと思っております。
日常生活で、現代人が自然に恩恵を受けている伝統を明快に可視化し、現代人が伝統を再発見するきっかけになるような作品を制作したいと思っております。
伝統と似たもので「伝説」があります。「伝説」は昔の価値観を分かりやすく物語にしたもの・・であれば有用ですが、伝統自体を伝説化し、権威化してしまったものは有害です。本来の伝統と「伝説化してしまった伝統」を篩にかけ、伝統のみを残します。
また、伝統的な文化でも、既に文化的寿命を終えたものもあります。それを変に伝統だからと「古くからあるものだから良いものなのだ」として検証なく使ったり、伝統だからと延命させるのは、良くないと考えています。それは、扱わないか、再構築して新しいものとして復活させるかになります。
技術面
現代、文様染においてプリント技術が高度に発達し、デザイン、いろいろな耐久性、経済性、発展性からいって、多くの手作りのものを凌駕するものが増えています。
そのなかで「現代、わざわざ手作りする意味はあるのか?」という事になると「手作りでしか出来ないこと」を掘り下げて行く必要があります。
「手作りだから価値がある」ではなく「磨き上げた技術と感性による手作りでしか出来ないものだから価値がある」ものでなければならないと考えています。
後進の育成は、染色教室ではなく、プロとして、職業人として教育し通用する人材を育てることを目的にしています。
さらに、業界の現状に耐えられる人材に育てる事。
分業が基本である和装染色の業界においては、それぞれの分野のどれか一つが廃業してしまうと、連鎖的に機能不全を起こし制作を断念せざるを得ないことが起こります。零落する染色業界において、それは良く起こる事です。
フォリアでは、技術的に高度に、ひとりでほぼ全ての加工を行う事が出来るので、そのような事態になっても巻き込まれる事がありません。その技術とシステムを、後進に伝承すれば、技術の伝承は可能です。
染色技術のみではなく、日本文化や世界の文化についての教育、自営業者として生きるための実践的教育もします。
フォリア工房が制作する和装について
本当に個性的なものは、汎用性と相対するものではありません。そこに矛盾が起こらないのです。そのヒントが、伝統には沢山あります。
フォリアではそのようなものを制作しております。
お客さまの箪笥の和装資産が、新しく制作された現代和装の刺激によって新しい価値を産み出し、活性化する事。それを起こすことが、現代和装を制作する者の使命と考えております。
例えば、お客さまがお母さまから引き継いだ着物をお持ちだけども、柄行がちょっと古いな・・と感じるので着ていなかった。しかし、そこに現代の帯を合わせてみたら、古い着物も現代のものとして着られてしまう・・そのような事を起こせるのが、和装の面白さです。日本文化は「取り合わせの妙・取り合わせの楽しさ」がとても重要な要素ですから、そのような事を起こせるのです。
フォリアでは、個人表現のための着物を作品と称して芸術品扱いする事を正しい事とは思っておりません。和装は、お客さまが実際に身に着けた時に最大の力を発揮するように作られていなければなりません。衣桁に飾って見栄えの良い風景画のような着物は誰のための着物なのでしょうか?
流通面
これは工房だけで出来る事ではない、大きな事ですが、常にその意識は持って良い方向に出来ないかを模索しております。
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