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現代美術疲れ?

最近、近代絵画の展示会や、博物館などにある国宝をまとめた展示会に、以前とは違う熱気を持って多くの人が訪れている気がします。

これは個人的な感覚ですし、全てに当てはまるとは全く思っておりませんが、昨今のそのような流れは、無意識ではあるけども社会の人々に「現代美術疲れ」があるから、昔ながらのストレートでシンプルな作品に触れたくなっているのかなあ・・・などと思うのです。

既に評価が確定された安心して観られる近代、そしてもっと昔の名品はずっと人気ではありますが(人間は既知のものと権威が大好きですからね)しかし、鑑賞する人たちの心の奥の部分に「理屈抜きに、ただ美しいもの、ただスゴイものに触れたい、観たい」という欲求があるように感じるのです。

一般社会の人々からすれば・・・私もその一般的感性の普通の人間ですが、現代美術という、今では別段新しく感じられない分野の作品?が街に、メディアに、ウェブ上に溢れ過ぎていて、嫌でも目に入り、何とも言えない違和感でモヤモヤ・・・もうそういうのは飽きた、フツーの美術品や工芸品を見たいよ!みたいな感じ・・・普段美術館などに行く人たちは、一応は美術関係に興味のある人たちですから、現代美術関連のものも普段から目に入って来る機会が多いですから。

分野にもよりますが、また、もちろん全てがそうではありませんが、現代美術はあまりに煩雑かつ作品規模も思想展開も大掛かりになり過ぎて、お笑いの分野で言えば「高度な笑い」みたいな矛盾を抱えてしまった気がします。過剰な作品の文脈云々が実に面倒臭いし、そういうのを野暮ったく感じます。

だから、世の中的に、例えば絵なら「なんだかいろいろ面倒臭すぎて、もうフツーの額縁に入った形式の、フツーの画題のフツーの絵で充分ですわ・・・」という揺り戻しが来てるのかなあ、なんて思うのです。

もちろん、新しい試みや実験的な作品制作は大いにやるべきなのですが、なんだかそういう本質的な創作とは違う、悪い意味でのビジネスが関わっているものを新しい美術作品としている違和感は常に感じます。

私は、新しもの好きですし、知らない物事があれば知ろうとするし、違う文化のもので試せるものであればスグに試す人間ですが、基本的に保守的な人間です。特にそれを恥ずかしいとは思っておりません。

私は、保守的な姿勢というのは、過去の価値観やしきたりを変えないのではなく、常に先端をチェックし観察しながら【時代の先端を取り込むかどうかを熟慮し、取り入れる場合は伝統と配線し、しっかりと血肉化する柔軟かつ骨太なもの】と考えておりますので、保守的である事を自認してはおりますが「観る・捉える」事に全く支障が無いどころか、その方が本当に新しい物事と広く深く対面出来るとすら思っております。

それはともかく・・

私は最近、現実社会が人間のイメージの世界の具現化である美術分野の世界よりも変な方向に行っているように思うので、逆に美術分野ぐらいは、フツーのものでいて欲しい、ぐらいに思ってしまいます。(道徳的なものが良いという意味ではありません)

世の中が、ビジネス化した人権とか先端思想とされるものに振り回され過ぎな気がします。

・・・それは本質的に全然先端ではないですよね。まして芸術家がそんなものに流されたり振り回されていたりしたら・・・ましてその先導者だったら、それこそおかしな話だと思います。


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