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2023年棟方志功展に行った

先日、工房構成員の甲斐凡子と、東京国立近代美術館にて開催しております「棟方志功展・メイキング・オブ・ムナカタ」に行ってまいりました。

棟方志功については、私が小学生の頃にブームがあったのか、NHKなどで良く観た気がします。小学校の美術の教科書にも載っていたりで私にとっては親しみのあるものでした。

それと、デパートその他で良く展示会がされていましたので、私は色々な場所で作品を目にしておりました。大人気の巨匠でしたから、まとまった画集なども既に刊行されており、それらも目につくものはだいたい図書館などで観ました。かといって、少ない小遣いから画集を買う程にファンというわけではなかった感じです。

いつものように「棟方志功像」をしっかりとテレビや本から刷り込まれている少年でしたから、青森から東京へ出てきて苦労して成功した人、眼がすごく悪い人・・・作品は実に騒々しくて民藝臭くて、人物は作品と似て騒がしくて面白くて勢いのあるオッチャン、という風に把握しておりました。

私が高校生ぐらいになると西洋的なものや先端ぶったものにかぶれて、志功の土着的でパワフルな作品をちょっと恥ずかしく感じる時期などがありまして(中二病ですなあ)一時はあまり興味を持たず、という感じでした。

その頃は、池田満寿夫の洋風に洗練された版画の方が好きでした。ただし、1960年代後半から1970年代最初期ぐらいまでのもの限定で好き、という感じです。それは今も好きです。高校生の頃は銀座の画廊で良く眼にしました。その後の陶芸その他の創作はものによって好きなものがある、という感じです。小説も一応読みました。

うろ覚えですが、池田満寿夫が棟方志功のような作品を「あのような日本土着的な古臭いものを日本代表みたいに世界に発信されるのは恥ずかしい」みたいな事を書いているのをどこかで観た気がしますが、記憶違いだったらすみません・・・

でも、今になると当時最先端だった池田満寿夫よりも、日本土着系的で野太い棟方志功の方がモダンに観えるのが面白いですね。池田満寿夫の色々な作品は、昭和のメディアと流行モノの臭いがどうしてもこびりついているのです(個人の感想です)

棟方志功も当時のメディアに乗って広まった人ですが、表現や思想自体はメディアに合わせて変えなかった気がします。

棟方志功は昔から大人気作家ですが、10年ぐらい前に(2023年時)デパートで販売されているのを観たらかなりの高値が付いていたので、シコー人気は今も根強くあるんだなあ、と思ったものです。

そして、久々に観た棟方志功の作品で棟方志功を再発見しました。

以前感じていた日本土着系表現・民藝系表現、テレビや本で観て私に刷り込まれた「棟方志功像」ではない、知性やエレガントさや創作背景の分厚さと広さが観えたからです。

あ、これはもう一度シコーを観直さなければ!と思いました。

「メディアに洗脳されていた私の精神と感性を、作者の作品自体が直接浄化してくれた」わけです。

いつものように、前置きが長くてすみません・・・

そんなこんなあった後に、東京国立近代美術館にて棟方志功の大規模な展示会があるという事で、久々に観に行った次第であります。

それは今まで観た事が無いぐらいに大規模なものでした。ただでさえ圧の強いシコー作品の大作や代表作が大量展示されているので、もう、鬱陶しくなるぐらいでした(←褒めてます)一週間毎日通って少しずつしっかり味わうのが理想と感じる質と量でした。

上記の通り、私は子供〜若い頃に何度か展示会に行った事がありますが、その当時に観た時よりもずっと圧倒されました。素直に感動しました。いやあ、シコーは色々な面でスゲエと。若い頃には分からなかった事が創作のキャリアを重ね、理解出来るようになっているのを感じました。

そして、最近の東京国立近代美術館のキュレーションの良さによって、新たな視座を得られました。変に作者を伝説化する事なく物語を作ったりもせず、キチンと取材し観察し、事実から作者と作品の実像をあぶり出すという感じで・・・本当に最近のキュレーターは優秀ですね。図録も良いです。(画像、文章共に)

棟方志功の版画作品は「〇〇の柵」という題名が付けられている事が多いですが、「創作の勢い、内容、アイデア、色々なものがギュウギュウ詰めにその柵に詰め込まれている感が凄い」です。圧倒的なエネルギーに満ちています。

今回の展示会では、志功自身の世渡りの面と、作品と、両方の「計算高さ」が良く出ていました。(もちろん良い意味)

志功は、かなりの人ったらしだったと思います。友達も多く、若い頃から色々な人たちに支援してもらえていて人を巻き込みつつ突き進んで行く。なんだかんだ、28歳で東京で個展をしていますし、若い頃から仕事をもらえていたり。29歳で木版画作品がボストン美術館やパリ・リュクサンブール美術館の買上げ作品になっていたり。そういえば志功のドキュメンタリーみたいな番組の最後に奥さんが出てきて「あん人ぁ、外面が良いんですよ!」と呆れたように、吐き捨てるように言っていたのを覚えています。面白いですね。30歳ぐらいには、もうそれなりの芸術家という感じに扱われていたようです。経済的にはその頃はまだ安定せず、奥様やお子さんは苦労されたようですが。結婚してからしばらくは同居せずに、結婚している事も隠していたとか。そういう面でも小説になりやすい人生ですね。

志功は一見朴訥とし、かつエネルギッシュな青森人に見えますが・・・ようするに「あの志功」なのですが、もちろん元々そういう面があるにしろ、それはかなり意図的にそういう「芸風」にしていた感じがするのです。ちゃんと人々やメディアからの「志功はこうあって欲しい」という要望に答えている感じなんですね。自分がのし上がって行くために必要な事は、作品以外の面でもしっかり対処している。

作品については、いわゆる美術分野だけでなく、文学その他も本当に広く深く学習して、それを作品に活かした人なんだなあ、と感じました。古今東西の創作を、美術関係に限らず物凄く学んでいる。古今東西の土着系から当時の現代美術までしっかり取り入れ自分化している感じ。

また、板、紙、墨、絵の具、その他自分の使う何かしらの道具や素材をとても良く理解しており、表現の際に起こる偶然の取り入れ方も巧い。大胆かつ繊細。勢いだけではない。一見、失敗かと思われるような状態のものをむしろ活かして表現に取り入れています。通常、木版画だと工芸品的な仕上がりの完成度を作者も鑑賞者も求めますが(志功の最初期木版画はそういうものでしたが)志功はそれよりももっと表現的です。自分が良しと思えばOK!という感じです。しかし、作品自体は偶然も含めて非常に良く計算されています。

色々な学習や体験を、しっかり自分化しているのでそれらの影響が浮かないのですね。それも見事だと思いました。

私の観察眼が若い頃から少しは成長しているせいなのか、今回の展示会ではそのような事も良く観えました。そういう面も含めて、本当にデカいなシコー!と思いました。

木版画のみならず、フリーハンドで描かれた、書かれた色々な作品も沢山出ていました。以前は「勢いがあるのは分かるが暴れ過ぎなのでは?」と思われていた感がありましたが、現代視点で観るとどれも素晴らしく、志功は幅広い表現者だったんだなあと改めて感じ入りました。(志功の表現は木版画という制限があるから丁度良く収まる、フリーハンドで描く絵や書は、はみ出し過ぎなのではないか、という意見を言う人が以前は割とあったのです)

木版画作品の見せ方なども志功は先駆者だったらしく、以前は小さいサイズの作品が当たり前だった木版画を巨大な作品も可能だと実証しましたし、その際の表具などのセンスも良く(柳宗悦が表具をデザインしたものもあった)その面でも今までの慣習を超えたわけです。志功的にはそれが必要だからそうしただけなのでしょうけども・・・それを受け入れた当時の人々も凄いですね。

何にしても、昔の民藝系の人たちはデザインセンスが良いですね。そのような事も展示会場で丁寧に解説されていて、それも良かったです。

志功の版画に描かれるものは、それぞれのキャラクターが立っていて鬱陶しいぐらいに動き回っているように観えます。まるで大人に部屋の内でじっとしていろと言われても我慢出来ずに騒ぎ出す子供のようです。変に澄ましたものや、変に個人や社会の闇を表に出すようなものや、アレンジの捻り具合のセンスを面白がるようなものではなく、このような力強くストレートかつ奥深い作品は、色々な事で疲れた現代人の精神を浄化してくれて良いものだなあと思いました。その浄化の効果は、時代によって変わったりしませんし、作品が色褪せる事もありません。

あらためてシコーさんのファンになりました。

もうすぐ会期が終わってしまいますが【2023年12月3日(日)まで】

わたしく個人的に強くオススメしたい展示会です。

子供が描いたかのようで絶対に子供では描けない愉快なキャラクターたち
《鷺畷の柵》 1960年

映像以外の展示作品は撮影OKでした。それも素晴らしいですね。

シコーさんのように、友達や先輩たちに囲まれ愛され、そして図太く楽しく生きて行けたら良いですね。

余談ですが、行った日は「着物の日」という事だったらしく、男女問わず着物姿の方々が沢山いらっしゃいました。


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