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写真家、田舎に住む Vol.5 発見、最も生産性のない労働

AIによってなくなる仕事?

AIによってなくなる仕事などが最近はよく言われています。また、日本は労働生産性が低いとかいう話もありますが…。今回の「最も生産性のない労働」の意味はそれとは全く別の話。

東京や住宅地では経験しなかった労働で、ここに暮らして、「絶対やらなきゃいけないけど、やったところで生産性ゼロ」という労働があることに気づいてしまったという話です。それも2つも!

2大「やらなきゃいけないけど、生産性ゼロな労働」

それが「草刈り」「雪かき」のふたつ。という真実を見つけて勝手に喜んでいる(いやもう皆さん知っているのかしら?)のです。いや、その労働自体は全く喜んではいないのですが、「なんかこの作業、何も産まないな…」ということを改めて発見したことの喜び。

草刈り

草刈りをしなければいけない理由の一つは見栄えの問題です。なのでやらなかったとしても生きてはいけるかもしれませんが、まずやらないと近隣の皆さんにも迷惑になります。そして雑草の力を舐めてはいけない。夏場のこの時期、つい最近「草刈り終わった〜」と喜んだばかりなのに、1ヶ月もすれば元通り。何もしなければたちまち家屋すらも飲み込み、「本当の自然」と化していきます。原発事故で家に戻れずに放置された福島県の浜通りの土地を見れば一目瞭然。

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(草刈りする配偶者)

一見普通に見える田舎の家々、集落、田園などはちゃーんとみんな草刈りをしているから「普通」に見えるのです。そして私の地区もそうですが、地区の人たちが集まってする「役務」が必ずあります。みんなで一斉に共同の場所(道とか公民館とか)の草刈りや手入れなどをする。これは全国それぞれの地区で必ずあるはずです。

それがあって田舎の「里山の風景」は成り立っています。昔は私はそういうことを考えたことはありませんでした。田舎の風景を写真を撮ることは今までたくさんありましたが、それを維持管理している(給料ゼロで)人がいるからその風景が続いているのです。耕作放棄地や集落がなくなっていく場所ではそれがなくなっていきます。原発事故による避難区域でもそれが続きました。それを見て私は初めて、人の手によって日本の里山の風景があるのだと知りました。その努力の結晶を、私のような写真家やカメラマンは当たり前にタダで撮らせてもらっているのだなあと、改めて感じてしまいます。

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(刈った草の上にさらに剪定した庭の木の枝が積もってしまう。こいつらの処理も大変)

私が今やるのは自分の家の敷地と地区の役務の参加くらいですが、それでもかなりの労働です。大変さを身をもって感じています。

雪かき

草刈りは全国の田舎で共通の労働ですが、雪かき労働は雪が降る地方限定。これも、一冬放っておいても生き抜くことはできるかもしれませんが…。そうすると、外に出られない、車も出せない、屋根にたまり続ければ家が潰れる、屋根から道路に落ちた雪を処理しなければ近所にも迷惑。と、やらなければいけない理由の方が多すぎるので絶対にやります。特に会津は豪雪地帯に入ります。それは覚悟の上でのこの地への移住でした。

ところが…

移住して経験した冬がまだ一度だけなのですが、全国的に記録的な少雪だったので、昨冬は雪かきらしい雪かきは1、2度くらいしかしていません。「いつもなら1〜2mくらいは積もるけどね、この辺は…」と、近所のばあちゃんが言います。でも昨冬は本当にほぼ積もりませんでした。

雪の風景がたまらなく好きで、会津=雪、くらいのイメージだったため、拍子抜けでもあり。でもずっとこの地区に住んでいる人にとっては「今年は楽な冬だねえ」と。ずーっと住んでいれば雪なんか邪魔者以外の何者でもないんですね。

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(昨冬は一番積もってこのくらい。1日あれば消えちゃいました)

ここよりさらに山深い奥会津地方は超豪雪地帯。そこですら昨冬は本当に雪が少なかったのです。奥会津の三島町に「サイノカミ」という伝統行事があります。1月の小正月に、五穀豊穣や無病息災、厄落としなどを祈願して行われる火の祭りで、太い木を山から切り出し、わらやカヤを巻いて火をつけます。「どんと焼き」「どんど焼き」という呼称が一番一般的かと思いますが、形と名前が違えどそれと同じ行事です。「左義長」(全国)、「どんどや」(九州)、「酉小屋」(福島県のいわき市周辺のみ)など、この行事は地方によっていろいろな呼称がありますが、会津では「サイノカミ」と言います。

しかし三島町では昨冬は中止になったり縮小になったり。理由はそもそも積もった雪に木を差して建てるものであり、火の粉が必ず飛び散るので地面に雪がないと危ないからです。それくらいこの超豪雪地帯にも雪がなかったのです。

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(毎年1月15日の三島のサイノカミ。この日に地面に雪がないという前代未聞の事態。大きさも例年の半分くらいになってしまった)

自然を受け入れて続いてきた営み

と、雪が少なかったという話に飛んでしまいましたが。とにかく、必ず生えてくる草、必ず積もる雪に対応し、どれだけの過去からかずーっと先代の人たちがそうやってきて、今があることに思いが至ります。AIが発達してもこの労働はなくならないでしょう。

「中止」「縮小」という言葉は最近よく聞きますね。新型コロナウィルス。気候がおかしくなって伝統行事にも異変があり、さらにウィルスも自然の力。それによってまた、現在も続いていますが、人間の営みに大きな影響が。その自然に異変に影響を与えたのは人間の過大な営み自体によるものではないかと、たとえ立証できなくても最近はずっと考えています。

絶対に勝てっこない「生えてくる草」と「積もり続ける雪」を、ヒイコラ言いながら小さな自分という人間が対処し続ける世界が真っ当な気がして、いやでもなんでもそれを続けていくことでまた何か見えてくるかも。


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