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2024年1月1日のできごと

※今日は令和6年能登半島地震の話です。辛い気持ちのある方は読むのを控えることをおすすめします。


書こうかどうしようか迷っていたのですが、思い切って2024年1月1日に私に起こったできごとを書き残しておきます。

私は富山県に住んでおり、被害は比較的少ない地域にはいたのですが、それでも私にとっては衝撃の大きなできごとでした。


2024年1月1日朝。私は1人暮らしをしている自分のアパートで目が覚め、「あぁ、年が変わったなぁ」とぼんやり思っていました。

この日はなにも予定のない日で、年始の挨拶にと実家に行くのは「2日に行くわ」と家族にも言っており、「元日からなんにも予定のない、誰とも会わない日なのはそれはそれで淋しいな」などと思いながらベッドの上でごろごろしていました。


ごろごろしながらほぼ日手帳のカバーを注文。とても気に入ったカバーを見つけたので喜びながらごろごろ。そして元恋人とも「あけましておめでとう」を交わし、雑談をしていました。

すると話の流れが「明日初詣行かない?」に。
明日かぁ、です。実家に顔を出すのは明日とは言っていたけれど、初詣に行くといういい感じにお正月を満喫できるイベントが生まれたので、明日実家に行くのは今日に変更しようかなぁと思い始めてきました。元日なのに早速暇だし。

そして「うん、実家に行くのは元日にしよう」と家族のグループLINEに連絡。
「分かったよー16時頃お母さん迎えに行くね」と二つ返事で返ってきたので、私が実家に年始の挨拶をしに行くのは1月1日の晩と決まったのです。


シャワーを浴び、着替え、ゆるっと身支度を整えながら母が迎えに来る時間を待っていました。

16時前くらいでしょうか。そろそろ母が来るなーと思いお手洗いに行ったのです。
すると、なんかぐーるぐーる回る。タイムラグを置いて「地震だ」と気付きました。でも2023年にもこんな、ぐーるぐーる回るような地震があったなぁと思うくらいで揺れがおさまってから私はリビングに戻ってきました。


そしてそれから少しして。「今からしばらくお手洗いに行けないかもしれない」と思うと妙に不安になり、私は再びお手洗いに行きました。

そしたら、壁や床がぐわんぐわんうねり始めました。「地震だ!」そう思っても、私はなにもすることができません。幸いというかなんというか、お手洗いの個室に入った直後の出来事だったので「全く動けません」という状態ではなかったのですが、そこから動くことはできず、しがみつくだけで精一杯でした。

キッチンの方からはものが落ちる音が何度となく聞こえてきます。食器割れた!と思いつつ、揺れに対して「もうやめて、揺れないで」と思っても、そんな私の願いなぞ聞いてくれるわけもなく揺れは続きました。


そして揺れが収まってお手洗いから出てくると、いろんなものが落っこちたり散らかったりしていました。

幸い割れたものや壊れたものはなかったのですが、調味料が散乱していたり、ペンスタンドがひっくり返っていたり、冷蔵庫がかなり動いていたりとしており、私は呆然としました。
なにが起こったのか分かるけれど分からない。「当たり前」が消えてしまったような、頭と心が真っ白になったような気持ちでした。

そのタイミングで「16時頃来るね」と言っていた母が私の部屋に来てくれました。こればかりは奇跡というか本当感謝です。私はあまりにも呆然としすぎていて、なにをしたらいいのかひとつも分からずその場に座り込んでいたからです。
母は「駐車場の車が揺れていた」「液状化現象が起こっていた」と言っていました。


「とりあえずテレビつけられ(富山弁)」と母に言われるまでテレビをつけて情報を得るということすら思いつかなかったのですが、テレビをつけてみるともっと大変なことになっていることに気付きました。

呆然と座り込む私の後ろで、散乱した塩やカレー粉を片付け掃除をする母。本当、母が来てくれてよかったです。


とにかく「なんで、なんで」でした。

昨日家族で年越しそばを食べたみたいに、今日もお正月料理をみんなで食べるのが当たり前だと思っていた。
明日は普通に元恋人と楽しく初詣に行くはずだった。

現実は地震で全てがめちゃくちゃになり、他の家族は津波警報が出ているので避難しており、今日一緒にごはんを食べられるかどうかもそのときは怪しかったです。翌日の初詣もなくなりました。


自然を前にすると、人ってこんなに無力なんだ…とまた呆然としました。

富山県って私が思うに、自然災害に対する危機意識が薄いというか、今まで地震にしろ台風にしろなんにしろそう酷い被害があった記憶が私の中でないので、なんとなく自然災害とは無縁だと思っていたのです。

でも起こるときは起こる。私は今も「いつまた大きな地震が来るか」と思いながら生きています。お手洗いに行くたびに、なんだか揺れているような感覚をおぼえています。


その日は実家に泊まることとなりました。
アパートで1人で過ごすのはなにかあったときに大変だし、あまりにメンタルにダメージが来ると判断したからです。

母と実家に行くと、他の家族も戻ってきておりなんとかみんなで食事をすることができました。
夜は揺れと不安であまり眠れなかったのですが、とりあえず夜を越すことはできました。


この日からしばらく私のメンタルは不安定になるのですが、こうやって振り返ってみると、住むところもあって大切な人も無事で、食べるものもありライフラインも整っていた…というのは本当に恵まれていたなと思います。


先日、ふとGoogleフォトを見ると、おすすめの動画として去年の6月に行った輪島の花火大会の動画があげられていました。

6月の夜だったからまだ寒かったけれど、すごくすごく綺麗で迫力のある花火をきゃあきゃあ言いながら見ていたことを思い出しました。
輪島の綺麗な街並みや、あちこちの道が人でにぎわってぎゅうぎゅうだったことなど、楽しかった思い出がわっとよみがえってきました。

今の私は、まだなにかをするという程の力はないように思います。でもいつかまた、あの輪島の綺麗な花火を見に行きたいな、行ける日が来たらいいなと思っています。

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