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ある日、切れて 2

「お腹すいてる?」
 章は頷く。すると男は、立ち上がって「こっちにおいで」と歩いていく。その背中について歩く。公園の隣には、神社があった。無人のさびれた神社で、男は拝殿の裏に入っていく。章は、戸惑いながらも、その背中についていった。毛布やペットボトルなどがあり、ホームレスの男は、ここで寝泊まりをしているようだった。
「ここが、住まいなんですか」
 章は男の隣に腰掛けて、そんな質問をする。
「ここは二、三日の間だけかな。こんなところはすぐに注意されるからね。むしろ街の中の方が、何も言われない」
 男は、章にパンを手渡す。賞味期限が二日ほど切れていたが、気にせず封を開ける。
 章は、パンにかじりつきながら、これは神の采配なのかもしれないと思う。ホームレスになりたいと思っていたら、目の前にホームレスが現れた。しかも神社なんかをねぐらにしている。
 この男が導いてくれるのかもしれない。現世から脱出する方法を教えてくれるため、目の前に現れてくれたのかもしれない。章はそんな風に考えた。
「不躾な質問をしますが」
「ん」
「ホームレスになるのは、難しいですか」
 同じく、パンにかじりついている男は口を動かしながら、章を見る。咀嚼して、飲み込んでから「そうだなぁ」と考える。
「俺は、半ホームレスだからね」
「半?」
「一応、家族がいて、家族が色々と支払いもしてくれる。ちなみに携帯料金も払ってくれているから、こんなものも持っている」
 男は、スマートフォンを取り出す。
「ホームレスというより、家出ですか?」
 神妙な面持ちで聞いたのだが、男はなぜか声をあげて笑う。
「そうだね。家出みたいなものだ。君は、なんだか面白いね」
「面白いでしょうか」
「面白いよ。普通、こんな男についてきたりしないし」
 確かにそうだ。
 自分も、家出みたいなものかもしれない。
 支払いから自由になって、街で生きる生活は、さぞかし楽だろうと羨ましく思う。両親は、そんなことを許してくれるだろうか。章は、かじっているパンの断面を見つめる。まだ食べられるのに、賞味期限が切れて、食べる人間を失ったパンだ。本当に楽だろうか。会社員より楽だろうか。そんな疑問が頭をよぎる。
「今夜、どうするの?」
 章は男の質問に黙ったままでいる。
 男はすでにパンを食べ終えていて、食べるのがひどく遅い自分に気が付く。ひょっとしたら、食べ方も忘れてしまっているのかもしれない。
「ここに泊まる?」
 何も言わない章を見かねたのか、男はそう言った。章は、頷いて、そこで夜を迎えることにした。
 神社で寝泊まりをするのは、なんだか罰当たりな気がする。
 それでも、一人ではないからか、不思議と怖くはなかった。夜になって、男は、ふるびたバスタオルを章に渡した。枕にするなり、かけて寝るなり、自由に使えということらしい。
 男は、世捨て人だからか、ひどく優しい。こんな上司のいる会社なら、ずっと続けていられると、バカみたいなことを考える。勤めていた会社では、部長に怒鳴られてばかりで、あの時、もうすでに自尊心はぼろぼろだったから。心の悲鳴をわざと無視してやり過ごしていたから。
 男は、拝殿の壁にもたれたまま、スマホを眺めている。暗闇の中で、男の顔が照らされて、なんだか幽霊のようだ。
「丸まって寝た方が、身体が痛くないよ。こういうところだと」
 丁寧にそんな指導までしてくれる。
「はい」
 章は言われた通り、少し体を丸めて横になる。眠くはなかったが、身体は少し疲れていた。
「色々と、ありがとうございます」
 横たわったまま、章は礼を述べる。男は「どういたしまして」と言う。
「困った時は、お互い様だし」
「ホームレスの方が、こんなに親切だとは知りませんでした」
 章のセリフが可笑しいのか、喉の奥でくっくっと笑った。
「俺が君に優しいのは、ゲイだからだよ。おじさんが若い女に優しくするのと、同じ道理」
「え」
 今、目の前の男は、さらりと無視できないことを口にした。
「ああ、大丈夫だよ。もう性欲もあまり無くてね。寝込みを襲うなんてことはないから。大体、そんなことは疲れるし。それに、君の方が確実に体力はあるだろうから、いざとなったら、俺なんかぶん殴れるだろう」
 男の台詞には、説得力があった。
「確かに、そうですね」
「だろう?」
「はい」 
 疲れているせいか、色々と考えるのも、ゲイだからと変に構えるのも、面倒になってきた。章は目を閉じる。
 自宅から十キロも離れていない神社で、その日出会ったホームレスと一緒に寝ている。ホームレスはゲイで、目がやたらと綺麗で。頭の中を整理していると、睡魔がやってきた。
 最近では珍しく、すぐに眠りについた。
 その夜は、久しぶりに夢も見た。
 会社のデスクで、書類と戦っている夢だった。その書類には、意味不明な記号が書いてあり、章はそれを懸命に解読している。いやだなぁ、いやだなぁ。そう思いながら、その暗号を見つめている。
 誰か教えてくれたらいいのに。いやだなぁ。暗号を前に、ずっとそんな気持ちでいる夢だった。

<3へ続く>

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