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薄紅色に染まる

「あーばーば、いっぱいよー」
4月上旬、真新しい体操服に身を包んだいーよは、満面の笑みで何かを指さした。

バナナ?いや、そんなわけはないか…。
出会ってまだ10日足らずのはずのこども園の先生に嬉しそうに抱きつき、バイバイと言って、彼はもう駐輪場へつづく扉へと向かっている。
わたしは慌てて、小さなリュックの弾む背中を追う。

3歳を過ぎるまで、わたしの息子は「いーよ」と名乗った。お友達の名前はちゃんと呼べるのに、自分の名前だけは自信満々に「いーよ」と答える。その鷹揚な響きが彼に似合っているから、ここでは彼のことを「いーよ」と呼ぶ。


いーよ、3歳4ヶ月。
乗り物が大好きなthe 男子。
窓の外を眺めているかと思えば、「でんしゃ!」「ぶーぶー!」とことあるごとに言っている。

この4月から始めた自転車登園も、彼にとっては楽しいようだ。
「いーよ、はやーい」と毎日のように声を上げる。
色とりどりの車や自転車の行きかう道を、わたしの後ろで夢中になって眺めているに違いない。

わたしたちの登園路は大きな公園沿い。たくさんの桜の木が少しずつ薄紅色に染まっていく様子が、日々見てとれた。
いーよが動くものに夢中なことはわかっている。
それでもわたしは、わたしの美しいと思うものを彼と分かち合いたかった。
だから、自転車の後ろの彼に呼びかけた。

「わー、いーよ見える?桜がきれいだよ。ピンクのお花、いっぱいだよ」


いーよが駐輪場へとつづく引き戸を、振り返ってゆっくりと閉める。
こども園の園庭には、満開の桜が6本。

「あーばーば、いっぱいよー」
ついさっきの彼の言葉を思い出す。
そっか、お花って言ってたんだ。
彼の目に、桜は映っていたんだ。
記憶に残っていたんだ。

手をつないで、一段ずつ、階段を下りていく。
小さな手のあたたかさが、わたしの心をじんわり薄紅色に染める。

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