【短編】youthful days
土曜日の午後三時のマクドナルド。ハンバーガーやポテトの匂いが充満した店内の二階の窓際の席にわたしたちは座っている。さっきまで勢いよく降っていたにわか雨はもうとっくにやんでいて雨水を吸いこんだアスファルトの所々に水たまりが出来ている。店の前の歩道沿いに停まっているクルマの窓についた水滴がすっと流れ落ちた。
「なあ、さっき弾いてもらったベースの音めっちゃカッコよかったな」
真希はそう言うとポテトを二本まとめて口にはこんだ。くちびるにうっすらと油がついている。わたしはそれを指でやさしく拭ってあげたくなる。そして真希のくちびるの感触を思い出す。
「そんで優希はどうするん?ベースやる気になったん?」
真希がポテトをつまみながら言った。わたしはうーんと言いながら窓の外を眺めた。
答えはきまっている。ベースを買おうと決めた。でも自分に務まるのだろうか。自信がもてない。
「思ってたよりも地味なことないやろ。上手く弾けるようになったらいちばんカッコいい楽器やと思うわ」
うん、そうやね。わたしもそう思った。そしてわたしは真希の顔を見ながら「それにしてもあの店員のお姉さんめっちゃカッコよかったな。ああいう感じのひとめっちゃ好き」と思わせぶりに言う。
そして真希の反応が知りたくて彼女の顔をじっと見つめた。
奥二重で黒目がちな瞳。顎の線がすっとやわらかく弧をえがきながら顎にむかってためらいのない美しい線を描いている。
そしてナイフで溝を切ったようなくちびるとその右斜め下にあるほくろをじっと見つめる。まるでそれ自体が独立した意思をもっているかのようにみえるふっくらとしたくちびる。触れたい。頬に陽が当たって産毛が白く光っている。
後ろの席に座っているラクロスのラケットをもった四人組の女子高生が大きな笑い声をあげた。通路を挟んだ隣のテーブルのカップルが驚いた顔で彼女たちを見ている。空いた席を探してきょろきょろしている若い男性と目が合ったけど男性のほうが目を逸らした。わたしは氷が溶けて薄くなったコーラをすすりながら真希の顔をみつめる。
真希がポテトを口にはこんだあと指先をペロッと舐めた。わたしは真希の細い指先をじっと見つめた。その指がギターの指板の上の六本の弦を押さえる様子を想像してみる。指を動かすたびに聞こえる弦をこするシュッという音が耳元で鳴ったような気がした。
「彩花とワタシがギター弾くやろ。もっちゃんがドラムで優希がベースやったら結構ええ感じやんな。今度の文化祭でもいちばん人気でるよきっと」
真希は楽観的だ。でもきっと真希の言うとおり人気は出るかもしれないとも思う。彩花も真希も可愛いし男子から人気がある。もっちゃんは二人には負けるかもしれないけどそれでも充分可愛い方だしなによりドラムを叩いている姿がカッコいいからとても様になる。でもわたしはどうなんだろう。
そんな不安も真希と一緒ならば姿を消してくれそうな気がする。わたしは真希の顔をじっと見つめながらそう思った。
ステンレスの四本の弦が張られた重いベースを肩に下げたところを想像してみた。左肩にストラップが食い込んで硬いボティに骨盤が触れる。左手の指が動くたびにシュンという音がなる。硬く張られた弦を右手の指でときには強く、そして撫でるようにやさしく弾く。ボティの振動が下腹部に伝わっては収束していく。そんな反応をひとつひとつ感じながら指で丁寧になにかを探り当てていく。そんなひとつひとつの行為がまるであれをしてるときみたいだって思った。
わたしはコーラが入ったカップの表面の水滴を指でそっと拭ってみた。そうして濡れたカップの表面を指先で何度かやさしくこすってみた。そして湿った指先の匂いを嗅いでしまいそうになってやめた。
「わたしベース買いたい。さっきの店員さんみたく弾けるようになりたい」
そしてみんなと一緒にバンドをしたい。だってこれはチャンスなんだと思った。なんの取り柄もないわたしがここでみんなとたのしく頑張ることが出来たら変われるような気がする。
「わたしが教えてあげるよ。前はベースも弾いてたから」
ふたりでマクドナルドを出て雑踏のなかを駅に向かってならんで歩いた。日差しがつよい。もう夏だ。
ねえ真希、手を繋ごうよ。そう言おうとしたけどやめた。わたしの右斜め前をあるく真希の着ている服から柔軟剤の匂いがしてる。脇のあたりまで伸ばしている髪の毛が陽の光にあたって金色に輝いている。
「ねえ真希、今日もうちに来るやろ?」
なにかを期待してそう声をかけた。真希は振り返りながらちいさくうなずく。へその下のほうがキュッとなった。
駅の鏡の前にふたり並んで立って鏡のなかの自分たちの姿をじっと見た。身長はわたしのほうが高くて痩せ気味。真希はわたしよりも背が低いけど胸が大きくて女の子らしくてかわいい。
「ベースな、この辺になるようにしたらかっこよくみえるで」
そう言いながら真希がわたしのへその下のあたりをなでる。わたしは鏡のなかの自分の姿をみながらベースをぶら下げている姿を想像してみた。
「優希のほうが背が高いからきっとベース似合うと思うわ」
わたしはね、真希みたいな身体つきになりたかった。そう言いながら真希と身体を寄せ合うようにして手をつないであるいた。
真希のてのひらは柔らかくて熱い。そしてしめっている。身体を抱きしめると腕も肩も身体も華奢で柔らかい。いつもは服の下に隠れている真希の熱くてしっとりとした肌の感触がわたしの肌に伝わるのを感じる。そして真希の耳たぶからは赤ちゃんの匂いがする。そんな赤ちゃんみたいな真希の耳たぶにくちびるで触れたときに真希の口から漏れる熱い吐息がわたしの首筋にかかるのを感じる。
西日がホームを照らし、柱の影が線路の上まで長く伸びている。並んであるいているふたりの影が線路の上まで長く伸びていて、そしてひとつに重なり合った。
雑踏の賑わいが一瞬止んだような気がした。ふたりの顔が近づいていき横顔の輪郭が重なり合って身体ごと混ざり合う。黄金色の西日がふたりを包み込んでいきやがてそのなかに溶けて消えていく。わたしは真希のサラサラとした髪を指でとかしながらこのままずっとふたりでいられたらいいのにと祈りにも近い思いを抱いた。
まもなく電車がやってきて、ガタンと揺れるようにして扉が開いた。わたしたちは手を繋いだまま、せーのっ!と言って電車に飛び乗った。真希がわたしの顔をみて笑う。わたしも真希の顔をみつめて笑う。
電車がゆっくりと加速していき窓から見える景色がうしろに流れ去っていく。わたしはドアの横の壁にもたれかかる真希を少し動いたら触れてしまいそうなほどの近くから見つめた。そして誰からも祝福なんてされなくてもいいからこれから先もずっと真希と一緒にいたいと願う。
※加筆しました(2024/03/28)
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