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みんなも一度は鬱になればいいんじゃないかな

 躁のエピソードをあげようとおもえばきりが無い。でも、ふと思い出したら胸が潰されるような感覚をおぼえてその場にしゃがみ込みたくなるようなエピソードが殆どだから、これはnoteに書いてもいいかなというエピソードとなると、あまりない。
 自分のトラウマを乗り越えるためにせっかく恥を忍んでここに書いていこうと思っていても、残念ながらいまの自分にはそれが難しい。

 たまには鬱のエピソードを書いてみようと思って何度か書こうとしたのだけれど、鬱のときのことは記憶が定かではなかったりするし、言葉にするのも難しくて躁のエピソードを書くよりも難しかったりする。

 わたしが初めて鬱になったのは高校三年生の十二月、大学の推薦入試の選考試験が終わってすぐだった。

 まず予兆があった。何をしてもつまらない。食べ物も美味しくなくなった。休みの日は一日中横になって何もする気が起きなかった。色々なことが億劫になった。食事も入浴も億劫。これは学校推薦入試が終わって気が抜けたせいだと最初は思った。

 そういう日が数日間続いて、ドスンときた。ベッドから起き上がることが出来ない。身体が動かない。これは言葉にするのが難しいけれど、本当になにも出来なくなる。

 ほら、がんばって怠けてないで起きなさい、とか言われても、そんなレベルの話しではない。全国民が生涯で一度は鬱になればいいと思う。そうすれば鬱は怠け病だなんて言う人間は少しは減るだろうし、自分は気合で乗り切ったなんていうエセ鬱もいなくなる。

 日中はトイレに行くのも億劫。身体が動いてくれない。昼食もとりたくない。でも空腹感が無い。夕方になると症状がすこし改善する。家の中を徘徊することが出来る日もある。たまに入浴して就寝する。これが毎日続く。

 スマホをみる気力も無かったので友人との接触は一切絶っていた。この間わたしの面倒を見てくれていたのは母方の祖母であった。仕事優先で家庭を顧みなかった父もこの時だけはさすがに心配だったのか毎日六時過ぎには家にいた。有給で休んでいる日もあった。

 友人が何回か部屋に来てくれたことがあった。でもその時も全く口をきかずに生気のない様子でずっと臥せっていたから、初めて生の鬱病を間近で見てもの凄くショックを受けたと後で聞いた。

 この時の鬱は三週間ほどで回復した記憶がある。でも終業式には間に合わなかった。学校はひと月も休まなかったと思う。

 双極性障害の鬱と鬱病の鬱は違いが多いと聞いたことがある。いわゆる鬱病とは違い双極性障害の鬱は何も考えられないという状態にはならない場合があって、その場合は思考は普段と変わらない場合があると聞いた覚えがある。わたしの場合はそれに近かったような記憶がある。

 その年は春の終わりから夏にかけてのひと月半ほど躁の時期があって、十二月になって鬱がきたという感じだった。これがわたしの初めての鬱体験である。希死念慮やひどい自己嫌悪などは無かった。

 大学生のときの鬱は思い出すのも嫌なくらいひどかった。躁のときに起こした問題行動の後悔と自己嫌悪に苦しみぬいて、希死念慮も強かった。リストカットもした。自分が双極性障害だなんてまだ知らなかったから、なんでこんなひどい目にあうんだろうと思い詰めて、毎日が地獄だった。

 躁と鬱のどちらがいいかと訊かれたらわたしは躁と答える。躁は軽躁なら心地いい。鬱は本当にしんどい。

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