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どんな仕事にもエンドロールがある

オフィスの真向かいに、とある看板広告がある。4畳ほどの大きさのデジタルサイネージで、1か月ほど前にビルの屋上に設置された。朝から晩まで、デジタル看板はLEDの光がギラギラしている。夜になるとコンビニ以上に明るい。本来なら、かなり目立つ存在になるはずだ。

ただこの看板広告、絶妙に目に留まらない。設置場所は、ビル6階ほどの高さ。信号機よりもずっと上にあるので、通行人や運転手の目にとまりにくい。しかも、ビルの目の前にはLAWSONがある。通行人の意識は、目の前のLAWSONに吸い込まれてしまう。わたしがオフィスから見ている限り、コンビニ前で空を見上げる人はいない。つまり、看板広告はほとんど見られていないはずだ。

「広告募集」の文字が出続けて1か月。いまだに広告は流れない。周りから気付かれないのだから、広告出稿主も現れるはずもないのだけど。。いつ見ても「常識破りのデジタルサイネージ 広告募集中!」の動画、サンプル用の風景や赤ちゃんの映像、交通事故防止啓もう動画ばかり……そろそろ順番も覚えてしまいそうだ。

誰からも見られない広告には、本来存在価値はない。それでも、この看板広告が気になってしまう。
出社するたびに「広告出稿者あらわれたかな」と窓をのぞいている。広告動画が流れないことを悲しみ、わざわざこんなnoteまで書いているし。
あの看板広告は、ほんの少し特別なのだ。

実は2週間ほど、看板広告の設置作業をみてきた。作業員10人ほどがビルの屋上に集まり、足場によじ登りながら看板を設置していた。命綱を付けているとはいえ、足を滑らせれば危険な場所。そんなところで懸命に看板の組み立てを行っていた。

プロの作業員にとって、あの看板広告は大きな意味を持たないだろう。きっと作業の難易度もそこまで高くないはず。彼らはもうあの看板を忘れているかもしれない。それでも危険な場所に身を置き、足場の上で一生懸命組み立てたことに変わりはない。
あの看板広告は、何人もの人が努力して作り上げた。そのプロセスを間近で見てきたからこそ、広告出稿者が現れてほしい。通行人にも気づいてもらいたい。作業員たちの頑張りが報われてほしいと思ってしまう。


ふと映画のエンドロールを思い出す。わたしはエンドロールの流れを見るのが好きだ。大音量のBGMを聞きながら、スクリーン中央に俳優、原作者、監督の名前がどーんと出るとワクワクする。でも、それ以上に好きなのが制作スタッフの名前群だ。あの大きな文字の流れをつくるのは、1人ひとりの名前。一人一人が手を動かし、頭をはたらかせ、時間をかけて映画をつくってきた人たち。朝早くから夜遅くまで仕事漬けだった人もいるだろう。読めないほど小さな文字だろうと、一人一人の努力は計り知れない。1人ひとりの時間や手間が何層にも重なり、1本の映画ができあがる。エンドロールは、目に見えない努力の一角を見せてくれる。

エンドロールは、どんな仕事にも存在する。今世紀最大のビッグプロジェクトにも、誰も見てない看板広告にも、エンドロールに名を連ねる人々が必ずいる。誰かの努力なしには、成果物は生まれない。
だからこそ、願わずにはいられない。広告出稿者が現れて、通行人にも見てもらえる、意味のある看板広告になってほしい。作業員たちの努力の為にも。。

私はこれからも、あの看板広告を見続ける。だからコンビニスイーツや漫画・アニメの広告でも流してほしい。幸い、看板の真下にLAWSONがある。広告が流れた日には、真っ先に買いに行こう。。

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