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適応障害を越えていこう。自分の思いを書いてみると、、、。

改めて、書くことって、、、。

1、幼い頃から 

私は中学生くらいから日記を書き始め、毎日ではないけれど、自分の日常の経験や思いを書いていた。

今思えば、書くことでその瞬間に感じた思いを振り返り、明日に向けて気持ちを切り替えたり、前に進むにはどうしたらいいか、ちょっと自分自身を客観的に見たりしていたように思う。

そして、中、高、大学まではそんなふうに続いていた。

学校でのクラスの授業やランチでの小さなできこと、憧れの先輩への思い、将来の夢と今の自分、書くことはいくらでもあった。



2.怒涛の時

ところが、正規の仕事をして、20代半ばで子育てをするようになると、とにかく時間がなかった。

振り返る時間があるなら、休みたい、眠りたい、元気なら遊びに行きたい。

そうそして、自分の思いを封じ込めてただただ前に進み、仕事をし子どもたちを育てきた。

もっと友達と会って喋ってどうにもならない思いを発散すればよかったのかもしれない。

でも、小さい頃から大人の中で過ごす時間が長かった私は母からおとなしくするように、いいくるめられていた。

今思えば、あまりことばで感情を伝えることがうまくない、そんな私のことをわかってくれる、昔からの友人達を大切に故郷に暮らせばよかったのかもしれない。

でも、私はゆるやかな故郷の暮らしより刺激の多い都会の暮らしを選んでしまった。

そして、仕事をして子育てをして、

自分の思いを口にすることはあまりなかったし、その思いにあえて気づかない振りをしていたのかもしれない。

3.ついに

ふと気がついたら自分で自分のことがわからなくなっていた。


ふいに何かあれば、感情があふれだすこともあった。


勤続20年を過ぎた頃
休日出勤をした次の日、

急に
もう、このままでは、私はダメだと

自分からメンタルクリニックに飛び込む力が残っていたのは、せめてもの救いかもしれない。


そうそして、初めて私は自分の思いをただただ聞いてくれる人に出会った。


ことばで表現することで、改めて自分で自分の思いを知り、すると周りの状況から周りの人の思いも多少わかってきた。

小さな頃から、自分の思いを封じ込めてきた私が、本当の私を再発見した気がした。


4.再発見したこと

そして、数年たった、
子どもたちが成人すると、
ブログを書いていた。

ブログだから、人に見られることもあるから、書けないこともあったけど、カウンセリングの効果か少し自分の気持ちを整理できるようになったのかもしれない。

書いているうちに気持ちが上向きになったこともあったようなきがする。


そして、仕事を辞めてからは、読書の記録を書きたくて、noteを使っている。

本の出会い、お話の最初の状況。
気に入った箇所とその感想。

小説がほとんどだが、人生のヒントを見つけたい私はまだまだ小説が読みたい、そして私の人生とリンクする本に出会いたい。

でも、noteでは自分のこれまでを振り返る文章も書いてみたりした。


それにより自分の生きてきた足あとを振り返り、文章にすることで、たくさんの経験や出会いが今の私を支えてくれたんだと改めて気づかせてくれた。

書くことの癒し効果とも言えるのかもしれないし、

自分で今の自分を受け止めた、のかもしれない。

時にはカッコ悪く、泥臭いつたない文章だけれど、ありのまま、今ここにいる私が書くことに意味をみいだしていたい、、、。



◎最後まで、お付き合いいただきありがとうございます。

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