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純愛再婚のススメ④

森の中で彼になった良くんは、1月4日生まれ。 私は、2月3日生まれ。
月と日を足すと、どちらも5になる。
たったそれだけの共通点に、
運命を感じてしまうほど、
私は舞い上がっていた。 
   
良くんは普段、バイクに乗っていた。 
ワンルームのわたしの家まで片道40分、
週の半分以上通ってくれた。

良くんは実家で暮らしていたから、
ご家族に心配かけないように
泊まることはあまりしなかった。
  
とても誠実で真面目(ウブともいう)。
趣味は楽器で、楽団も運営している。
エリート私立大学に通う両家のご子息。
文句なしの自慢の彼だった。
  
暫くして、車の免許をとった良くん。
私の通う大学まで迎えに来てくれて、
私を助手席に乗せて嬉しそう。 
 
楽器を運搬するためと
ワンボックス型の大きな車。
それに、ベッドを乗せて、
学生ならではの車中泊北海道旅行もした。
 
思い出せばきりがないほど
楽しい出来事ばかり。
  
ある時は、山道を車でドライブしていたら、
後ろの車が、私達を追い越そうとして
目の前で対向車に激突した。
運転手は即死だった。

私が呆然としている中、
良くんはいたって冷静で、
すぐに119番通報。
事後処理はスムーズだった。
 
「凄いね。事故の対応なんて、
したことあるの?」
「いいや、初めて」
 
良くんのパーフェクトさに、
また、クラクラしてしまった。

一点の曇も感じられない彼に
私は絶対的信頼をおいていた。
彼のやることなすこと全て正しいと
まるで、教祖を崇める信者のように。 

大学を卒業し、
私は実家のある福岡に戻った。

良くんは、そのまま京都で
実家の家業を手伝った。

社会人になった私達は、
遠距離恋愛することになった。

遠距離恋愛は、
この恋が本物かどうか確かめるには
一番良い方法だと感じていた。
すぐに会えない距離でこの恋がどうなるのか、
きっと本物に違いないと思っていたから
私は何も怖くなかった。
物理的距離は離れても、
心はいつも密着しているって思ってた。

  

それに、良くんは私のことを
とても大事に思っていてくれるから
私がどんなことをしても
私が私である限り
好きでいてくれるはずだと
絶対的な自信があった。

  

しかし、
物理的な距離は、
考え方や想いにも影響を及ぼしてきた。

お互いに社会人になって忙しくなり、
電話がなかなかできなくなっていた。

「会いたい」と言っても
会える日までは何日もある。
その数日をワクワクしながら
待つというのも良かったが、
以前のようにすぐに会える環境でないのは
やっぱり寂しかった。

 

それでも、
これは本物の恋だから結婚するまでの
ちょっとした辛抱だよって
自分に言い聞かせながら、
4年の月日が経った。

 
26歳になった私は、シビレをきらして
「私を京都に呼んでくれるのはいつ?」
と聞いてしまった。
 
もちろん良くんも26歳。
一人前にならないと結婚はできないと
思い込んでいた真面目な彼は

「俺の社会人度もそうだけど、、
人に言って恥ずかしい職業の人とは
結婚できない」
と言った。

  

ガラガラガッシャーン!!!!!

  

私が私であることを否定された瞬間だった。
当時、私は演奏家として独立できておらず、
ちんどん屋(広告宣伝業)の楽士業が
本職のようになっていた。

(※ちんどん屋は今でもやっています♪)

  

人を職業で判断するのか、、
その人の精神とかではなく、
人に見せて恥ずかしくないかどうか

ここが大切なのか。。。 

何もかもがわからなくなった瞬間だった。
  
そして、私も彼のことを
同じように見ていたかもしれないとも思った。
彼がもし、フリーターだったら
結婚の話をしただろうか。。

そもそも、私が玉の輿に乗ろうなんて
都合のいいこと考えてただけなんじゃ??

 

いろんなことが頭の中と胸の中を駆け巡って
京都から帰る新幹線の中で
ぐしゃぐしゃになって泣いた。

  

あんなに好きだったのに。
こんなことでサヨナラになるなんて。
人を好きになって結婚するって
いったいどういうことなんだろう。

  

26歳の私は、
よくわからないまま、
否定された自分を抱えて家に帰り着いた。

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