肩腱板断裂術後3ヶ月後の心境

手術から12週間(約3ヶ月)経って、


肩腱板修復術を受けたのが7月20日。東京はすでに真夏に突入していて、外を歩けばどっと汗が吹き出る猛暑だった。入院を境にしてSNSを見なくなり、それがかれこれ1ヶ月は続いた。SNSを見なくなったのは、それを見るとクロスフィットをやりたくなってしまうと思ったからだ。いや、実はクロスフィットを見るだけで沈鬱な気分になってしまいそうだったという方が正しい。自分がSNSを見るのはFOMO(世の中から取り残されるのを恐れること)があるため、情報収集に使うことが多い。あとは通話機能をよく使う。私はSNSで無意識にサーフィンして無為な時間を過ごさないように努めている。特に手術をしてからはSNSを見るのは生産的な時間にはならないだろうと思って、それを見ることはなかった。SNSに正しい情報があるとは限らないから、そうしてよかった。世の中から取り残されている不安もほとんど感じず、平穏な生活を送れた。SNSを見る代わりに、自分が持っていたスポーツ医学やアスレティックリハビリテーションの本に書いてある腱板断裂に関する事項を読み直した。いざ自分に関わっている怪我となると、学生の頃と異なり、圧倒的に理解度が異なった。怪我を理解するには経験するのが一番だ。


「銀行から離れたとしても、全く問題なく人は生きていける。

銀行だけが全てではない。

…人生というものは結局のところ自分で切り拓くものである。

肝心なことは、その時々に自分が全力を尽くし、納得できるように振るまうことだ。」 - (半沢直樹(2)オレたち花のバブル組, 池井戸潤, 2019年)


私が生きていたのはクロスフィットがない世界。おそらくほぼ9割以上の日本人はクロスフィットを知らない。クロスフィットがなくても人は生きていける。クロスフィットだけが全てではない。


私が生きていたのは、むしろ日常生活すら満足に送れない怪我をしている人たちの世界。私が教えるクロスフィットはこういった人々を救うために役立てるべきではないか。クロスフィットは怪我人を量産する自己満足のための高強度エクササイズであってはならない。私が生きてきた世界は怪我と隣り合わせで、怪我をするギリギリのところまで身体を酷使する。怪我をするのはギャンブルのようなところもある。一か八かだ。そんな世界に他の人を巻き込むわけにはいかない。私は競技をやりたいと言う人には厳しい。それは自分の世界に来て欲しくないから。ライバルを減らそうというのではない。私のように重大な怪我をすることもある。生半可な気持ちではできるものではないのだ。私は手術を機に、クロスフィットに対する考えが変わった。今までも少しずつ変わり続けてきた。最初は誰もが競技に出るべきだと言っていたが、メンバーの怪我などを経て、競技は全ての人のためのものではないという確信に変わった。今までは無茶苦茶な(ハード過ぎる)ワークアウトをメンバーにやってもらったこともあった。現在は怪我のリスクを抑えて最高の成長ができるようなよりスマートなワークアウトを処方したいと考えている。


6月3日に受傷して以来、肩のトレーニングは一切やっていない。もう5ヶ月になろうとしている。右肩の筋肉は月を追うごとに薄っぺらくなっていく。肩の手術後、最も辛かったのは心である。手術後、1週間は痛み止めを飲んでも寝られないほどの痛みがあった。そうした身体の痛みより心の痛みの方が辛かった。スナッチで受傷したシーンや見れたかもしれない表彰台からの景色やゲームズに向けてトレーニングしている光景が頭の中で繰り返される。自分が失ったものの大きさを痛感していた。肩が全快するとは限らない。本当にまた競技に戻れるのか?できると信じる気持ちより疑う気持ちの方が心を占めていた。ここから復帰するなんて全くイメージできない。


「精神に大きなダメージを負った人の時間はそこで止まる。食べることも、トイレに行くことも忘れる。」


「私が人より何かを知っているとすれば、私は誰にもわかってもらえない悲しみを抱えてしまった絶望を知っています。その悲しみからは誰も救ってくれないということも知っています。…」


「自分の悲嘆をうまく経過させることができなかったとき、われわれはこころとたましいを癒す機会を失うのである」 - (エンジェルフライト, 佐々涼子, 2015年)


これらはエンジェルフライトという本の一節である。まさしく大切な人を失ったときのように私の時間は止まってしまっていた。同じ思考を繰り返し、明日への希望を見出せないでいる。ここで大事なのは「誰も救ってくれない」ということだ。私を救えるのは私しかいない。今までもクロスフィット競技で挫折したとき、”No one can do it for you.”(代わりにやってくれる人はいない。)と念じて乗り越えてきた。今回も自分で乗り越えるしかない。はっきり言って、周りの人に私の苦しみなど分からないし、他の人が代わりにやってくれるわけじゃない。


細くなったのは右腕だけじゃない。右腕を固定する1ヶ月間はりきまないように指示されているので、左半身や下半身の運動もろくにできたものではない。重りを使った高強度な運動ができないため、低強度な運動を長時間続ける必要がある。


「ガリガリになってジムに来て、これ復帰難しいんじゃないかって思うぐらい痩せ細って…

ジムに来てもやってることといえばストレットとあとウォーキング…(征矢選手がクローン病から復帰してジムに来たときについて扇久保博正選手の言)」 【FIGHTER STORY】征矢貴 -不死鳥と呼ばれるまで-


征矢選手はクローン病から復活して総合格闘技を続けている。彼は弱ってしまって、前より動けなくなった自分に対して、何をやってんだと感じたそうだ。私も術後1ヶ月はジムでウォーキングするのが精一杯のカーディオトレーニングだった。そして、私も「何をやってんだ自分は」と感じてしまった。それでも毎日、運動し続けるという習慣の鎖を断ち切らないためにウォーキングし続けた。私は自分に「腐るなよ」と言い聞かせていた。まっすぐ生きなければいけない。腐っても鯛だろうが、腐らず戻って来い。


クロスフィットのチャンピオンであるマットやリッチは過去に大怪我を負いながらも、復活した。私は怪我から復帰するというのは身体が強いからできるのだと思っていた。つまり、マッスルメモリーがあって、もともと競技力が高く、その強い身体に戻れるからだ。自分が手術を受けてから、その考えは変わった。強い人は精神力が強いから復帰できるのだ、と。怪我を乗り越えるというのは精神の戦いなのだと思う。焦りやどん底にいる気分など様々な負の感情が入り乱れる中、這い上がるのは精神力の強さがないとできない。


私は痛みには強くなった気がする。クロスフィットのワークアウトをして辛いとか痛いとか感じられるのは幸せなことだ。なぜなら現在の私はそれを体験できないから。それらは失って分かる大切なことだ。動ける、動かせるというのは素晴らしい。


リッチやマットは痛みの閾値が高いのではないか?痛みを感じる閾値が高ければ、痛いと感じにくくなり、もっと身体を動かせる。私もそうなれるだろうか。


「戦い抜いて最後は勝つ」


「若いときに成功するのは生まれながらの才能…

持つ者と、持たざる者。

けれども、何年も経つと、才能だけに頼っていた人は、道端に転がり落ちる。

体調を維持できなくて怪我をするか、必要なトレーニングを最小限やるのさえ嫌になるか、または、あまり才能はなくても懸命にトレーニングしていたライバルにとうとう追いつかれてやる気をなくすか。

まだこうやって続けていられるのは、本当に頑張ってきたからだと思う。」 - (アスリートは歳を取るほど強くなる パフォーマンスのピークに関する最新科学, ジェフ・ベルコビッチ, 訳者: 船越隆子, 2019年 原著: Play On)


「アスリートは歳を取るほど強くなる」の一節である。私はまだできると思う。若くはないが続けられると思う。戦い抜いて最後は勝ってみせようじゃないか。


私は人が困難をどう乗り越えたかという話を聞きたい。征矢選手のように挫折やどん底を味わった人が復活することに勇気をもらえる。それは私が怪我をしたからではなくて、怪我をしていないときにも勇気をもらえる。私がまた競技復帰して前線に戻ることができれば、誰かに勇気を与えられるはずだ。私は同情を求めてはいない。怪我のせいでこういう結果でしたなんてことは絶対に言わないつもりだ。つまり、言い訳はしない。誰も私が乗り越えてきた苦痛を知らないし、同情なんてできるわけがない。私は自分の努力を控えめにいうつもりはない。2023年のクロスフィットのセミファイナルでは日本人の過去史上最高のパフォーマンスをしたと自負している。それは誰よりも努力した結果だ。言い訳を挟む余地をなくし、怪我もいくつかするほどギリギリまで努力した結果だ。


トレーニングしていて言い訳を言う人の中で私よりどん底だと言う人がいれば、ぜひ知りたいものだ。トレーニングできていないとは本当はどういうことか。私はトレーニングはおろか、腕を動かすことすらできなかったし、今も腕が頭上に上がりきらず、肩は不自然な動きをしている。今は全快していないが、徐々にできることは増えている。ここからもう一度、アジアの前線まで戻ってみせる。これはまさしく無理ゲーにふさわしい。だが、実現できれば誰かのどんな言い訳も木っ端微塵に打ち砕くことができる。それは愉快なことだ。

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