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【北欧読書4】 少数話者言語と公共図書館

公共図書館での本の貸出しが無料であることに疑問を抱く人は、あまりいないかもしれない。でもよく考えてみると、それは奇跡のような仕組みである。そしてノルウェーはさらにその一歩先を50年以上前から歩んでいた……

知られざる図書館大国ノルウェー

ノルウェーは知られざる図書館大国である。すべての自治体に設置された公共図書館を中心に、国の隅々まで公共図書館が浸透している。ノルウェーといえばフィヨルドが有名だが、あの切り立った岩壁の中まで図書館船が入っていって、住民に図書館サービスを行なっている地域があるくらいだ。図書館船が到着すると村の人々は図書館用段ボールをキャリーに乗せて桟橋に訪れ、大量の本を返却しそれと交換に大量の本を借りて帰路に着く。
 そんな図書館大国ノルウェーに、ほとんど知られていないが、作家・出版・図書館をつなぐ驚くような仕組みが用意されている。それが文芸作品調達制度である。


国家予算で新刊図書を買い上げ図書館に配るすごい仕組みがある

 文芸作品調達制度はノルウェー文化省の下部組織である文化評議会が、出版社からノルウェー語の文芸新刊作品を買い上げて全国の公共図書館に送付する仕組みである。この制度はノルウェー語の文芸作品を公共図書館を通じて普及させることを目的に、今から50年以上も前に始まった。
北欧諸国は国ごとに言語が異なるが、どの国も人口が少ないため北欧諸言語はすべて少数話者言語である。英語、フランス語、ドイツ語などの強い言語の中でこうした少数話者言語を守っていくためには、それぞれの国で話される言語を意識的に守っていく必要があり、北欧各国語で書かれた図書の出版と流通はその要である。
読者が図書にアクセスする方法ための最もポピュラーな方法は、オンライン書店も含め書店での購入となるが、ともすれば英語図書が主流になりがちな北欧諸国において、すべての自治体に設置されている公共図書館もまた本を入手する重要な拠点となっている。

文芸作品調達制度の誕生

 調達制度は海外からの安価なベストセラーの流入などを背景にノルウェー語の衰退が懸念されていた1960年代半ばに、ある図書館員の呼びかけによって発案された。
 現在、この制度がどのように運用されているかというと、まず出版社は買い上げを希望する書籍について審査を申請する。その後、作家、図書館員、出版関係者、研究者などからなる審査委員会がその書籍を購入するかどうかを審査する。国による買い上げが決まった図書は、出版社から図書館専門の流通組織「図書館センター」に送られ、全国に約650館ある図書館に順次配られる。

どんな本が図書館に配付されるのか?

 2021年時点で文芸作品調達制度は、成人対象のフィクション、子ども・若者対象のフィクション、(ノルウェー語への)翻訳作品、成人対象のノンフィクション、子ども・若者対象のノンフィクション、コミックの6つのカテゴリーに分かれている。
  調達図書の対象となる作品は広範囲に及ぶのだが、中には対象とならない本もある。例えばノンフィクションのカテゴリーでは、趣味の図書,ガイドブック,料理本,自己啓発本,参考書,専門書などが除外されている。

作家・出版界・図書館界は調達制度をどう見ているのか

 著作者はこの制度によって一定の報酬が保障される点を評価している。また調達制度の審査をクリアした経歴が、文学界におけるステイタスにもなる。出版界では新刊図書が図書館を通じて広く一般に普及し、読者に確実に届けられる点を高く評価する。そして調達制度がなかったら、売れ行きの良い本を優先して刊行する商業主義的な考え方は、今よりもかなり強まるのではないかと見ている。図書館界ではこの制度を通じて配付される本が、コレクションの多様性と質の維持に貢献していると認識している。

調達制度は政府による文化統制なのか?

 調達制度はかなり大胆な文化政策であり、現在に至るまで多くの議論や批判があったことも事実だ。制度導入初期から、文芸作品調達制度は公共図書館の自律的なコレクション構築の自由を奪う政府による文化統制ではないかとの批判があった。また実際に図書館に配付された図書があまり読まれていないことから、読み手のいない図書の購入に多額の資金が投入されているのではないかという疑義も継続的に示されてきた。しかしこれらの批判がありながらも、調達制度自体をなくしてしまおうという論調には繋がらなかったのである。

文化的平等を支える調達制度

 なぜノルウェーではこのような無鉄砲にも見える調達制度を半世紀以上の長きにわたって継続できたのだろうか。それはこの制度が、ノルウェー社会の目指す平等な社会を文化的に支える仕組みだったからだろう。
 実は調達制度が効果を発揮するためには、ある重要な前提が必要である。それは全自治体に公共図書館が確実に設置されているということである。この前提が整ったノルウェーでは居住地にかかわらず、上質の文芸作品へのアクセスが保障されている。書店のない地域でも、住民は図書館を通じてノルウェー語の優れた文芸作品を手にとって確かめ、もし気にいったら家に持って帰って読むことができる。図書館の貸出しが無料であることに疑問を抱く人はあまりいないかもしれないが、よく考えてみると奇跡のような仕組みでもある。そしてノルウェーはさらにその一歩先を50年以上前から歩んでいたのだ。

■ノルウェーの文芸作品調達制度についてもっと知りたい方へ
「ノルウェーにおける文芸振興政策と公共図書館:文芸作品調達制度に焦点を当てて」https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/record/2003938/files/toshokankai_74-1-20.pdf

■ノルウェーの図書館についてもっと知りたい方へ
『文化を育むノルウェーの図書館:物語・ことば・知識が踊る空間』
http://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-0941-4.html



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