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【北欧読書2】 北欧の公共図書館 賑やかな対話空間への道のり(2)

北欧の公共図書館もかつては静かだった

ところで、なぜ北欧の公共図書館は会話ができる空間になったのだろうか。文献を調べたり司書に聞いたりしてわかったのは、北欧の公共図書館も50年前は完全な静寂空間であったという事実である。今でこそ対話と議論の空間として認識される公共図書館も、半世紀前は日本の大部分の図書館がそうであるように、誰一人としておしゃべりはせず、みんな黙って本を読んでいたのだった。

現在の賑やかな対話空間への変身までには、長い時間がかかった。デンマークでは、そのきっかけの1つが1964年の図書館法の改正にあったと認識されている。この法律では図書館の目的を「図書・資料を無料で提供することを通じ、知識、教育、文化を普及し促進する」ことに定め、多目的な文化施設としての図書館を方向づけた。1960年代半ばから図書館界は図書館利用に関わる障壁を引き下げることに熱心に取り組み、1970年代には住民が気軽に立ち寄ることができるコミュニティの情報と文化の拠点としての位置づけを確立した。館内における利用者への行動に関わる禁止事項も徐々に減り、利用者はより自由に図書館が使えるようになっていった。1980年代には他の利用者に迷惑がかからない音量であれば、図書館内で会話が自由に交わされるようになり、現在では北欧のほとんどの公共図書館は、会話と飲食が許されている。

公共図書館が静寂さから脱却したことは、単に図書館で会話ができるようになったというだけではなく、北欧の図書館が資料の提供から文化活動の場へと活動範囲を拡げ、新たな文化空間へと発展を遂げたことを示している。講演会、映画上映会、コンサート、読書会、語学講座などの伝統的プログラムに加えて、医療、法律、教育に関わる生活相談を無料で提供する市民センターとして、若者の就業や学習支援を行う支援センターとして、また文化的な経験や住民同士の出会いの場を提供する文化拠点として地域に定着した【注5】。

資料へのアクセス空間から情報・文化へのアクセス空間へ

コペンハーゲン大学の研究者ヨコムスン氏らは変貌を遂げた北欧の公共図書館の実態を四空間モデルと名づけてモデル化した。四空間は文化的刺激を受ける「インスピレーション空間」、文化的刺激を外に向かって発信する創作のための「パフォーマティブ空間」、他者と出会うための「ミーティング空間」、文化的探究のための自律的な学びのための「ラーニング空間」から構成され、公共図書館は複数の空間が重なり合う多目的な文化スペースとして表現された。四空間の中でも利用者の創作活動を促すパフォーマティブスペースは、すでに創造された文化的成果物を受け取る場所としての印象の強かった図書館が挑戦する新たな空間である。この空間を体現化するメーカースペースにはリアルな訪問者がものづくりをするための多くの機器とツールが配置され、デジタルライブラリーへの対抗空間となっている【注6】。

メーカースペースに並んだ3Dプリンタ(フィンランド・イソオメナ図書館)筆者撮影

ところで、この四空間モデルには図書館が本来、サービスの対象としてきた資料や情報が描かれていない。モデルの考案者であるヨコムスン氏にそのことを尋ねたところ、「情報・メディアへのアクセスを保障し、資料や情報を提供することは公共図書館の原則であり自明のこと。あえて図示していない」という答えが戻ってきた。デンマークでは1920年に図書館法が制定されてから、図書館の基本的な制度とサービスを時間をかけて作り上げてきた。この過程で公共図書館が資料へのアクセスから情報・文化へのアクセスを保障する機関へと進化を遂げていたことを実感する回答だった。

「図書館をリニューアルする時には、書架の数を減らすようになってきた」という話をコペンハーゲンの設計事務所で働く建築家から聴いたのも、ちょうどその頃のことだ。その時はかなり驚いたが、まさにこの四空間モデル化が進行していたのだと、今ではよく理解できるようになった。このような空間で司書は従来の図書館運営管理業務に加えて、図書館で行われる多様なプログラムを企画・運営する「文化仲介者」であり、多様な専門職と連携を取り合いながら図書館で実施するプログラムを主導している。

広場を中心とした公共図書館モデル

四空間モデルは21世紀の公共図書館のあり方を示す国際的なモデルとなり、地域を問わずいろいろな場面でその考え方が参照されているのだが、その理由はこのモデルの柔軟性の高さにあるのではないかと私は考えている。大規模な図書館は四空間モデルをそのままモデルとすることができるし、小規模な図書館は部分的に四空間モデルを取り入れて自館を活性化させることができる。デンマーク文化省宮殿文化局は四空間モデルを踏まえて、図のような21世紀の公共図書館空間を描き出している【注7】。

21世紀北欧公共図書館の空間実態
文化省宮殿文化局「図書館のスペースとゾーニング」(注7)を元にCul De La編集部が作成

全体は、エントランススペース、広場、資料スペース、創作スペース、学習スペース等から構成されており、中央に大きく取られた〈広場〉の存在が一際目立つ。アメリカ図書館協会は1980年に「図書館の権利宣言(The Library Bill of Rights)」で「図書館は思想と文化が行き交う広場である」と宣言したが、まさにその思想が具現化されている。広場ではレクチャー、ワークショップ、展示会等が行われ、演劇・音楽の空間にもなる。またある時には政治的な対話と議論が行われる。20世紀の図書館で中心的な存在であった資料スペースは小さくなり後退しているようにも見えるが、図書館のいろいろなスペースに資料とメディアが現れていることに注目したい。総合文化空間としての21世紀の公共図書館は、多様な利用者を包み込んで利用者の学びの可能性を最大限に引き出す文化装置となっているのである。

館内での回遊がますます容易に

北欧で公共図書館の随所に置かれていた固定のデスクトップ型コンピュータが少なくなり始めたのは、2010年代半ば頃だったと記憶している。今では、館内にiPadステーションを置いて自由に使えるようにしたり、館内利用のためのパソコンを用意する図書館が増えてきているので、利用者はますます自由に館内を動き回れるようになった。

デンマークの図書館業界誌に掲載される記事を見ていると、地元の歴史ある醸造所をリノベーションした文書館との複合施設や、共同キッチン・ダイニングを併設して食に焦点を当てたプログラムに取り組む図書館など、四空間モデルの発展系とも呼べるユニークな図書館がたくさん現れていることがわかる。いずれのプランも施設内の壁をなるべく少なくして多目的な利用ができる什器を取り入れることで、待ち合わせ、滞在、集中作業など多様な目的の利用者のニーズに応えることができる設計となっている。

COVID-19と公共図書館

世界中でパンデミックが始まった2020年3月13日にデンマーク図書館協会は、「読書はCOVID-19を治癒することはありませんが、静けさ、聡明さ、省察を生み出します」というメッセージと共に、まず電子書籍の利用を呼びかけた。北欧にはすべての基礎自治体に公立図書館が設置され電子書籍の普及率は100%であるが、電子書籍にアクセスしたことのない人、そもそも図書館が電子書籍を提供していることを知らない人もたくさんいたからである。

緊急事態宣言下で閉館を余儀なくされた公共図書館は電子書籍の提供以外にも、オンラインで情報相談を受けたり、作家とのオンラインミーティングを企画する等、デジタル空間で可能なサービスを探っていた。スーパーマーケットを拠点に図書館資料のデリバリーサービスを実施する図書館や、メーカースペースでフェイスシールドを作って医療機関に届けた図書館職員もいた。司書が「危機のときに真価を発揮する専門職」【注8】であることが示された日々でもあったし、今でも新たなサービスの模索が続いている。

北欧の公共図書館 賑やかな対話空間への道のり(3)に続く

注5) 吉田右子「対話とエンパワーメントを醸成する21世紀の北欧公共図書館」『現代の図書館』Vol. 52, No. 2, 2014, p. 42-50. https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/record/31326/files/LT_52-2.pdf

注6) 吉田右子『オランダ公共図書館の挑戦:サービスを有料にするのはなぜか?』新評論, 2018, 252p. https://www.shinhyoron.co.jp/978-4-7948-1102-8.html 四空間モデルの原典は以下。Henrik Jochumsen, Casper Hvenegaard Rasmussen and Dorte Skot-Hansen, The Four Spaces - A New Model for the Public Library, New Library World, Vol.113, No.11/12, 2012, p. 586-597.

注7) Bibliotekets rum og zoner: Hvad skal de rumme? Hvor kan de placeres? https://modelprogrammer.slks.dk/udfordringer/rum-og-zoner/

注8) Wanda Kay Brown, Libraries Adapt amid Crisis: Finding Inspiration from Library Workers Across the Country, American Libraries, May 2020, p. 4. https://americanlibrariesmagazine.org/2020/05/01/libraries-adapt-amid-crisis/

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