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【北欧読書1】 北欧の公共図書館 賑やかな対話空間への道のり(1)

公共図書館でみんなおしゃべりをしている!

はじめて北欧の公共図書館を訪問したのは2006年8月のことだった。コペンハーゲン市中央図書館に足を踏み入れたときの衝撃は今でも忘れられない。というのも利用者が館内で自由におしゃべりをしていたからだ。ショックはさらに続いた。静かに勉強をしている利用者の傍にはサンドイッチらしきものとバナナと水筒が置いてあった。そして手を休めたかと思うと、そのランチをいきなり食べはじめたのだった。それまで作り上げてきた図書館のイメージが、目の前で音を立てて崩れていった瞬間だった。いったい北欧の図書館はどうなっているのだろうか?

図書館の掟をことごとく打ち破るのはなぜなのか。その理由を知りたくてその後、北欧諸国の公共図書館を歩き回った。そこでわかったのは北欧諸国において公共図書館は柔軟性がかなり高い生涯学習施設であり、利用者が自分の叶えたいことを主体的に実現していくエンパワーメントのための場所であるということだった。学校がフォーマルな学習空間であるのに対し、図書館はインフォーマルな学習空間。だから学びの対象も方法にも広がりがある。人々の多様なニーズに応えるために、公共図書館には学びを支えるためのさまざまなシステムが用意され、専門教育を受けた司書が必ず配置されている。

老若男女が押しかける……というほどでもなかった

 日本では1970年代から1980年代にかけて北欧図書館を扱った書籍が何冊か出され、1990年代には北欧の図書館建築をテーマとする「白夜の国の図書館」シリーズが刊行された【注1】。アメリカ、フランス、ドイツなどの図書館に比較すると北欧の図書館への関心は相対的に薄かったが、それでも図書館界の中で公共図書館の充実ぶりについては一貫して高く評価されていた。特に「北欧では公共図書館がとてもよく使われている。年齢性別を問わず、住民は、皆1年中図書館を訪れる」というある種の神話が北欧の公共図書館に対してあったように思う。でも行ってみたら実情はかなり違っていた。

まず北欧の公共図書館の開館時間は日本より短くて、開館時間はフルタイムで働いている人の勤務時間帯とほぼ重なっている。そのため誰でも使えるというわけではない。長期滞在の機会を得て集中的に図書館を巡っていた頃、午前中に一番よく見かけたのは育児休暇を取得して子育てをしている父親【注2】とその子どもだった。午後になると利用者の主流は移民の女の子たちになる。大都市の中央図書館を除けば、夜間開館をする図書館はほとんどなく、土曜日の開館時間は朝から午後2時ぐらいまで、日曜日は閉館している。だから「図書館に行きたくても行けない」というのが現状なのである。

もちろん公共図書館は住民から強く支持されているし、身近な存在でもある。だが「老若男女が押しかける」というほどではなかった。実際に図書館の利用率が世界的にみてトップクラスである北欧の国々でも、図書館に1年に一度も行かない人はたくさんいる。公共図書館はすべての人に開かれているが、来館は自主的な意志に任されている。だから図書館に行かない人がいるのは構わないし、図書館は扉を開けていつでも待っているから、無理して図書館に行く必要はないというのが基本的なスタンスである。ただしそこには例外がある。移民・難民・難民申請者、それから基本的なリテラシーを持たないために社会的に不利な条件に置かれた人々は、社会から排除されて情報と文化へのアクセスが阻まれている。

難民の子どもたちのための放課後宿題カフェ(デンマーク・ソルヴァン図書館)
写真提供 Helle Andresen

このようなグループの人々を社会に包み込むために、図書館は積極的に働きかけて来館を促し、図書館を通した社会参加を呼びかける。北欧では公共図書館はコミュニティの社会的包摂のための中核的施設なのだ。

一生涯を通じて図書館に通うということ

「老若男女が押しかけるほどではない」とはいえ、それでも北欧では公共図書館が人びとの日常生活に溶け込んでいることは間違いない。まず保育園のカリキュラムに図書館の時間が組み込まれている。そして学齢期になると学校の授業を通して図書館訪問の機会があり、司書から公共図書館の使い方や情報の探し方を本格的に教わるようになる。このように幼少期から継続して図書館との関わりを持つことで、図書館がどんなところなのか、図書館では何ができるのかをごく自然に覚えていく。だから学校を卒業した後しばらくの間公共図書館と疎遠になったとしても、何かのきっかけで……そのきっかけは育児休暇であったり、転職の合間の期間であったり、退職だったりとさまざまであるが、容易に図書館に戻ってくることができる。

図書館のカフェで新聞をゆっくり読む(デンマーク・レントメストラヴァイ図書館)筆者撮影

こうした生涯にわたる公共図書館の使い方について、デンマーク・ロスキレの図書館・市民サービス統括責任者ラウアーセン氏は「デンマークに居住する人の96.5%が生涯のどこかで図書館を利用している。だからある時点での図書館利用者・非利用者を同定するよりも、ライフステージ全般を視野に入れて図書館利用を見ていく必要があるし、人生の中で図書館が必要になった時に身近にあることが重要だ」という主旨のことを述べている【注3】。

空気のような存在の公共図書館

北欧諸国では図書館法ですべての自治体に図書館を設置することが義務づけられている【注4】。このことは住民と公共図書館の心理的な距離の近さに直結している。北欧の場合、常連利用者と未利用者の間の利用者層が厚いといえるかもしれない。

実際に、図書館の入り口付近の椅子に座って入館者の様子を見ていると、本当にいろいろな人がやってくる。仕事明けなのか休憩時間なのか定かではないが、デンマーク国鉄の職員、大手スーパーマーケットチェーンの店員など、さまざまな職業に就いている人が仕事着のまま図書館に来て、熱心に本を読んでいる。

 北欧社会で公共図書館はもはや市民生活に馴染みすぎていて、コミュニティに完全に没入してしまっているようにさえ見える。司書は「デンマークでは公共図書館は空気のような存在だから、住民が図書館を意識することはほとんどない」といつも嘆いていた。私はそれこそが北欧の公共図書館の底力だと思ったのだが、司書にとって「図書館が空気のような存在になっている」ことは大問題なのである。なんとか空気に色をつけるべく、あの手この手で図書館PRに余念がない。

北欧の公共図書館 賑やかな対話空間への道のり(2)に続く

注1) 図書館計画施設研究所編『Libraries in Finland & Sweden』リブリオ出版, 図書館流通センター (発売), 1994, 288p. (白夜の国の図書館 1); 図書館計画施設研究所編『Libraries in Norway & Sweden』リブリオ出版, 図書館流通センター (発売), 1996, 205p. (白夜の国の図書館 2); 図書館計画施設研究所編『Libraries in Denmark & Iceland』リブリオ出版, 図書館流通センター (発売), 1998, 207p. (白夜の国の図書館 3)

注2) 北欧諸国は充実した育児休業制度で知られ、ノルウェーのように父親が育児休業を取得しない場合には、出産・育児休暇手当の支給期間が短縮される国もある。

注3) Danmarks Biblioteker, Nr. 2, 2021, p. 8-12. https://www.db.dk/artikel/et-biblioteksbes%C3%B8g-er-mere-end-et-tal-borgeren-skal-i-centrum-debatten-om-folkebibliotekets

注4) 日本の場合、日本では市区立図書館の設置率は約99パーセントであるのに対し、町村立図書館の設置率は約58パーセントである。日本図書館協会, 日本の図書館統計 2020集計http://www.jla.or.jp/Portals/0/data/iinkai/chosa/pub_shukei2020.pdf

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