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【読書】『ランナー』シリーズ あさのあつこ

高校生ランナーを主人公にしたあさのあつこさんの小説『ランナー』シリーズ。数年前に第三巻まで読み、そこで終わったのかと思っていたら2018年に完結編となる4冊目『ラストラン』が出ていたことを知りました。さっそく入手して読んでみました。

あさのあつこさんと言えば、まず思い浮かぶのが野球小説の大傑作『バッテリー』。迷い悩みながら野球と向き合っていく少年たちの心の描写が秀逸で、最終巻が出るのが待ち遠しくて仕方なかったことを覚えています。『バッテリー』がただのスポ根野球小説でないのと同様、『ランナー』も単純なランニング小説ではありません。

大きな特徴は、ランニングを主題とした小説でありながら走る場面、特に一般的なランニング小説ならばクライマックスになるだろうレースの場面が限定的にしか出てこないことだと思います。主人公となるのは2人の高校生。自覚していなかった天性の才能が開花しようとしている加納碧季と、将来の日本の長距離界を背負うのではと期待されている三堂貢。それぞれに複雑な事情を抱え、走ることができなくなったりレースへの参加が危ぶまれたりともがきながら、何とか前に進んでいこうとします。

2人に共通しているのは、走ることが自分自身であることと深く結びついているところです。それで、走るスタイルは違い、ランナーとしての実績にも大きな差があるにも関わらず、互いを意識するようになります。第3巻までは家族や周囲の人との関係にかなり重点が置かれていたのに対し、『ラストラン』では2人のランニングへの思いがよりストレートに描かれています。このシリーズでもっともランニング小説らしい1冊と言えるかもしれません。

『ランナー』シリーズは、決して明るい物語ではありません。でも私は、それぞれの巻に強く惹きつけられました。その大きな理由のひとつは、ところどころに出てくる、碧季と貢の走ることに対する思いにはっと共感させられることが何度もあったからです。そんな箇所をいくつか引用します。

走るとは空と大地の間(あわい)にある全てのものと交わることだ。剥き出しの肌で、眼で、耳で、舌で、全身で交わる。(第2巻『スパイクス』)
走っているうちに、自分の内が徐々に空いていく。そこに花の匂いが、早瀬の音が、夕日の温もりが流れ込んでくる。(第3巻『レーン』)
一線がある。
何と何を分ける線なのか貢には答えられない。けれど、線はあるのだ。走っているとそれをまたぎ越す一瞬が訪れる。ランナーズ・ハイと呼ばれているものとは違う。またぎ越したからといって爽快な気分に浸れるわけではない。ただ独りだと感じるだけなのだ。この世界にただ独りでいると。
独りで走り続けているんだと。
淋しさとか孤独とかとは異質の、“独り“という感覚を知ったのはいつぐらいだったろうか。(第4巻『ラストラン』)

海辺や山など、自然の中を走っているとき、私もこうしたことを感じることがあります。以前に「Run(走)とZen(禅)」というエントリを書きましたが、1人で自然と交わりながら走っているとき、体の奥底の中心にまで風が吹き込んでくるような感覚がやってくることがあります。なので、上に引用したような箇所を読むと深く頷いてしまいます。あさのさんは走ることをとても深いところまで理解しているのだなと思って。

ところで、私は『ランナー』シリーズの第3巻までを文庫本で読みました。文庫版には末尾に豪華な「解説」が収録されています。第2巻の解説は作家の三浦しおんさん(『風が強く吹いている』もランニング小説の傑作です)、第3巻は数々の長距離ランナーを育てた故・小出義雄さんです。小出さんの解説を読んで、私は心底驚きました。そこに、

聞けば、あさのあつこさんは陸上競技をしたことがないというではないか。なぜこれほどまでに、ランナーの心理がわかるのか。そして走ることの芯にあるものを描くことができるのか。やはり作家というのは凄いものだな

という一節があったからです。

えっ、あさのさんは自分で走る人でないのに、こんなことが書けたのか!小出さんが「走ることの芯にあるもの」と呼ぶものと私が上に記したことは、完全に一致してはいないでしょうが重なっているところもあるはずです。自ら陸上競技をすることはないのに小出さんを感心させるほど深い描写ができたのは、ち密な取材と構想力のなせる技なのでしょうか。

作家が自ら体験したことしか書けないのであれば、この世に生み出される物語の数はずっと少なくなるはずだ、ということは頭ではわかります。でも、優れた作家は未体験のことでもここまで深く掘り下げたところを言語化できるのですね。あさのさんが書いた上のような描写を読み返すたびに、感嘆の気持ちが小さなため息になって出てきます。

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