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「母親」になった日

こんにちは。2人の息子を育てながらライターをしております、「ゆうまさ」と申します。note投稿の初回として、少し私自身のことをお伝えしようと思います。どうか数記事、お付き合いくださいませ。

母になる、ということ

私が長男を身籠ったのは、まだ主人と籍を入れる前のこと。結婚の話も出ておらず、付き合いは6年に差し掛かる手前。喧嘩も増え、「そろそろ限界なのかな……」と悩んでいるところだった。

妊娠を告げると親族からは反対された。無理もない。しかし、私は産むことを心に決めていた。それは「家族を持つ」ことが私の夢だったから。

父親のいわゆるDVでPTSDを患った経験を持つ私は、どうしても自分の思い描く「家庭・親子」の関係を築きたかった。

母を説得し、彼の子であることを証明し、何度も何度も話し合い、なんとか籍を入れ……そうして生まれてきたのが長男。今は2歳半、イヤイヤ期真っ盛りのかわいい男の子。

長男妊娠時は生活費と出産費を稼ぐために、大きなお腹をかかえ、片道約2時間をかけて通勤していた。加えて「時短勤務になったら自分でローンは組めない」と、郊外の田舎町に急遽家を購入するべく、休日は不動産屋やローン会社など、一人で毎日走り回る日々。

……そんな無理がたたったのか、切迫早産の危険性を提示され、出産2ヶ月前に早めに産休に入り、お腹のチビをいたわることになった。

忙しさからも仕事からも開放され、昼の光を浴びながらベッドで過ごす日々。いままではなんとも思っていなかった出産にはじめて「恐れ」を抱いた。いや、ようやく抱けたと言うべきだろうか。

「無事に産んであげることができるのだろうか」「ちゃんと育てることができるんだろうか」そして、「……私のもとに産まれてきて、この子は本当に幸せになれるのだろうか」と。

はじめてそんな「現実」と向き合う時間ができたのだ。

ベッドの上で過ごす日々は、逃れられない「恐怖」に、「それが母になる、ということなのだ」と、「命に対する責任を負うということなのだ」と、静かに思う日々だった。

出産は「奇跡」だと知った日

予定日を過ぎても産まれてくる気配のなかった長男。マイペースな性格は、お腹のなかから変わらなかったようだ(笑)。

妊娠期間を引き伸ばすのも限界があるため、検診で即入院、計画出産を言い渡された。

検診に付き添ってくれた主人は帰宅。仕事があるため立会はしないことに。

簡素な陣痛室で過ごす一夜。「消灯時間ですよ。明日は大変だからね、ゆっくり休んでね。」そんな優しい看護師さんの言葉とは裏腹に、はじめての出産への恐怖と一人立ち向かうことへの心細さに一睡もできず、病棟をウロウロしては自販機で水を買ったり、外の繁華街で騒ぐ若者の声を聞いたりしながら、夜を明かしたのを、今も鮮明に覚えている。

次の朝、少しうたうたとした後、陣痛促進剤の投与が始まった。

「いよいよだ……」胸がドキドキしたあの感覚は、おそらく生涯忘れないだろう。何時間か経って、陣痛が始まり、分娩室へ向かう。まだ痛みは耐えられるレベルだった。

それからの数時間のことは、誰もがご想像のとおりの七転八倒。経験したことのない痛みが連続で訪れる苦しさ、あまりの痛みに吐き気を催し、ナースコールを押し、爪が食い込むほど分娩台の手すりを握りしめる……。

それでも何時に促進剤をどれくらい増やしたか、痛みがどの程度になったか、陣痛間隔は、など事細かにスマートフォンに記録していた。

そんななか、聞こえたのは、看護師さん同士で「バリアブルが出てるね」と話す声。

「……バリアブル?」聞き慣れないその言葉になんのことかうつろな意識で聞くと、赤ちゃんの心拍が少し弱くなっているとのこと。

今思えば当たりまえのことなのだが「そうか、頑張っているのは私だけではないんだ」と思った。

出産という大舞台に臨んでいるのは、私一人ではない。お腹のチビも一緒に頑張っているんだ。

そう思ったら、不安や立会のない心細さが一気にスッと消えていった。勇気が出てきた。「母親になるんだ。これくらいで音を上げてどうする」と。

同時に、無事に命を生み出すということは、決して当たりまえのことではなく、奇跡のようなことなのだと感じた。陣痛が来るたび、「頑張れ、チビ!ママも頑張るからね!」そう心の中で声をかける。

その数時間後、無事にチビが産まれてきた。不思議なもので陣痛の痛みの感覚は産後忘れてしまうものなのだが、「命を生み出す」瞬間のあの感覚はいまでも鮮明に覚えている。

「ヒェ!ヒェ!」他の赤ちゃんよりもなんだかか弱い産声で第一声をあげた我が子。

「おめでとうございます、かわいい男の子ですよ」産まれたばかりの赤ちゃんを胸に抱かせてもらったときは、ただただ「やっと会えたね」「頑張ったね」と、ただただ愛おしく、涙が流れた。

壊れてしまいそうなくらい小さな手指。透けるような肌、かわいらしい唇……。母になったことを実感したというよりは、なんだか夢のなかにいるような不思議な感覚。「私はこの子のママになったんだ」その喜びをあたたかく噛みしめた瞬間だった。

執筆後記

今回は長男の出産、母になるという体験についてお話させていただきました。次回からは次男の出産と、職場への復帰、仕事と育児との両立の厳しさなどについてお話させていただければと思います。

ここまでお読みいただいた皆さまの1日が、ステキなものになることを願って……。

#育児   #子育て   #出産   #年子   #子ども









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