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ハードボイルドな教育実習

はじめて教員の仕事を垣間見た、教育実習の思い出を書いてみる。

当時50代だった指導教官は、京都生まれ・育ちの女性。翌日からの教育実習に向け、あいさつに訪れた私を見るなり「待っていたのよー!!」と笑顔で迎えてくれた。

「なんてええ人なんや、現場の先生たちからすると結構面倒くさい(らしい?)教育実習をこんなに喜んでくれるやなんて!」と喜ぶ私が連れて行かれたのは、教室裏の農園。

「これ、全部耕してくれはる?(はんなり)」

柔和な笑顔でシャベルを手渡され、まさかの、4クラス分の農園づくりを命じられた。おっとりとした話し方の奥に圧を感じ、「おいおい私の教育実習、なかなかハードそうやぞ…」と震えたのを覚えている。

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大学から提示されたスケジュールでは、2週間は担当クラスを含めた校内の授業を見学し、3週目から研究授業に向けて少しずつ授業をするはずだった。けれど私は、2日目の放課後にいきなり「授業してみはる?」と言われ、3日目から実習最終日までそのクラスの算数(専門)、3週目からは国語・生活も担当した。

さらには「教室の掲示物(お誕生日列車・1年分)、作ってくれはる?」「参観日で、ピアノ弾いてくれはる?」などなど、仕事を振りに振られる毎日。居酒屋店員のバイトで鍛えた「はい!喜んで!!」精神で、私は1つひとつを自分なりの全力でやりとげた。

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大学の仲間と教育実習の話をすると、みんなやさしいから言葉にはしないけれど、決まって「ハズレを引いたね」「かわいそう」という表情をする。受け取り方によっては、コキ使われているので無理もない。

けれど私は、ハズレどころかむしろ、大当たりやったと思っている。現場に立った後、当時は「もう無理…限界」と思った教育実習の日々なんぞ、氷山の一角に満たない分子レベルだと気付いたから。ある程度ヘビーな現実を知っていたおかげで、キラキラした理想の世界とのギャップを感じずに済んだ。笑

それに、今だから分かるけれど、教員免許も持っていない学生にあれだけの業務を任せるのは勇気がいったと思う。「学生だから無理」と決めつけず、任せることで育ててくれたんだと感謝している。

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「ああ、早く教室に行って子どもたちと話したい」
そう思ったほど、パワハラやなんやかんや、円形脱毛3か所、過敏性腸症候群にもなりかけたストレスフルフルーな十数年。なんとかかんとか乗り切れたのは、この「ハードボイルドな教育実習」がクッションになってくれたからだと思う。

「同業者はいいわよ!先生も、教員と結婚しなさいな」
そう言って、大学生の私に教員の旦那さんとの馴れ初めをうれしそうに話してくれた指導教官。元気にしてはるかなぁ。




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