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【しくじり】音楽家としての私の失敗、私の勘違い①そもそもオーボエ、好き?また好きになれる?

こんにちは、ウチダユメミ(@yumemi_uchida)です。

はじめに

常に中途半端感がまとわり付く私。
下向きの螺旋階段を降りてるような感じもありつつ。

演奏家として、レッスン講師として
仕事が激減した原因などを自分なりに分析して
赤裸々に書いてみるシリーズ。
誰かの(ポジティブでもネガティブでも)参考になるのでしょうか???
演奏家としての成功例は世にたくさん、溢れてるから失敗談だってあったっていいかな?と。

ということで、失う物もないので書いちゃう。
TVのしくじり先生じゃないけど、私みたいになるなよの意味も込めて。
もしくは、私みたいなのでもなんとか生きていけるよ、でもあるかしら。

学生時代、悩んだ時に
レッスン以外で相談できる大人がいたら良かったなと思うことが多々あって。
精神的に安定した、利害関係のない、総合的(人生、恋愛、体調、人間関係(家族とかも))な相談できる大人が欲しかった。
ならば、自分がその立場になりたいな、と思ったのです。
それには、今までの経験を晒すのもありかな、と。

第1弾は
自分がもうかれこれ20年以上(正確には24年目)吹いてるオーボエのこと。
音楽を学べる大学も出て(総合大学だからこんな言い方)、
留学もしたのに、今更、なんで?という疑問を自分でも抱きつつ、
ここはちゃんと掘って向き合いたいなとも思ったので。

そもそも、オーボエ好き?

オーボエという楽器の存在を知ったのは、
かれこれ小学校6年生の時。
10歳離れた近所のお姉さん(のちに私にピアノの先生になる方)が
オーボエで音大に行かれてる話を何度となく母から聞かされる。
「素敵よねぇ」と。
その当時、私はなんとなくフルートをやっていて(小学5年生から)
そのフルートも母親が昔に購入して家で眠っていたものだった。

38歳の時に「親が喜べば」を基準にずっと生きてることに気付いた。
小学生の時、そんなことに気付いてるはずもなく、
フルートを始めたのも、オーボエを始めたのも、
いま思えば、「母が喜べば」が刷り込まれた結果だった。
オーボエでオーケストラに入れば、親は喜ぶことを幼いながら察していた。

母は音大(音高)に受かったのに、行けなかった。
その話も何度となく聞かされてる。

音楽の道を自分で選んだはずだったけど、
なんで今更こんなことを書くかというと

・オーボエオタクになりきれない
・リード作りは嫌い(販売してたのに)
・自分で選んだはずなのにずっと苦しい
・情熱を傾けられない

受験生の時も、浪人中も、学生の時も、留学中も、社会人になっても
こういう、ずっと煮え切らない想いがあったのだ。
煮え切らないし、ずっと苦しい。
吹くのは楽しいんだけど、それ以上に楽しみや興味が見出せず、
吹けない曲や壁にぶち当たった時、なんと、自分がもろかったことか。

留学先で
自律神経失調症気味(不眠、嘔吐、抜け毛、生理異常etc)になったのも
今なら説明できる。

好きなことをやってるはずなのに
ずっと苦しかった。
当時は思うように吹けないから苦しいんだと思い込んでた。

音楽の道を自分で選んだ時、どうだったのか?
思い出してみると、希望に溢れてる反面、
どこか、やけくそだった記憶がある。
親に対して「これで良いんでしょ?」的な。
その当時はうまく言語化できなかったけど、思い出すとそんな感情。

そもそものオーボエを選択した時、
音楽の道の選択した時がそうだった。
客観的にみて、そいつは苦しくなっちゃうはずだ。

で、楽器を吹くことにしか興味がない。
もっと分析しなきゃ、もっと歴史的背景を知らなきゃ、もっとリードの研究しなきゃ。
そう思う自分もいたんだけど、一通りは調べるけど、
深く掘り下げることに興味がもてなかった。

全部、同じに聴こえる

時は経って2010年にソロリサイタルを開催するのだけど、
聴きにいらして下さった先生から
「お前はどの曲、吹いても同じだな」と。

どんなプログラムだったかというと

・シューマン:アダージョとアレグロ
・ヒンデミット:イングリッシュホルンソナタ
・シルベストリーニ:ホライ・ヴォルビレス
・平尾貴四男:オーボエソナタ
・モーツァルト:アダージョ(イングリッシュホルン)
・フランセ :オーボエとファゴット、ピアノの為のトリオ

バラエティ豊かに揃えたのに、その当時はそう言われてショックでしたが、いま思えば、そりゃそうですよね、と。
だって、吹くことが楽しいん(だけなん)だもん。
一応、プログラムノート(曲目解説)は自分で調べたりはしましたが、
曲に対しての興味は吹いてて楽しいか、カッコいいかだったな、と今なら言えちゃいます。
母を喜ばす為にオーボエ選んじゃってるし。
このリサイタルもさぞかし喜んでました。

今、オーボエに思うこと

演奏家として、レッスン講師として
仕事が激減して
いろいろ気付いて母と距離をとるようになってから、
私のコンサートに
母から聴きたい曲のリクエスト、選曲への批判、共演者の評価をされることもなくなり、
時間を置いて、久々にリードを作ってみたり、練習してみると
新たな発見や作業に「これ、楽しい」「こういうの、好き」と
小さい細かい興味を見つけることができるようになってた。
「あぁ、オーボエのこういうところが好きかも。好きになれるかも」と。

こんな私にも「ファンです!」と仰ってくださる方がいる。
もし機会があるならば、
そういう方や目の前の方々に喜んで頂けるような、
そして、自分も楽しいな、と思えるような演奏をしていけたらな、と
今は思う。

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