つまらないものの中に希望がある

 何かつまらないなあ退屈だなあと思うものを観たり読んだりしているときの方が、クリエイティブな脳の働きをするんじゃないか。
 最近そんな風に思うことがある。

 映画でも、小説でも、どうせなら面白いものを観たり読んだりしたい。
 つまらないものに触れるのは時間の無駄だ。
 映画館で観ている映画がつまらないなら、いっそのこと映画館を出てしまった方がいい。読んでいる本がつまらないなら、その本は閉じて別の本を読み始めた方がいい。

 確かにそれはそうなのだ。時間は有限だ。つまらないことに触れている時間はもったいない。面白いものは幾らでもあるんだから、つまらないことはさっさと捨てて、そっちに時間を割いた方がいい。

 でも、つまらないことの中には希望がある。

 君がつまらないと思うとき、本当はこうだったら良いのに、が常に潜んでいるはずだ。

 こんな終わり方つまらない。2人が最後離ればなれになっちゃうなんてつまらない。最後はハッピーエンドじゃないと。ああ観て損した。

 この2人、そもそも何で付き合うことになったの?この部分もっと読みたかったのに。だから全然感情移入できない。そこ端折っちゃ駄目じゃん。

 アクションばかりで全然ドラマがないなあ。もっとこの人たちが普通に話しているのを観たいな。この主人公いつも怖い顔しているけど、笑ったりしないのかなあ。

 嫌な人ばかり出てくるけど、世の中こんなに嫌な人ばかりじゃないよなあ。むしろ良い人の方が多い気がするのに、どうしてこんな嫌な人ばかり登場させて物語を作るんだろう?もっと良い人が出てくるものを読みたいな。

 何かつまらないものを観たり読んだりしているとき、そこには自分なりの本当はこうだったらいいのに、があるはずだ。

 その本当はこうだったらいいのに、こそが君にとっての希望なんだ。

 世界をどう見ているのか、どう見たいのか、人にどうあって欲しいのか、自分はどうありたいのか。どんなものを美しいと思うのか、どんなものを醜いと思うのか、許せないものは何なのか、叶えたい願いは何なのか。

 本当はこうだったらいいのに、の中に、君にとって大事なもの、価値観が詰まっている。

 つまらないものに触れているときは、その本当はこうだったらいいのにについて考えればいい。それはとてもクリエイティブな時間になるはずだ。

 面白いものを観ているときは、そんなことを考える暇がない。最初から最後までその面白さを受動的に受け入れることしかできない。最後は感動して満たされた気分になるかもしれないけれど、自分で何かを生み出そうとする力にはあまりならない。むしろ、自分にはこんなの創れないや、と圧倒されて打ちのめされて、創る気力がなくなってしまうかもしれない。自分が創らなくても他の人が創ってくれるからいいやって。

 だから、つまらないものはむしろ希望なんだ。つまらないものを観たら、それを自分にとって本当はこうであって欲しいという形に作り替えればいい。

 この世界にある無数のつまらない作品こそ、君にとっての希望なんだよ。

 

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