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両立は諦めた

「育児と仕事の両立」という言葉について、ずっと考えている。

出産前は絶対に両立してやる!と意気込んでいたけれど、いざ産んでみると「両立ってなんだ?!」というメンタルになったのだ。

「両立」を辞書で引くと、「ふたつの性質の違うものが両方ともうまくいくこと」と書かれている。
なるほど、両方ともうまくいく、か。

ところで育児が「うまくいっている」とは、どの状態を指すんだろうか。子が死ななければ「うまくいっている」?それとも成長曲線が順調なら「うまくいっている」と言っていい?

私は1年ちょっと育児をしてきて「育児がうまくいっている」と感じたことが、まだ一度もない。いつだって手探りで、いつだってよくわからない。何かが起こるたびにググってるし、悩むし、慣れてきたと思ったら怪我をさせて落ち込んだりする。

「育児と仕事の両立」を期間限定で諦める、という選択


結論からいうと、私は「育児と仕事の両立」を諦める、という選択をした。ただし、期間限定で。

妊娠前は仕事=人生だった。朝起きてから寝る2時間前くらいまで仕事をしていたし、繁忙期は土日も働いた。編集長、副編集長的なポジションの仕事もあったので、基本即レス、タスクの優先順位が当日変わることも多かった。

その働き方はいま、できない。というか、やりたくない。仕事=人生ではなくなったからだ。息子が体調を崩したときに「うわ最悪」って思いたくない。

というわけで現在の私は、スピードが必要なもの、夜間対応が必要なもの、責任者的ポジションの案件はすべて断っている。そしてそのことは「責任ある仕事を請け終えない」もどかしさより、「育児のことで人に迷惑をかけずに済む」安堵感の方がはるかに上回る。

いま私は、育児も仕事も「そこそこ」だ。かっこよく「仕事も育児も両立してます」って言いたいけど言えないもんで、「仕事も育児もそこそこでやらせてもらいます」ということを周囲の人に理解してもらいながら、なんとかやっている。

だけど、いつかきっと育児も仕事も「ここ頑張らんとダメだね」ってときが来ると思う。そのときはそれぞれの重心を変えながら、多少無理をして頑張りたい。

「産後バリバリ働」かないと、キャリアを諦めることになる?


私が「いまはそこそこ」を選択できたのは、家族とクライアントの理解があるからだ。

ところがどっこい、会社員になると突然、家族やクライアントに理解があっても、そううまくいかないケースが多いらしい。

会社員をやっている子持ちの友人と話すと「仕事の調整が柔軟にできるのは羨ましい」「休みづらい」「同僚に申し訳ない」という言葉をよく聞く。

そして聞けば聞くほど、育休明け会社員の大変さはヤバイ。
0歳の間はガッツリ育児、1歳になった途端にフル出勤。当然子どもは慣れない保育園でしょっちゅう熱を出したり夜泣きが増えたりする。だけどしょっちゅう仕事を休むのが申し訳なくて、夜な夜な寝不足で仕事を頑張っちゃったりする。夜泣きも増えてるから、睡眠時間ばかりがえぐいレベルで削られる。それだけ頑張っても、同僚に仕事をお願いしないとまかなえない。

む…

無理だ。

寿命縮むよ、そんなん。
そもそも育休かフル出勤かしか選択肢がないのがしんどい。ゼロか百かの極み。そして仲間とはいえ、給料は変わらないのに半強制的に仕事が増えてしまう同僚だって大変だ。それがわかっているのに頼るのもしんどい。めっちゃ申し訳ない。ああ、また子どもが熱出した。保育園から電話がかかってくる。着信を見てドキッとする。嫌な顔をしたくないのに、してしまう。熱がある不機嫌な子を抱きかかえながら、会社での居場所について考える。同僚になにか買っていくべきか。いやキリがない。今日は何時に寝られるだろう。
…だめだ。考えるのつらい。そして考えるまでもなく、ママも同僚も子どももみんな頑張ってる。みんな頑張ってるのに、みんなしんどいって最悪だ。


少しずつ復帰という選択肢はないのかと聞くと、だいたい返ってくるのは「産後バリバリ働かないとポジションがなくなる」という答え。

なんで、と思う。たとえば一度ポジションが下がったとしても、時期が来たときにまた走れば追いつけ、追い越せる仕組みにはならんのだろうか。どうしてわざわざ一番大変なときに頑張らないと、諦めるしか選択肢がないのだろう。

一般的に「育休明けもバリバリ働く」「キャリアダウンは産後のママの可能性を奪ってる」「同僚は”お互い様”で育休明けのママさんをサポートするべき」みたいな考えが良しとされているけど、本当にそうだろうか。

私だったら、一時的にキャリアダウンしてもいいから、帰りやすいポジションがいい(あくまで”一時的”である保証付きで)。どうしたって子どもは熱を出すんだから。そして同僚のサポートが大前提なのもどうかと思ってしまう。たしかに育休明けのママさんをサポートすること自体は思いやりがあって素敵だけど、それはあくまで善意であって、社会全体の「当然」とするのは違うのではないだろうか。

たとえば、産後ベーシックインカム的な制度とかあったらいいのにと思う。そしたら仕事復帰するときに「ベーシックインカムでまかなってるので、有給増やしてください。その代わり給料5万円減らしてください」みたいなことができたりして、差し引いた5万円を積極的にサポートしてくれる人に上乗せするとか、もしくは5万円分のアルバイト雇う、とかができたら、みんながハッピーになれるんじゃないかなぁ。産後はゆっくり仕事して、それを周りも心から望めたりして、時期がきたらキャリアをごりごり積んでいく。っていうのはどうでしょうか、拝啓どこかの偉い方。

子どもが熱を出しても、ため息が出ない自分でいたい


と、お国の新政策を待望してしまうほど、大きな支援が必要なレベルにあると感じているけれど、じゃあいま私に、私たちにできることって何だろうということはちゃんと考えてみたい。

私は、抽象的だけど「考えること」だと思う。「これが正しい」とされていることについて、私はどうだろう?うちの会社はどうだろう?あの人はどうだろう?って、ひとりひとりが考えてみることが、まず最初にできることなんじゃないかなと思う。そこから会社やチームオリジナルのサポート体制が生まれるかもしれないし、育休明けのママさんが焦らずキャリアを積める仕組みが浮かぶかもしれない。もしかしたら、「時期が選べるとしたら、キャリアはどのタイミングで積みたい?」って質問がひとつ生まれるかもしれない。

本当に産後の女性、もとい「産後の私」「産後のあの人」に必要な環境は「キャリアダウンせずに社会復帰」「育児中の人をみんなでサポートするチーム作り」だろうか。まずはそういうことから考えたい。


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