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父が亡くなり 早5年
娘の私が言うのも何だが
万人に慕われる人格者であった。
改まって人格者と表現すると仰々しいが
凡人の中の人格者とでも表現しておこう。

人が良すぎて 良いように利用されたこともあったが
父は 利用する方でなくて良かったと笑っていた。
父はそういう人なのだ。
人様の悪口を言うところを1度も見た事が無かった。
そんな父に育てられた私は 残念ながら
理不尽な行動をする者に対しては 悪口も言う。
人格者とは 到底言えない凡人の中の凡人である。

つい先日 私が3歳の時から過ごした実家が
母の歳を考慮して 
実家と同じ町内のマンションに引っ越した。

50数年 両親が築いてきたその城の中には
亡くなって数年経っても
父の思い出で溢れかえっていた。
引っ越しに合わせて その思い出の品は
ほとんどが処分され
新しい新居には 父を感じ取れるものは
お仏壇のみとなった。

引っ越しに備えて 片付けをしている時は
もう必要無いと割り切っていたものの
いざ 場所が変わった実家へと向かうと
そこは 果たして実家と言えるのか
他所様のお宅に訪問したような気持ちになる。

阪神大震災のあの大きな揺れの際
リウマチを患って思うように動かない身体だったのに
誰よりも1番先に起きて 大きなタンスを支え母を守ろうとした父。
タンスが倒れることもなく 揺れが収まった時には
タンスを背負うように立っている父を見て
火事場の馬鹿力と家族で大笑いした あのタンスも今は無い。

街の電気屋で 特に電化製品の修理が得意だった父が 大切にしていた修理カバン
亡くなっても ずっと家の中にあったが
私を大きく育ててくれた そのカバンも無い。

父の面影が無くなった新居のベランダからは
父の仕事の手伝いでよく向かった生駒山が見える。
無くなったものは多いが  
代わりに昔の思い出を紐解く景色を得る事となった。

亡くなる前まで ずっと自分の生まれ故郷・熊本に帰りたがっていた父。
昨年秋に 母と弟 我々夫婦4人で帰郷した。
途中 台風による球磨川氾濫による 大きな爪痕
まだまだ復興とは 程遠い様子を目の当たりにし
胸が痛んだ。
その反面 父がこの風景を見て
心を痛める事無く逝って良かったとも思った。
だが 父の生家に帰ると そこに広がる風景は
小さい頃見た風景と何ら変わらない。
きっと父が見てきた風景とも さほど変わらないであろうその手付かずの自然の中に 父を感じるのであった。

物が与えてくれる思い出よりも
自然が与えてくれる
木々が揺れる葉音であったり
藁を燃やしたような匂い
目にも美しい 緑のコントラスト
五感を刺激するそれらによって
ふと真横に父が立っていて
普段は大阪弁しか喋らない父が
「よかばい…」とふざけて熊本弁を口にする
そんな妄想さえ与えてくれるのである。

自分の中に居る父が この先何年経っても
褪せることのないように
五感を研ぎ澄まして 生駒山を眺めてみよう。
また 私の中の父と話せる そんな気がするから。


父の田舎の美しい棚田



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