やりたいことに理由はいらない
友人らと話をするとき、会話の中で時々気になることがあります。
それは何か行動を起こそうとすると、目的や理由を問われることです。
「それをやるメリットは?」
「もっと生産的な方法があるのでは?」
「それで、どのようにマネタイズ化するつもり?」
ビジネスとして行うことなら、そういった質問がきても不思議ではありません。
むしろ、明確な目的やベネフィット、高い生産性が求められることは自然なことでしょう。
ただ、ビジネス以外のプライベートなことであっても、目的や理由を尋ねられることがしばしばあります。
たとえば、何かの勉強を始めたとしたら、
「何のために?」
「それをどう生かすの?」
といった具合に。
そうした質問に対して、例えば
「試験に合格したら、手当がつくから」
といったロジカルな答えが返ってくれば、相手もと理解を示すかもしれません。
「なるほど、そのために〇〇を勉強するのですね」と。
でも、そんな風に説明がつくことばかりではありません。
純粋に興味がある、チャレンジしてみたい。そんなシンプルな想いもあるのでしょう。
すべての行動に、理由は必要でしょうか。
見返りがない行動は、時間の無駄なのでしょうか。
子どもは、ただ楽しくて遊んでいるのです。
親は、ただ愛しくて子を可愛がるのです。
そこにロジカルな理由や見返りなどありません。
あるのは、喜びです。
人は、純粋に、ただやりたくてやっていることがあります。
そのために費やす時間は、その人にとってはかけがえのないもので、価値があるものです。
それなのに、なぜ理由や目的を求めたがるでしょう?
もしかしたら、それぞれに内に秘めたやりたいことがあって、けれど自由にできないことに対する裏返しの感情なのかもしれません。
だから、それなりの合理的な理由があるはず、と思いたいのかもしれません。
けれど、人は必ずしも損得で動いているわけではありません。
昨今は何かと「タイパ」や「コスパ」が求められますが、そんなことは関係ありません。
どれだけ内側から湧き出る純粋なものと、自分自身が誠実に向き合っていけるか。
それが大切なのです。
自分自身が納得していれば、人に理解してもらうための理由を誂える必要などありません。
ですから、他人に何を言われようと、自分の中にある純粋な想いを大切にしていきましょう。
それこそが、人生を楽しむ秘訣かもしれません。
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