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ベレ族のハーブ【怪物ホラー短編】

 祖父が残したインディアンの羽冠を店に飾ると、客には好評だった。
 かつてこの国の先住民族であるインディアンたちが住んでいた平原近くの小さな町で、わたしは酒場を営んでいる。この町はアメリカ開拓時代の雰囲気をまだ残していて、レンガ造りの建物も多い。わたしが営む酒場も開拓時代を思わせるサルーンのような店構えにしてある。内部も当然、当時の面影をできるだけ再現したものになっていた。これらの工夫は、訪れた人々の心のなかにあるフロンティア精神を大きく刺激するものになった。この町は以前起きた大火で多くの建物が焼失したが、新しい建物もかつての雰囲気を重視したものになっている。残った雰囲気を観光業の一環にしようと町も躍起になっていたのだ。そんななかで実際のインディアンが使っていた道具は、町にとっても客にとっても喜ばれるものだっただろう。
 こういった事情から、町にはネイティブの血を引いた者が多くいた。わたし自身もその一人だ。もっと血が色濃かったのは祖父で、祖父はネイティブの血を直接継いでいた数少ない人間だった。わたしが幼いころには、ネイティブに伝わる精霊や魔性のものの話をよく話して聞かせてくれた。その物語は幼いわたしにとってひどく魅力的でもあり、またひどく恐ろしくもあった。祖父はネイティブの人々がいずれ移民たち――祖父はそう呼んでいた――と混ざりきると思っていて、母と父との結婚にもなにも言わず祝福したが、受け継がれた知恵と物語だけは残そうとしたのだ。
 わたしはそれをうまく使うことはできなかったが、少なくともわたしが受け継ぐことになった酒場では役に立ってくれている。インディアンの血を引く者が酒場の主人をし、ときおりその物語を語ってくれるというのは、現代においては貴重な資料であり物珍しさが人目をひいたらしい。ときにはただの観光客だけでなく、研究者と名乗る者がやってきて、わたしの僅かばかりの話を聞くことさえあった。
 そんな祖父は精霊たちの話だけでなく、ほかの部族の話もよくしてくれた。この町の近くには平原があり、いわゆる多くの人がイメージするであろう典型的なインディアンの人々が住んでいた。つまりは西部劇にも出てくるような、羽冠をかぶって馬にまたがり、バッファローを追い、テントのような家に住む人々のことである。祖父もそのひとりだったが、インディアンというのはわたしの思うよりもずっと様々な部族で形成されていたらしい。場所が違えば住居も違う。信じられている精霊ですら違うという。どんな部族がいてどのような生活をしていたか、祖父が残した物語は細かいところまで及んでいた。
 そんな祖父だが、ベレ族にだけは特に嫌悪感を抱いていた。
 とにかくベレ族には絶対に関わるなといつも口酸っぱく言っていた。
 ベレ族がどんな部族であったか、語り口には拭いきれないほどの苦々しさと嫌悪が入り交じっていた。とにかく奴等には関わるなというのが言い分で、時に怒りさえ混じっていたように思う。それは祖父だけでなく、他のどの部族に聞いたとしても同じように言うはずだと言った。
 そのベレ族は、時代に合わせて名前を変えて生きてきたという。その名前は多く、「青目の蛇」や「灰色の縄」、あるいは「のたうつもの」という意味を持つこともあった。ベレ族というのもその当時名乗っていた名前に過ぎないが、ネイティブの管理保護を行う人々がそう決定付けたという。本来のところはベレ族本人たちにしかわからない。
 もともとは異端のシャーマンを中心とした部族で、平原に住む部族のなかでも異端であったという。秘密主義で、平原の中でも岩の多い地域で隠れ住んでいた。体をすっぽりと足まで覆い隠すほどの服を着て、なかでも古い人々は頭に巨大な目の刺青を入れていたという。ベレ族というのもほとんど仮の名で、彼ら自身は自分達の部族の名に拘っていなかった。その時々によって名前を変え、だからこそ他の部族によって付けられた名が彼らを認識する名前にもなっていた。現在では髪の毛は剃っておらず、首の後ろにある目のような奇妙な刺青が彼らを見分けるものだった。だがそんなものを見ようとしなくても、むしろ近親相姦を繰り返したのか奇妙に突き出た目が特徴でもあった。蛇やロープ、縄といった言葉がベレ族を指すこともあったが、むしろその本質は大きな目にあったようだ。
 祖父はこんな風に言っていた。
「奴等は自分たちで作り上げた独自のハーブを使って、神と交信していた。それで自分達の神に生贄を捧げていたんだ」
「神? それは……」
「多くの移民たちがいう神ではない。もっと悍ましく惨憺たるものだ。あれは悪鬼であり、邪悪な精霊だ。そして異端の神ともいうべきものだ」
 巨大な目を模した、異端の神。
 彼らが忌み嫌われる大きな理由がそれだった。
 祖父をはじめとしたインディアンの人々がベレ族を嫌悪する最大の理由は、かつてベレ族が他の部族から人を浚って生贄を捧げていたからだと言う。怪しげな魔術を行い、酩酊感と幻覚作用のある薬草を乾燥させたハーブを作り、神と交信したり話したりをしていたと。そのためにベレ族はほとんどのインディアンと敵対関係にあった。少なくとも祖父の集団とはそうだった。
 祖父達が「悪鬼」や「邪神」などと呼ぶそれを、ベレ族の人々は崇拝していた。噂では、ベレ族が拠点としていた洞窟に部族の男たちが赴くと、そこには生贄にされた人々の血の跡と、壁一面に描かれた巨大な絵を見つけたという。巨大な目と、その周辺を取り囲む奇妙な触手のようなものだった。それが蛇なのか縄なのか結局わからず、人によってはこれはむしろ太陽と太陽光線を現しているのではないかと考えた。だがあんなものは太陽ですらないと一蹴されたという。人の世界にあってはならない、悍ましく、恐ろしいなにか――ベレ族の人々はそんなものを崇拝していたという。
 平原は現在、国立公園として観光のひとつになっている。そもそもインディアンの文化そのものもひとつの観光用になっていることもある。だが、ベレ族だけは違うという。まだ人の手の行き届いていない場所で隠れるように住んでいるとさえ言われていた。あの平原のどこかにベレ族がいると。
 だがわたしは、そんな危険な部族がいまだ存在しているかどうか懐疑的だった。祖父達がかつての生活から次第に町に入り、文化が観光用になった現在では、隠れ住んだ部族がいる事など信じられなかった。あったとしてもずっと昔のことで、いまはもう行っていないのではないか。そう考えていた。

 そんなある日のこと、わたしはいつものように酒場で店を開ける準備をしていた。ちょうど昼を過ぎて、まだ人の少ない時間帯だ。その日はたまたま客がだれもおらず、わたしは暇を持て余していた。カランコロンと音が鳴り、酒場の入り口から誰かがのっそりと入ってきた。
「いらっしゃい」
 わたしは入ってきた男に声をかけた。
 男は少しよれたシャツにジーンズ姿で、ぎょろぎょろとした目で辺りを見回していた。わたしにはその様子が単にどこへ座ればいいか迷っているように見えた。見た事のないはじめての客だ。
「お好きな席へどうぞ」
 わたしが言うと、男は相変わらずドアの前で突っ立っていたものの、やがてまっすぐにわたしのいるカウンター席へとやってきた。微かに見えた男の肌は浅黒く、顔の構造からネイティブの血を引いていることがうかがえた。ほとんど混ざってしまっているなかでは珍しいと思った。
「ご注文は」
 改めて男の顔を見て、どきりとした。
 ちらりと見た時は気がつかなかったが、その目は前に大きく突き出たようになっていた。
 まさか、と息を呑んだ。その姿が、祖父に何度も聞かされたベレ族の風貌と一致していたのである。実際に目の当たりにすると、どことなく背筋が凍るような思いがした。でも古い暮らしをしている人々が、金銭を求めて町に入り込むのは普通のことだ。あるいはこの人物がたまたまベレ族の血を引いているのかもしれない。
「……何にしましょう」
 わたしは、男は後ろを向きやしないかと考えた。確か目の形をした独特の刺青は、首の後ろにあるはずだ。男はボサボサの黒い髪の毛を長く伸ばしていて、ちょっとやそっとでは見えなかった。
「メニューはこちらです。英語は読めますか」
 そう促したが、男は黙ったままだった。気味が悪いとさえ思った。帰ってほしいと喉から出かかったとき、男は持っていた袋の中から何かを取りだした。カウンターの上に並べられたのは、白い小袋だった。ティーバックの紅茶くらいの大きさの紙袋で、みなホッチキスで留められていた。思わず怪訝な表情で男を見ると、男はその突き出た目でじいっとこっちを見返した。
「こいつを売りたい」
 男はたどたどしい英語で言った。
「売りたい、ですって?」
 ため息をついた。どうやら客ではなく、変な売人だったらしい。
「お香みたいなものだ」
 相変わらずたどたどしい英語で答える。
「火をつけて使う。それで気持ち良くなる」
「薬の押し売りならよそに行ってくれ、ここは酒場だ。酒を飲むところであって、買い取り業者じゃないんだ」
「薬じゃない。気持ち良くなる」
 何が違うんだと言ってやりたかったが、男は引き下がらなかった。それどころか白い紙袋を破いて中のものを出すと、目の前にあった灰皿のなかへ勝手に入れた。
「おい」
 止めようとしたが、その前に男は素早くライターに火をつけた。男がお香といったものは、お香というより切り刻んだ乾燥ハーブのように見えた。それこそ紅茶と言われれば信じてしまっただろう。男が素早くハーブに火を点けると、すぐに煙が立ちこめた。
「やめろっ」
 わたしは叫んだが、既に煙を吸ってしまった。いやな臭いだった。ミルクのようだが、どことなく腐った臭いがした。顔を顰めて手で煙を払いのけたが、灰皿を奪い取る前にだんだんと頭がぼんやりとしてきた。ふわふわと足元がおぼつかなくなる。独特の酩酊感があった。これはまずい。頭の中で危険信号が鳴り響く。灰皿を取ろうとしたが、遠近感がいまいち掴めない。それどころか思わず膝をつきそうになったのをなんとか堪えるほどだった。体から力が抜けていくと、店のなかの灯りがチカチカと明滅しはじめた。周囲に霧が立ちこめたようにおぼろげになる。その霧の中から、なにか奇妙なものが見えた。最初それは蛇みたいだと思った。灰色の巨大な蛇の尻尾だと。けれどもそれは天井からいくつも垂れ下がり、店の中に現れようとしていた。
 しかし蛇と違うのは、灰色の体はボコボコと突起のように隆起していて、目の前で蠢いていたことだ。触手だった。触手がいくつも折り重なり、それぞれがのたうっている。天井や壁のあちこちから現れたて蠢いていたかと思うと、やがて天井から大きな黒い水晶が現れた。それは次第に下りてきた。さいしょは巨大な球体か半円形だと思ったのは、下がってくるほどに天井を埋め尽くすほどになったからだ。外側は濃い青色の線がいくつも中央の黒に向かって走っていて、青緑色をしていた。その水晶がわたしをとらえると、これは目だと気がついた。のたうつ触手に囲まれた目だ。あるいは触手を備えた目玉か。触手は束になっていて、まるで触手の翼のように開閉しながら蠢いていた。
 これほどぞっとすることはなかった。どんな幻覚であってもこのような生きものを生み出すことがあるだろうか。わたしが後ずさりしようとすると、触手についた突起が上下に開いた。そこにも中央と同じ目があって、わたしを見つめた。
 直観的に気がついた。
 これは祖父が言っていた神とやらに違いない。こんなものはまがい物だ。こんなものはどんな精霊とも、どんな神とも違うものだ。こんなものが現実にいていいはずがない。わたしは相変わらず酔ったようにふらふらとしていたが、ふと下を向くと、まだそこに元凶があることに気付いた。あの灰皿で、男がハーブと呼んだものが燃えている。男は恍惚とした表情で、天井の化け物を見ていた。私はそろそろと手を伸ばして、灰皿を取ろうとした。手が震えてカタンと音がしたが、その音で我に返った。私は一気に灰皿を奪い取った。男が振り返って奪い返そうとしたが、わたしの方が早く中身をシンクにぶちまけた。蛇口をひねり、水をかける。ジュッという音がして、煙が立ち上った。
 男は英語ではない言語で何やら喋っていたが、カウンターを乗り越えようとする彼を押し倒すと、そのまま向こう側にひっくり返った。背中をしたたかに打ったらしく、うめき声をあげて床に転がった。そのとき、男が偶然にも背中を晒した。長い髪がばさりと揺れて、その首筋があらわになった。刺青があった。ぎょっとするほどに大きな目で、中央の目を囲むように蛇のようなロープのようなものが描かれていた。あれは蛇じゃない。縄でもない。いまならわかる。あれは触手だ。目はまるで隆起したイボのようにさえ見えた。さっきの怪物の触手についていたもののように。
 わたしはといえば、しばらく咳が止まらず、近くにあったコップの水を口の中へと注ぎ込んだ。それでも何度か咳き込んだあと、近くにあったブランデーを開け、口をつけて飲み込んだ。熱いものがこみあげてくる。気付薬にはなったようだ。あのハーブによる酩酊感に比べたらずいぶんとマシだ。
 酔ったような感覚がしばらく取れなかった。はぁはぁと肩を何度も上下させていると、やがて男がカウンターに肘をかけた。
「ど、ど、どうだい。効くだろう?」
 男はにやにやと不気味な笑いを見せながら、カウンターを支えにして起き上がってきた。笑ってはいたが、その目は一度として瞬きをしなかった。
「へへへ」
 手を伸ばし、愕然としているわたしの腕をとった。
「買うか、どうか」
「……ふざけるんじゃない」
 わたしはようやく声を引き出した。
「見たんだろう」
 男の目はどこか期待に満ちていた。
「おまえにも、見えたんだろう。あのお方が」
 わたしは反対の手で、男の肩を突き飛ばした。思い切りやったつもりだったが、男は微動だにせず、わたしはもう一度勢いよく肩をひっぱたいてやった。今度こそ男は痛みを堪えたように顔を少しだけ顰めた。
「帰れ」
 わたしは慎重に言葉を選んだ。
「これをうちで扱うことはできない。一応、州の法律に基づいてやっているからな。二度と来るんじゃない……」
 けれども、怒りをおさえることはできなかった。
「帰れっ、いますぐここから立ち去らねぇとぶん殴るぞ!」
 わたしはあらん限りの声をあげた。
 男は笑いながらも、そのまま後ずさってからようやく逃げていった。酒場にはまだ少しだけあのにおいが残っていて、わたしはあまりの気分の悪さでシンクに胃の中のものを吐き出した。ほとんど先ほど飲んだブランデーしか出てこなかった。吐き出したものとシンクに残っていたハーブの欠片を水でぜんぶ流してしまうと、ようやく膝をついてその場に座り込んだ。ただ息を整えることしかできず、呆然と頭痛が過ぎ去るのを待っていた。
 わたしが正気を取り戻したのは、とつぜん頬に痛みを感じたからだ。
「おいっ、マスター、どうしたんだ!」
 見回すと、見覚えのある常連客と他の客たちがわたしを囲んで見下ろしているところだった。頬を叩き、転がった瓶や出しっぱなしの水道を見て、心配そうにしてくれていた。どうやらわたしは生き延びたらしかった。

 結局、二日ほど頭痛と気分の悪さが取れずに、店も三日ほど休むことになってしまった。
 その間に通報し、ベレ族とおぼしき男に麻薬のようなものを売りつけられそうになった、おそらくまだ町にいるかもしれないと連絡をした。町の警察と役所の人間がやってきていくつか話をしたが、これといって進展はなかった。
 ベレ族とおぼしき男が逮捕されたという連絡もなく、一ヶ月ほどが過ぎた。わたしも早く忘れようとしてはいたが、今度は突然FBIを名乗る者たちがやってきて、ベレ族のことと平原のどのあたりに住んでいるかについてを聞きたがった。わたしはこのときとばかりに祖父からの知恵を総動員して、ベレ族が居留地としている岩山を教え、彼らの現在がどうあれ、ベレ族の男が麻薬のようなものを売ろうとしたのは事実だと認めた。わたしはここから事態が進展するだろうと思い込んだ。やってきた男たちはわたしの熱意とは裏腹に、確認のようなことをしてから去っていった。
 しかし後になってから、わたしはハッとした。もしかしてわたしは知りすぎてしまったのではないだろうか。あの麻薬で何が起きるのか知っていた。ベレ族のことについても、平原のどのあたりを居留地にしているのかも知っていた。そう考えると、ベレ族が復讐としてなにかしてくるのではないかと考えたのだ。そうなると今度は眠れない日々を過ごすことになった。遺言さえ書いた。酒場のことや家族のこと、そしてインディアンに伝わる忌み嫌われた部族のこと……。戦々恐々として仕事にさえならないこともあったが、それから一ヶ月、二ヶ月経っても進展はなく、かといってわたし自身に何かあるわけでもなかった。わたしは次第に日々の生活に忙殺されていた。
 そんな出来事も忘れかけたころ、ある日の真夜中のこと。とつぜん、国立公園から光が放たれ、大きな音がした。驚いて住宅にしている酒場の二階から覗くと、遠くの方から銃撃の音が町にまで聞こえてきた。呆気にとられていると、不意に空を軍用機が飛んでいった。戦闘は平原の向こうにある岩場の方で行われていて。ちょうどわたしがベレ族の居留地であると教えたあたりだった。攻撃は夜明け近くまで続き、音がやんで朝が訪れたときにはようやく安堵したものだ。なぜ戦闘が行われたのか、いったい何が起きたのか、すぐにはわからなかった。ただ、人々は昨夜起きた謎の戦闘行動について噂するだけだった。
 あとから町にもたらされた説明では、インディアンの古い部族のふりをして、どことも知れないマフィアたちが麻薬の取引をしていたと聞かされた。どこの国のマフィアなのかは機密情報なので言えないが、奴等は紅茶だの気持ちの良い薬だと称して麻薬を売ろうとしていたと告げた。そうやって売りつけられたり、試供品として貰ってしまった怪しげな薬があったら、当局に提出してほしいとのことだった。また、鎮圧行動において麻薬に火がつき、においが漏れたことで幻覚や気分の悪さなどの症状が出ている人がいるかもしれないと続けられていた。もしそのような症状があれば州が責任をもって治療と賠償にあたるということだった。これには驚きだった。あそこでいったい何があったのか、みな噂した。メキシコの強大なマフィアがひとつ潰れただとか、難民や移民たちが取引をしていたのではないかとか、はたまたマフィアのせいにしてインディアンの部族をひとつ潰したのだと憤る人々もいた。だがどれも決定打に欠けた。新聞の報道でもほとんど同じような文面ばかりで、国立公園内のインディアン居留地でマフィア達が違法な麻薬取引を行っていたと書かれるに留まっていた。
 ただひとつだけ、あのときの銃撃戦で、奇妙なものを見た人々が少なからずいたことは確かだ。あのとき光を放つ岩山の上で、雲の切れ間から巨大な目のようなものが見えた。その周囲を巨大な翼のような触手が上下していたことも。おそらく大量のハーブが燃えたのだろう。あれは本当にただの幻覚剤だったのだろうか。それとも、人知を超えた存在を知覚できるようになる魔術の類だったのだろうか。目玉に向かって軍の攻撃が加えられたことも果たして我々の幻覚だったのだろうか。最後に聞こえた断末魔のような声は。
 真相はいまや闇の中だ。例え見ていた者がいたとしても、幻覚として片付けられてしまうだろう。今回の大捕物において、軍がどんな役割を果たしたのか決してわたしたちの耳に入ることはないだろう。

 だがあの時のハーブは、現在、インターネットのダークウェブで取引がされているという噂を聞いた。具体的にそう聞いたわけではないし、見たわけでもない。ただ、火をつけると独特の酩酊感があり、怪物を見ることさえ出来るという――そんなハーブがあるという話だった。
 どうやらあの男は商売先を変えたらしい。同一人物ではなくても、ベレ族たちは手っ取り早く生贄を捧げる方法を見いだしたらしい。早いところあんなものは処分してもらわなければ困る。でなければ、いずれ再びあの怪物が我々の前に姿を現すだろう。幻覚としてではなく、現実として。


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