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【短編】浜辺の漂流物

ノベプラからの転載です。「夏の5題マラソン」参加作品。

 夜の浜辺に、クジラの夢が打ち上がっていた。

 私がわざわざ深夜の浜辺に行こうと思い立ったのは、ただの偶然だ。
 それなのにこんなものが見られるとは、運がいい。

 クジラの夢は思ったよりも巨大だった。近寄って見上げると、これほど大きなクジラも無いのではないか、と思ったくらいだ。それほどに大きな夢が浜辺に打ち上げられていたのである。おもむろに手を伸ばすと、ぷよぷよとしていた。感触のほうも魚というより、柔らかなゼリーに近いように思える。中身もまだ透明さを保っていて、これほど綺麗な夢も珍しいのではなかろうか。ずいぶんと長い間、海を漂ってきたに違いない。
 透明なクジラが浜辺で眠っているかのようで、はたから見ると意外に可愛いものである。
 何度かぷにぷにと指で押していると、そのままぐいっと中へと指が入り込んだ。

「おっ?」

 私はその感覚に、一度だけ指を離した。見上げる。まだ大丈夫そうだ。
 クジラの夢は眠っているようにゆらゆらと僅かばかりに震えている。

 それから手の平で、ぐいっと小さく押してみる。
 ここまで流れ着いてきたのだから、中に入ればまだ遠くの海の光景が見られるに違いない。けれど、結構勇気がいるものだ。私はなんとなく外側を押すだけに留めてみたが、そのうちに不意にぷよんと手首まで中に入り込んだ。

「うわっ」

 そうなるともうあっという間に私の体はあっという間にクジラの夢の中へと吸い込まれてしまった。
 ごぼごぼとゼリー状の中へと体が入り込んでいく。息が出来ない錯覚に陥りながら、私はクジラの夢の中を泳いだ。

 意を決して目を開けると、私の意識は既に深い海の中を泳いでいた。
 あたりは深い青色に包まれていた。底は深いのによく見える気がする。なにかきらきらしたものが光っている。あたりには何もいないように見えて、どこかから歌が聞こえていた。
 これはなんだ。
 歌っているみたいだ。

 これがクジラの夢なのか。
 夢と言いながら、それはクジラの記憶に等しい。
 これどういう現象なのか、いまだによく分かっていない。

 ――夜の星のようだ。

 私は上も下もわからぬような水の底で、ぐるりと旋回した。
 深い海の底に光が煌めいていた。
 さっきまで感じていた暑さなどとっくに忘れ去ってしまい、私の意識はもうクジラと同じになりかけていた。
 ぼんやりとした意識が急に上昇し、大口を開けて魚の群れに突っ込む。凄まじい音が、耳から抜けて頭の中に直接駆け抜けていく。
 僅かばかりに見えた空の青さが、眩しかった。

 それからどれほど時間が経っただろう。
 私は浜辺でひとり、まるで眠るように仰向けになっていた。空には月が浮かんでいる。クジラの夢を見つけた浜辺だ。なんとか体を起こす。夢から放り出されてしまったようだった。周囲を見回すと、クジラの夢は気泡のようになって少しずつ空気に溶けてしまっていた。
 私に残されたのは記憶だけだ。

 だがいまでも、夏になるとクジラの夢に入り込んだ時のことを思い出す。
 そういう時には必ず、遠いどこかからクジラの歌が聞こえてくるのだった。

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