【短編】秘密基地を買った話
ノベプラからの転載です。「夏の5題マラソン」参加作品。
じわじわとうだるような暑さの日の事だった。
私はスーパーまでの道のりを歩いていた。
むっとした湿気に、Tシャツはあっという間に肌にはりつき、汗が伝う。
頭をちりちりにしたおばちゃんが着ているワンピース(アッパッパーというらしい)は、いつから着ているのか首元がよれよれだ。ちりぃん、とどこかで風鈴の音がする。小さな水路からは、水音が心地良さげに流れている。
向こうのほうでわあわあと小学生が駆けていく声が聞こえた。元気なのは子供くらいだ。
さっさと帰りたい。クーラーが贅沢品扱いだったのは昔の話だ。
そう思いながら角を曲がると、自転車で物売りをしているおっちゃんが見えた。
「秘密基地、いらんかねえ」
そんな売り文句を大声で言っているものだから、つい立ち止まってしまった。
おっちゃんは、これまた昭和から飛び出てきたような出で立ちだった。白いがぐずぐずになった下着のようなTシャツを着て、灰色のズボンを履いている。あたりには子供たちが、好奇心いっぱいの瞳でおっちゃんを見ている。
「おう姉ちゃん、秘密基地、ひとつどうだい」
「秘密基地って、なんです」
私が冷やかしついでに言うと、おっちゃんは私を見上げてニコォと笑った。
「秘密基地は、秘密基地さ」
おっちゃんの手には、「ひみつきち」と書かれた昭和テイストなイラストの小さな紙袋がいくつもあった。
たしかに記憶にある「ひみつきち」と同じだ。いままでに買ったことはないけれど。
むしろ、感覚的には指先でこすると煙のようなものが出るおもちゃを思い起こさせる。あれは確か結構前に販売が中止されてしまったようだが。
ただ、こういうものは子供相手の商売だ。私のような大人に売りつけるものではない。
「いいじゃねぇか。最近は大人でも買っていくんだぜ」
「秘密基地を? 大人が?」
胡散臭い。
まだ昔懐かしのおもちゃだと言われたほうが買う人は多いだろう。
「ほれ、最近じゃコロリだかマドンナだかいうので、ちょっと売れたんだぜ」
「ああ」
胡散臭いが、なんとなくわかる気がする。
「どうだい。百円だよ」
百円……。
そんな私の疑念をものともせず、横から小学生が一人顔を出した。
買うなら早くしろよと言わんばかりの子供の視線を喰らって、私はいたたまれなくなった。
「おっちゃん、ひとつくれよ」
「はいよっ。百円な」
それを皮切りに、お金のある子供がこの時とばかりヒーローになる。
買ったばかりの「ひみつきち」を子供たちがのぞき込み、わあわあと何かいいながら走り出す。
「じゃあ……ひとつください」
「毎度っ。ドアから出るか、一時間経ったら消えちまうからな」
消えるってなんだ。
そうして、私はこの秘密基地を買い込んだのだ。
家に帰った時には、夕暮れになっていた。スーパーの他にもいくつか寄るところがあったので、「ひみつきち」のことなどすっかり忘れていた。思い出したのは、夜になってカバンをひっくり返した時だ。
中からひらひらと滑り落ちてきた「ひみつきち」を手に、私はなんの説明も描かれていない袋を見た。昭和テイストのイラストには、空き地らしき場所で男の子と女の子が驚いたような顔をしている。その中央には「?」の描かれた扉。いかにもな絵だ。
「……」
意を決して袋をやぶる。
何が出てくるものかと思ったが、意外にもドアの絵が描かれたしっかりした紙が一枚入っていた。
ふちには切り取り線があり、線にそってふちを切り取ると、ちょうどドアのように開閉できるようになった。この紙切れを樹や土管などに貼り付けてこすると、秘密基地の扉になるという。
家の中でもいいんだろうか。
私は壁のひとつに目を向け、ぴらりと張ってみた。
何も起きない。
指先で、そっと扉をこしこしとこする。
「うわっ」
もくもくと煙が出てきたかと思うと、紙の扉が小学生くらいの大きさになった。
紙らしさはすっかりなくなっていた。恐る恐るドアノブのところへ手をやる。
どうやら秘密基地というのは本当だったらしい。
――あ……。
扉を開けたその向こうは、ツリーハウスのような小さな空間が広がっていた。子供サイズのせいか、天井は低い。
窓の外は出られないが、涼しい風が吹き抜けていく。汗が冷えていくようだった。
まっすぐ立つのは頭をぶつけそうだったので、四つん這いになって入り込む。
――これは、いい。
冷たい木の床に座り込む。とってつけたような仄かな灯りは柔らかく、自分だけの空間という感じがした。
しかし、一時間か。
子供にとっての一時間はずいぶんと長いかもしれないが、大人にとってはあっという間だ。
――お酒でも持ってこれば良かった。
そう思った時だった。
「ややっ」
「あれっ」
反対側に扉が出来たかと思うと、その向こうからビニール袋をぶらさげた女性が入ってきた。
「あ、あれ? すいません。これ繋がるんですね」
自分一人だけの空間だと思っていたが、そんなことはなかったらしい。
「あー。初めての人ですか?」
「え、ええ。はい」
「大丈夫ですよ。同じロットから作られたやつなんです。似たような時間に近くで開いちゃうと、繋がっちゃうことがあるんです」
「あ、そういうのあるんですね」
「滅多に無いですけどねー」
彼女はあはは、と笑う。
向こうさんはどうも秘密基地を買い慣れているようだった。
「邪魔しちゃ悪いですかね」
「ああいえ、飲みに来ただけなんで大丈夫ですよ。実は、こうして繋がるの狙って一時間だけ飲みに来るの、趣味でして」
彼女はニタッと笑うと、手に持ったビニール袋を見せてきた。
「どうですか。イケるクチですか?」
中には、酒の缶が数個とおつまみが入ってきた。
りぃん、とどこかで涼しげな音が鳴った。
二人でいそいそと床にパーティの準備を広げると、ぷしゅっ、と音を立てて缶を開けた。
ぐいっと缶をあおると、喉の奥へとアルコールが注ぎ込まれていく。
「……ぷはあっ!」
「はあ~~~」
虫の音がカナカナとどこかから響いてくる。暑さが一気に飛んだようだった。
足を投げ出して、誰にも邪魔されぬ樹の上で飲む一杯。
ああ、これは!
「いいでしょう。大人の秘密基地」
「いいですね。大人の秘密基地」
彼女がニタッと笑うのにあわせて。
私も、笑った。
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