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悪魔の召喚【怪物ホラー短編】

 いくらオカルト好きっていったって限度がある。
 特にソフィア・カニングムには毎回辟易させられた。
 彼女は友達ではあるけど、変なところで「本格的」なことに拘りすぎるきらいがあったの。

 そもそもの話をするとね。私がオカルト好きっていうのは、ネットに転がってる都市伝説やそれこそネットロアを読んだり、クリーピーパスタの怪物やSCPの絵を見たり、最近のUFO動画がどうやって作られているのかを見て時代の変遷を感じたりするのが好きなわけ。もちろん、昔ながらの魔術やハロウィンの時期が嫌いってことじゃないわよ。むしろ好きな部類。タロットカードの絵柄を見て好みかそうじゃないかを考えているだけでも楽しいもの。
 だけど、自分で実際に全裸で黒いローブを羽織って、赤いインクで描いた魔法陣の上で踊り狂うなんてのは、私の専門外なわけ。そういう本格的なのは読むだけで充分。
 だってそこまでいくとさすがに引いちゃうでしょ。想像してみてよ。自分が真っ裸になって、黒いシーツを一枚だけ羽織って。蝋燭の明かりだけを灯した暗い部屋で、呪文をムニャムニャ言っているところを。誰かに見られたらそれこそ恥ずかしいったらありゃしないわ。
 だけど彼女は違うの。そういうことも平気でするタイプだった。
 私に魔術やタロットのことを教えてくれたのはソフィアだったわ。彼女の家には魔術書や――もちろん、本屋で買えるようなものばかりだけど――タロットやルーンストーン、それからペンタクルのペンダントなんかがたくさんあった。黒いローブも何枚かあったし、魔法の杖も何本か持っていた。映画のアイテムじゃなくて、自分で作ったものよ。
 だけど物品が揃ってる以上に、彼女は実践的だったの。魔術書に描いてあるように瞑想したり、魔法陣を描いて何かを召喚しようとしたりした。
 それでもまあ、一線を越えるだけのことはしてなかった。というか、越えられなかったのよ。さっきも言ったけど、赤い血じゃなくて赤いインク、とかね。魔術っていったらそういうものでしょ。雄鶏だか雌鶏だかの血で魔法陣を描いたり、猫の死体を捧げるとか、カエルやトカゲで料理を作ったりね。だけどソフィアは動物の血をとってくるまでは出来なかったのよ。盗んでくるっていったって、そんな農場は近くになかったし、カラスの死体だってすぐに手に入るわけじゃない。本格的なことに拘るわりに、そういうところは一線を引いて越えられない。
 あとは、月と五芒星の描かれた刺青が手の甲にあったくらいね。まあそういう子だったわけ。結局、常識的なところから脱却はできてなかったのよね。
 ただ、彼女にしてみればそれはやっぱり「本格的」じゃなかったみたい。だから小細工を繰り返してたの。赤い血の代わりに赤いインクを使ったり、安物の羽でペンを作ったりね。
 いま考えると、儀式に必要なアイテムも果たして合ってたのかわからないんだけど……。
 ただ彼女にそこまでして叶えたい願いがあるかっていうと、ちょっと違う気はした。むしろ叶えたい願いがあるっていうよりは、自分が魔術や魔法が使えるようになることそのものを願っている気がした。だれだって他のみんなより特別になりたいもの。彼女の場合はそれが魔術だったってことだけ。学生の頃からそんな風だったから、ちょっと変な奴みたいな扱いされてたけどね。

 そんな彼女から久々に連絡が来たの。
 ちょうど寒くなってくる時期のことだった。
「久しぶり!」
 彼女はいつになく興奮していた。こっちが最近は何をしてたのか聞こうとする前に、一方的に喋ってきた。
「わかったわよソフィア、それであなたは最近どうしてたわけ?」
「悪魔よ!」
「悪魔?」
「悪魔が召喚できたの。もう少しだったのよ!」
 私は呆気にとられるしかなかった。
 そりゃあね、オカルトは好きよ。いまでもね。
 好きだけど、悪魔と言われて最初に思い浮かんだのは、赤い肌をした全裸の筋肉質で、背中からコウモリの翼が生えてる、三つ叉の槍を持っている「悪魔」だった。いまどきホラー映画でもいないような、昔ながらの悪魔。そんなのが召喚できたなんて言われてもね。ソフィアは自分の描いた魔法陣の正当性やどんなことが起きたかを、顔を赤くして興奮気味に語ってたけど、むしろ私は途中から笑いを堪えるのに必死だった。
「それで、いままでのと何が違ったわけ?」
「お香を使ったの」
「お香?」
 魔術でオイルを使うのは知ってたわ。アロマオイルとか、エッセンシャルオイルの類ね。イギリスの魔女だってハーブを使うし。お香なんていうから香木から作った何かを想像してたけど、ソフィアが言うには切り刻んだハーブみたいなものだったみたい。
 正直言って、信用できると思う?
 なにか騙されて、麻薬か、脱法ハーブみたいなものを掴まされたんじゃないかと思ったの。
「それって、ネットでも売ってるやつでしょ。変なところから買ったんじゃないの?」
「違うわよ! そんなまがい物とはぜんぜん違うの。それにこれはちゃんと由来のあるものよ」
 ソフィアが言うには、これはメキシコだかブラジルだか知らないけど、とにかくそこで使われている由緒正しいものだって話だった。先住民からも恐れられるシャーマン達が使っているというお香の一種で、数種類の薬草を混ぜ合わせて作られたもの。これを使って酩酊状態に入ることで自分の見ているチャンネルを合わせて、神だか悪魔だかと交信するっていう……、それって、結局は麻薬じゃないの。
「……」
 なにひとつとして安心できる要素なんて無かったわけよ。
 黙り込んでる私を見て、ソフィアは少しだけムッとしたようだった。
「そんなに疑うなら、本物の悪魔を見せてあげるわ」
「……うーん」
「なによ、怖いの?」
 私はそう言われたとき、ちょっとびっくりした。
 怖いの、なんて普段のソフィアなら絶対言わないと思ってたから。私もちょっとムッとした。だってこっちは心配してるのに、それが無下にされた気がしたんだもの。
「いいわよ。そこまで言うなら、見せてよ」
「そうこなくっちゃ! 準備があるから、すぐにはできないけど」
「なあに、準備って。そのハーブがもう無いとか?」
「ハーブはあるんだけど、魔法陣がね……。前より大きくしないといけないのよ。もう家の中でやれるのは限界」
「どこか他の場所でやるってこと? 借し倉庫とか、ガレージとか?」
「ううん。もっと大きなところ。もうだれもいない農場があるの。そこを使うつもり」
「……それ、私とあんたの他に誰かいる?」
「ううん、いないけど。どうして?」
 何か腑に落ちないものを感じながら、私はそれで頷いた。
 最初の二日、三日はいろいろと考えたわ。だって古い農場でしょ。あの子が私の知らないうちに悪い仲間に誑かされていて、変な事になるんじゃないかとかね。だけど一週間経っても連絡がなくて、そのうちに私も普段の生活に戻ってしまった。

 結局、ソフィアから連絡があったのは一ヶ月も後になってのことだった。
 私もすっかり忘れきっていた。そういえばそうだったと思い出したのと同時に、なんでこんなことになってるんだろう、って不思議に思ったものよ。ソフィアは日時を指定して、もう使われてない古い牧場までの地図を一緒に送ってくれた。車を使わないと行けないところだった。
 車で向かうと、あたりはすっかり真っ暗だった。ひとけのないところに車を止めて、エンジンを切ったら何も見えなくなってしまった。灯りひとつなくて、目をこらしてようやく見えるくらいだった。ソフィアが懐中電灯を持ってたから、すぐにわかったけどね。あの子は黒いローブで全身をすっぽり覆って、私に手を振ってた。たぶんあのローブの下はなにひとつ着けてないんだろうなって思った。もう寒い時期になってたっていうのにね。
「ソフィア」
「待って、そこ気をつけて」
 声をかけて近寄ると、もう準備はほとんどできてた。
 魔法陣は私が思っているよりずっと大きかった。

 いつもだったら部屋の中で、ちょうど自分が乗れるくらいの大きさまでしか見た事ないから、ちょっとびっくりしたの。一帯の草が刈られてて、そこに赤いペンキかチョークみたいなもので魔法陣が描かれてた。ずいぶんと大きかったわ。私が寝転がってもまだ余裕があるくらいの大きさだった。
「こんなでかいの、描く必要ある?」
「何度か召喚に成功して、思ったの。これは巨大な悪魔なんじゃないかって。だから今回は全身像を見るために、魔法陣を大きくする必要があったのよ」
 だからといって、古い農場を使ってまでやらないといけないなんて、相当でしょ。寒いし。
「ふうん……まあいいけど」
 なにも言えなくなった私を無視して、ソフィアは準備を始めた。私に黒いローブを投げて寄越すと、準備してて、って言った。つまりそれって、この寒空の下で全裸になって黒いローブ一枚になれってこと。あの子のいう魔術の準備っていうのはそういうことだった。
 でももうそれでソフィアが満足するならいいと思ったの。私は友達が世間から足を踏み外すのを阻止できると思ったし。もうどうしようもできないところまでやってきたなら、可哀想だけど見捨てるしかない。私は自分の服を脱いで――もちろん、下着もブラも全部よ――代わりに黒いローブを羽織った。
 その間にソフィアは準備を済ませてた。
 魔法陣を囲むように順番に蝋燭に火をつけられると、それなりに雰囲気はあった。魔法陣の手前には祭壇が作ってあって、白い皿やら赤い蝋燭やら置いてあった。私がさて今回はどうなるかしらと思って見ていると、ソフィアが目の前にずいっと何か差し出した。
「これが、例のハーブよ」
 そう言って見せてくれたの。
 紅茶の袋くらいの白い紙袋に入ってて、見た目は本当にその辺で売ってる紅茶と変わらなかった。むしろ、人目を惹かないまであったわ。だってほら、売ってるハーブにしろなんにしろパッケージのデザインがイカしてるでしょ。黒地や赤に目や稲妻のデザインとかさ。私なら絶対に手に取らないタイプのデザイン。だって怖いじゃない。それに比べればずいぶんとシンプルで、私は苦笑いするしかなかった。
「で、それをどうするの?」
「まあ見てて」
 白い紙袋を破って取り出すと、ビニール袋に入れられたハーブが入ってた。中身は確かに切り刻まれたハーブって感じだった。このまま料理や紅茶にできそうな感じのね。ソフィアはその中身を白い皿の中に入れてしまった。ソフィアが他の準備をしている間にそっと匂いを嗅ごうとしたけど、よくわからなかった。
 ソフィアは蝋燭に火を灯すと、今度は蝋燭を手にして、ハーブに火をつけた。ジジッと小さな音がして、いよいよ私もちょっと緊張しちゃった。さすがに人目を気にするし、ちょっと雰囲気があったからね。そうしたら、あたりに妙な匂いが立ちこめたの。少なくとも料理に使うようないい匂いじゃなかった。ちょっとミルクっぽくもあるんだけど、腐ったような臭い。こんなの本当に使えるの、ってちょっと思った。だけど、やめよう、っていう前にソフィアはもう次の段階に入ってしまったのよ。
「いい? 落ち着いて。ここから先は絶対に魔法陣の中に入らないで」
「う、うん……」
「そして呪文を唱える……」
 ソフィアの口から唱えられたのは、聞いたこともない呪文だった。
 呪文なんてそもそも聞いた事がないから当たり前なんだけど、だけど自分がイメージしているものからほど遠かったの。
「るうぇん ある おるべ おわあすうる るうえん あるすろうる……」
 呪文にしてはメチャクチャだと思わない?
 なんだか適当に作った、みたいな。どこかの古い言葉を適当に言ってるにしたって、限度があるでしょ。だから私は呪文を聞きながらちょっと白けるなあ、なんて思ってた。魔術ってなんだかんだ信じていないと効力は無いっていうじゃない。だから、これは魔術としても失敗しそうって思ってた。
 それでもハーブの煙がだんだんと強くなってくると、私はなんだかぼーっとしてきたの。酩酊状態っていうのかしら。臭いがだんだんと気にならなくなって、魔法陣の周囲にある蝋燭がゆらゆらと揺らめいた気がした。光が強くなってきて、魔法陣を描いてるチョークの色がチカチカと光ったような気がした。そんなことあるはずない。しっかりして私、と必死に自分を振りほどこうとしたわ。
 だけど、そのときは訪れた。
 ソフィアの叫び声が最高潮に達したとき、不意に眩しい光があたりを覆ったの。思わず腕で目を覆ったけど、次第に光の中から灰色のものがぬっと現れた。
「来た! 来たわ!」
 隣でソフィアが叫んだ。
「ひ……」
 それは、魔法陣の中から出てきていた。
 灰色で、ボコボコと突起のように隆起した肌の触手のようなものが目の前で蠢いていた。それはいくつも折り重なって、それぞれが意思を持ってのたうっていた。やがて魔法陣を埋め尽くすほどの巨大な青緑色の丸い水晶が現れた。水晶は濃い青色の細い線が中央に向かっていくつも走っていて、中央だけは黒くなっていた。そこで水晶が巨大な目だと気付いたの。目は魔法陣をすっぽり覆ってしまっていた。私よりずっと大きかった。その目はのたうっている触手に囲まれながら、ぎょろりとこっちを見た。
 そいつは私たちを見るとぐいっと近寄ってこようとしていた。私が突起みたいに隆起していると思ったものが、ぱちりと開いた。それも目だった。触手はいくつか束になりながら動いていて、まるで触手のようでありながら翼でもあるように思った。まるで二対の翼を開閉するようにして、そいつは束ねた触手の根っこを動かして私たちに迫ってきた。魔法陣から出てきているのは一部だけかもしれないのに。
 こんなの悪魔じゃない。悪魔ですらない。
 これは人間の想像の外からやってきたものだ。
 直感的にそう思った。そう信じ込んでしまいそうになるほどだった。
 幸運だったことに、魔法陣はそれでも機能していたの。魔法陣は本来、召喚した悪魔を閉じ込めて言うことをきかせるためのものだもの。だからそいつは魔法陣の範囲の中で、何度も触手を動かしていた。少なくとも私がそう考えていたから、そこから出てこなかったんだと信じてる。
 私は必死になって自分に言い聞かせた。
 違う、これは薬が見せてる幻覚だ。
 まやかしだ、ってね。
「ね!? 悪魔でしょう!?」
 ソフィアが嬉々として言った。
「あ、あ、悪魔って」
 口から出せたのはそれきりだった。
 同じ幻覚を見ていることなんて、あるのかしら。
「ようやく全体像が見えてきたのね。すごい、絶対にこれを使い魔にしてみせるのよ」
 興奮した彼女の言葉が遠く聞こえた。
「こ、こんなの……」
 悪魔じゃない。
 現実じゃない。
 私はそう言おうと思ったけれど、声が出なかった。
 ソフィアがいったい何を召喚してしまったのかよくわからなかった。ソフィアはただただ興奮していて、なにごとか語りかけていた。だんだんとハーブの臭いがだんだんとはっきりしてきて、唐突に吐き気がした。こんな気持ちの悪い臭い、いつまでも嗅いでいられないじゃない。私は膝をついて手を伸ばして、燃え続けるハーブの皿を持って、勢いよく叩きつけた。

 それからどうしたのか覚えていない。気付いたら家に居たからだ。
 昨日のことが夢だったようだけど、私の服はぐちゃぐちゃだった。正確に言うと、下着もブラも着けていなかったし、パンツは中途半端なところまでしか上がってないうえにじっとりと濡れていた。シャツはなんとか袖に通そうとした形跡があったけど、とにかく着られてなかった。あの黒いローブを上からすっぽりカブっていたから、その下の惨状は少なくとも見られていないと思う。けど、どこかでぶつけたのか額には乾いた血がついていたし、そもそも服も泥がついてた。よくこの状態で帰ってこれたなと改めて思った。おまけに右手は火傷してたしね。
 そのせいもあってか、私は二日ぐらい高熱にうなされていた。シャワーだけは浴びれたのは幸運だったけど、かなりの熱で動けなくてね。
 でも途中で彼女から連絡が来た。びっくりでしょ。
「いずれあの悪魔を、ハーブ無しで召喚してみせるのよ」
 そんなようなことを言ってた気がする。私は熱のせいでぼんやりとしていて、なにを言ったのか覚えてないわ。ただ、あのハーブは危険だからもう何もしないで、とは言った気がする。通じたかどうかは知らないけどね。だって結局、彼女とはそれっきりになったんだから。
 あれから会えてないの。
 どこへ行ったのかぜんぜんわからないのよ。

 とにかくあの後は気持ち悪くて仕方なくて、寝込んでいる間は何も食べられなかった。やっぱりあれは麻薬か脱法ハーブの類だったと確信した。だからあの化け物は……私の幻覚が見せたものだってね。ソフィアはまたあれをやるつもりのようで、一週間後に同じ牧場でやるって言ってた。だけど私はどうしても行く気になれなかった。あの牧場に車を置いてきたことを思い出したけど、とにかく嫌で嫌で……、億劫で仕方なかったわ。もう一度あんなものを見るのはごめんだった。麻薬を使ったかもしれない友達を警察に突き出す気にもなれなくて、私はなにも言わないまま夜を過ごしたの。何か言われるんじゃないかと思ったけど、夜になっても連絡が無かったからそのまま眠ってしまったの。気がついたときには朝になっていた。携帯電話を見てもソフィアからの連絡は一度も無かったわ。
 明るくなってきてから、私は牧場に行くことにした。
 どうしてわざわざ行くことにしたのか自分でもわからないけど、車だけは回収したかったしね。それに、朝になっていればソフィアももう帰っていると思ったし。
 タクシーで近くまで行って、歩きで牧場に向かったわ。鍵だけは持って帰ってて良かったと心底思った。盗まれるのも嫌だし。歩いて向かうのは本当に骨が折れた。かなりの道のりがあったし。
 整備されてない、草だらけの道を通って牧場に着くと、私の車はすぐに見つかった。
 良かった、って思って近づいた、そのときよ。ふっと変なにおいがしたの。あのハーブの臭いじゃなかった。もっと粘着質で嫌なにおい。生臭くて、鼻に残るようなにおいよ。
 思わず、牧場の方に目をやった。
 牧場はソフィアが魔法陣を描くために、草を刈ってあったって言ったでしょ。土が露出したそこを中心に、灰色に染まっていた。特に土が――魔法陣が描いてあったところは、ぬるぬるとした灰色の液体が残されていたわ。インクは土と混ざってグチャグチャで、もう何が描いてあったのかもわからなくなってた。刈られてない草もあちこち枯れ果てたみたいに灰色になっていて、まるで土の部分に毒でも落とされたみたいだった。置いてあったはずの蝋燭もどろどろになっていて、私は言葉を失った。
「ソフィア?」
 私は声をあげた。
 祭壇が作られていた場所は荒らされていて、皿も蝋燭もあちこちに飛び散っていた。強い力で上からたたき壊されたみたいだった。その近くには黒いローブの切れ端があった。拾い上げてみると、これも強い力で引きちぎられたようだった。ソフィアはどこにもいなかった。だけどもう一度あたりを見回して、ソフィアがどこに行ったのかを知ったの。

 いま思うと、本当に魔法陣は魔法陣として発動していたのかしら。
 もしもあいつが、ハーブが効いている短い間だけ見えるものだったのなら。人間だって、何度も呼び出されたと思ったら、「大した用はないの。帰って」なんて言われたら腹も立つでしょ。だからあの化け物は、ハーブの効いている短い間に、復讐を果たしたのよ。化け物にとっては復讐というより、うるさい虫をどうにかしたって感じかもしれないけどね。
 魔法陣の中心に残っていたのは、見覚えのある刺青の一部だった。小指と薬指と、ほんのわずかの月の刺青だけが残った手。引きちぎられたそれを見た途端に車に向かって走り出し、いま見たものを頭の中から追い出そうとした。
 結局、ソフィアは行方不明ってことになった。
 だけど何日かして、彼女から送られてきたものがあった。

 日付は、最初にあの召喚実験をした日の翌日。
 中身を開けてみると、紅茶くらいの、小さな白い紙袋が入ってた。
 あのハーブだった。

 私はその袋を、いまだにどう捨てるべきか考えあぐねている。


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