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エーゼルランドの怪物③【短編小説・全4話】

 翌日からは、ブランチャードは研究と偵察を兼ねて街の中を歩いてみることにした。
 まさに中世の町並みを歩いているかのようだった。ただ、本物の中世と違うのは清潔感があったことだ。文明レベルが中世だといっても、大きく違う所は当然ある。加えて下水道が発達したらしく、一般家庭でもトイレなどは現代に近い作りになっているのだろう。汚物を窓から投げ捨てるような猛者はいなかった。人々の足元を見ても、ぺたんこの靴で歩いている。
 商店街も活気があったし、なにより食べ物が充実していた。食べ歩きの文化があるのか、串焼きやパニーニに似たホットサンドが売られていた。外国の衣服を着て歩くブランチャードを、人々はちらりとだけ見て通り過ぎていく。ふと視線を感じて見てみると、クスクスと子供たちが無邪気に笑って、走り去っていった。店の前で椅子に座り、編み物をしている老婆もいた。ホットサンドをねだる子供を、母親が手を引いて歩いていく。穏やかに過ぎていく時間。何か懐かしいような気になって、ブランチャードは首を振った。
 情報を集めようと、ブランチャードは店の一つに入った。
「いらっしゃい。お客さん、外から来た人だな」
 商人の男が話しかけてくる。
「こんにちは。ここでは、神のイコン……絵画や偶像のようなものは扱っていないのですね」
 偶像はともかく、聖書のようなものも見当たらない。
「うーん、そういうのは特に無いなあ。個人で何か作る奴はいるだろうけど」
「特に決まっていないということでしょうか?」
「そんなもんだな。神様はいつでもそばにいて、見守ってくれてるんだ。だから、わざわざ作るのはそいつの趣味だね」
「……では、神の姿を見られるようなものは……」
「神様はいつも側にいるからな。わざわざ形にする必要はねぇだろう。あんたは違うのかい?」
「……そうですか。すみません、他をあたってみます」
 礼を言って店を出る。
 冷やかしのような形になったのにも関わらず、商人の男はにこやかだった。
 この国の人々は、ブランチャードの予想を裏切り、穏やかで豊かだった。
 それからの数日間、戸惑うことばかりだった。
 たとえば商店の中には、氷室で作られたアイスクリームも当然のように売られていた。物欲しそうに見ていた子供に、「飽きたから、やるよ」などと言って残りを与えてやる人。食事の前には必ず感謝をしたし、石畳に突っかかって転びかけた老人を何人かで助け起こす場面も見た。またあるときなどは、ブランチャード自身が財布を落としたものの、後から追いかけてきた人が「良かった、追いついた!」と言って財布を差し出してきた。中身は何も無くなってはいなかった。
 ブランチャードは呆気にとられていた。
 ここでは正しいことが行われている。
 それなのに、偽物の神を信仰しているという一点において間違っている。
 偽物の神を信仰する人々。
 ブランチャードはこの状況をどう考えていいのかわからなくなってきた。

 その日、ブランチャードはチーズ入りのホットサンドを一つ買った。温かく伸びるチーズは、少し癖のある、濃厚な味がした。
「美味いだろう、客人さん。羊のチーズだ」
 このあたりに生息する羊もまた、この島にしかいない希少な羊だ。
「ええ、とても美味しいです。失礼ですが、実は、もっと質素な暮らしをしているのではと思っていたので……」
「あっははは! あんたみたいな客人はよく言うよ」
 ホットサンド屋の男はまったく気にしていないように笑った。
「それに、もうすぐ祭りだ。そうなりゃ、もっと豪勢になるぞ! このあたりも出店が増えるからな」
「収穫祭なのですよね。そのう――あなたがたの神に捧げる?」
「そう、神様に感謝する祭りだ。俺たちの神様にな。知ってるぞ、あんたたちにはあんたたちの神様がいるんだろう」
 ブランチャードは少し戸惑いながら頷いた。
「みなさん、他に神がいると言われて否定しないのですね」
「そりゃあ、俺達は神様がいるって知ってるからだよ。だったら、あんたたちを作った神様がいてもおかしくない」
 ホットサンド屋はヘラヘラと笑った。
「……あなたがたの神様は、どんな方なんですか?」
「おいおい、そりゃあ俺なんかより、ネハクトルさんに聞いた方が詳しいんじゃないかい。あんたも知ってるだろう。案内人のネハクトルさんだよ」
「いえ、市井の方々がどう思っているかに興味があるんですよ」
 ホットサンド屋は頭を掻いた。
「……他にオススメはあります?」
「そうだな、食べやすいのは羊のハムとゆで卵のだな」
「じゃあそれで」
 ホットサンド屋の手がゆで卵の一つに伸びた。殻が割られる。
「俺たちの神様はな、この島そのものなんだ」
 ゆで卵を平たくカットすると、パンズにクリームを塗りたくる。
 地母神のようなものだろうかと推測する。
「神様は海の向こうからやってきた。遙か遠い海を渡ってやってきたんだ。それで、海の上に座り込んで、島になった。だから俺たちは神様の上に住んでる。神様に生かされてる。この島の実りも、みんな神様が授けてくれたものだ。肉も、野菜も、ぜんぶな」
 パンズに生ハムとゆで卵が挟まれ、それをホットサンドの機械にセットした。やがてホットサンドの焼けるいい匂いと、ジュウという音がし始めた。
「それで俺達は、神様に感謝して、祭りをするんだ。神様に捧げ物をして、また次の一年を見守っててもらうようにしてる」
 機械を開き、ホットサンドを包み紙でくるむ。
 ずいっと差し出されたそれを、ブランチャードはありがたく受け取った。
「そりゃあな、ここにやってきた客人の中には、神様を怪物扱いする奴等だっていたよ。悪魔って言ってたかな」
 ブランチャードはメデューサの伝承を思い出していた。メデューサの伝承だって、もともとは先住民族の大地母神であったという話がある。紀元前から、負けた相手の神を怪物に見立て、自分達の神の怪物殺しの逸話と取り込むことがある。
「あなたがたは、自分達の神様が怪物扱いされて怒らなかったのですか?」
「仕方のないことさ。そういう奴はいつでもいるんだ。ほんとうのことを知らないからな」
 ブランチャードはどきりとした。
 本当のこととは、正しいことということか。
 無言のまま、温かいホットサンドにかじりつく。
「でもよ、反対に、俺達の神様を理解して、ここに住みたいって言ってくれる人たちもいる。確か前の船で来たやつの中にも、何人かいたはずだ。俺たちはそういう人たちを歓迎する。それに、ここに住みたいんなら、たとえどんな神を信仰していようが構わないさ。神様はどんな奴でも好きになってくれるし、許してくれるんだ」
 クリームのついた卵と、生ハムの塩っ気が良い具合に絡み合い、美味かった。
 途中でホットサンド屋が気を利かせてジュースを出してくれたので、ブランチャードはその分チップを余計に払って歩き出した。
 島に残る。そんな選択肢があったことをいままで考えもしなかった。よく知られているのはあの嵐で、そのせいで島から出られない人ばかりだと思い込んでいたからだ。きっとそんな情報一つでさえ、外に持ち出されるのは時間がかかるのだろう。
 ここは素朴だが、食べ物も美味しい。外の人間には特別そうなのかもしれないが、閉鎖された国特有の疎外感は無かった。外の人間が違う神を信仰していると知っていてもなおそうなのだ。まるでそれが自然であるように受け容れている。確かに見た目は中世風かもしれない。だがここは中世で止まっている世界ではないのだと、もはや肌で感じはじめていた。
 ブランチャードは、我知らず拳を握った。

 研究者達も興奮していた。一週間も経つと、研究者達はこう吹聴し始めた。街の人間は基本的に優しく、聞けばなんでも教えてくれたと。中には、「大変そうだから」と羊のミルクをごちそうしてくれた牧場主もいたという。いい顔をしていた。
 そんな中、ブランチャードはサリムが渋い顔をしているのを見ていた。
 その日も街の中を歩き回っていると、広場のベンチでサリムが座り込んでいるのが見えた。
「サリムさん。サリムさんも外に出られていたのですね」
「ブランチャード先生……」
 サリムはブランチャードを認めると、肩を竦めた。
「どうですか、調子は」
「ぜんぜんダメでした。話が通じなくて」
「どうされたのです」
「彼らに、正しい神について教えようとしたんです。だけど、彼らは――なんというべきか、理解していないんです」
「理解していない、とは?」
 サリムは説明しようとして、途中で眉間に皺を寄せてから、改めてブランチャードを見た。
「とにかく、彼らは間違っているんです。間違った神を崇め、間違った教義を掲げている。クソ喰らえだ。……これは根気強くやるしかないですね。気が遠くなりそうだ」
「そうだな、彼らは……、彼らに、正しい事を、教えなければ」
 彼らは、間違っているのだろうか。それとも。いや、確かに間違っているのはこの島なのだ。
 それなのに。
 サリムは答えに満足したらしく、少しだけ機嫌を直した。
「ええ、ブランチャード先生。必ず、彼らの間違いを正しましょう。僕らは正しいことを為すのが役目ですから」
 ブランチャードは自分を奮い立たせるように頷いた。

 その日、ブランチャードは古い夢を見た。
 正しいことをしなさい、と教えられる夢だ。
 父の言葉は絶対だった。父の言う通りにすればいつもうまくいった。父は正しかったし、神は正しいものだった。だからブランチャードはいつもそうしてきた。間違いは正すべきだったし、正しい道を行くことが人間としてあるべき姿だと思っていた。
 正しい神を信じること。
 正しい祈りを捧げること。
 正しい聖書の読み方をすること。
 それが正しいあり方だった。
『パパはいつもそうね。誰かの受け売りばかり。それじゃあパパのいう正しい事って何なの。私の人生を決めつけて、私の全部を否定することなの?』
 娘はそう言って、家を出て行った。それが最期の会話になった。男と出て行った先で単独事故に遭って死んだからだ。スピードの出し過ぎだったという。助手席に乗っていた娘は、即死だったと聞かされた。何故そんなことになったのか、まるでわからなかった。自分が何か間違いを犯したのか。いやそんなことはない。そんなことは許されない。ならば、間違っているのは娘だ。だが、娘を間違えさせてしまったのは、自分だ。
 ブランチャードは混乱した。お前は間違っていると突きつけられたようだった。娘はまだ未熟だっただけだ。きっと正せる。いや、もう無理だ。娘は死んでしまったのだから。私は間違ってはいない、言う通りにすればすべてうまくいく。すべて。ブランチャードは自分が間違っていないことを確かめるために、改めて神と向き合うしかなかった。これまでの神の研究を、嫌悪していた他の宗派のものも含めてすべて読むことにした。知識を入れ、自分が正しいことを証明したかった。
 そんなときだった。この島の話を聞いたのは。
 ブランチャードはベッドで目を覚ました。
 久しぶりに嫌な夢を見た気がして、よろよろと起き上がった。時計はまだ夜の二時を指していた。
「……」
 ――正しいことをしなさい。
 正しいこととは、なんだ。
 ブランチャードはふらふらと部屋を出ると、談話室まで向かった。人影がある。誰かいるようだった。人に会いたい気分ではなかったが、足が向いてしまった。そこにいたのは、ネハクトルだった。
「どうかされましたか」
 ネハクトルはこちらを見て、にっこりと笑いかけている。
「何かご入用でしたら、ご用意致しますよ。それとも、何かご不便がありましたでしょうか」
「いいえ、そういうわけでは。ただ、少し昔の夢を見まして……ネハクトルさんはどうしてここに?」
「今日は私が夜勤の日ですので」
「……そうですか」
 ネハクトルは恰好だけなら貴族に見えるが、そういうわけでもないのだろうか。ブランチャードが怪訝そうな表情をしているのに気付いたのか、ネハクトルは続ける。
「神の前では、人は平等です」
 ぎくりとした。
「私はこのような恰好をしていますが、神の前では他の方々と変わりません」
 ネハクトルのこの考え方は、教義を取り込んだものなのだろうか。それとも。ブランチャードはますます困惑するだけだった。どう返せばいいのかわからず、また無言の時間が過ぎていく。ブランチャードはソファに腰掛けて、不意に尋ねた。
「あなたの神は、私のような……その、なんといいますか。……異教徒を、間違いだと思わないのですか」
「その必要はありません。みな、知っていますから」
「知っているとは?」
「神様をです」
 ネハクトルは頷いた。
「私達の長い歴史の中では、色んな事がありました。その中では、私達の神もまた、あなたがたの信仰する神と同じものだという人々もいました。存在を取り込もうとしたのでしょう。しかし、それならば逆もありえます。あなたがたの信じる神が、私達の神でないとどうして言いきれましょう」
「なっ……、そ、そんなことはありえない!」
「そうです。ありえません」
 あまりにはっきりと言い切ったので、ブランチャードは驚いた。
「しかし私達は、神様が居ることを知っています。だから、いつでも穏やかでいられるのです。どれだけ違うと言われても関係はありません。逆にどんな信仰を持つ方がいようと、私達は受け入れる。それは、私達が神様を知っているからです。神様はいつもそばにいて、ただ見守ってくれています。優しく肩を抱いて慰めてくれるのです。だから、誰かの信仰を無理やりに取り込む必要も、誰かの信仰を間違いと断じる必要もないのです」
「……!」
「私達は道を間違えることもあります。しかし、そんな時でも受け容れてくれる。あなたの神様は違うのですか?」
「か、神は……間違いを許しません」
「許されないのならば、きっとあなたはここに居ないでしょう。そして、我らが神も許さないはずです」
 ブランチャードは黙った。
「失礼しました。では、私はこれで。祭りの日の予約をとっておきますので、当日を楽しみにしていてください。それと、すこし登山をする事になりますが大丈夫でしょうか」
 黙ったまま、頷くしかなかった。
「では、今日のところはごゆっくりお休みになられてください」
 ネハクトルはそう言うと、踵を返して談話室から去っていった。



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