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野球母ちゃんの引退

7月のおわりのこと
大暑に相応しい灼熱の太陽のもと
息子の中学最後の都大会が行われた⚾️

初戦、同点に追いついた3回2アウトのシーン
代打で登場した息子
なんと、勝ち越しの3ランを放った

筆舌に尽くしがたい半年間を過ごしてきた我が家には
神様からのご褒美としか思えないシーン
ひとめも憚らず大号泣の私と夫に
娘はびっくりしてうるうる

翌日の2回戦は負けてしまったけれど
苦しい場面で声をかけあい
みんなで最後まで諦めず戦い抜いた姿は本当に美しく
仲間たちの
熱くて深くて固い絆を感じさせてもらった

溢れるおもいをねりきりに託して
ありがとう⚾️

息子が小2の時に始めた野球は
いつもわたしたち家族の真ん中にあった
娘の出産1週間前まで
グラウンドでスコアを書いていたわたし

「野球母ちゃん」という役割は
側から見たらおっそろしく大変な事の連続だと思うけれど
わたしにとっては
この年になってこんなに夢中になれることに出会えるなんてと
遅れてやってきた青春そのものだった


はじまりはキャッチャー

学童野球から中学野球になり
最後の年にキャプテンになった息子が
もう限界だと崩れ落ちた今年の始め
家族の中心にあった野球がなくなり
真っ暗闇のトンネルに入った数ヶ月

初めて我が子の不登校を体験し
悩み苦しみ葛藤する息子と同じかそれ以上に
悩み苦しみ葛藤し
筆舌に尽くしがたい数々の出来事と感情が渦を巻いた

スマホは破壊され
築2年の家の壁に穴が開き
やり場のない気持ちに途方に暮れ
何度ぶつかりあって
何度ひとりで号泣したか

被害者になりきれたらどれだけ楽だろうと何度も思った
でも、なれなかった
ならなかった

それはわたしが願う生き方とは違うから

そして数ヶ月の闇を経て
あのどん底にいた彼が
もう2度とユニフォームを着ることはないかと思われた息子が
自分なりにいろいろ乗り越え
大好きな仲間たちのあたたかい支えのおかげで
またグラウンドに立つことができた
それだけで奇跡だった

わたしは最後まで
前のように心地よくグラウンドにいることは叶わず
悲しさと無力感に何度も飲み込まれそうになったけれど

息子と共にその場にいること
それだけをただ体験しようと
毎回応援に足を運んだ

4ヶ月ほども野球から離れていた息子は
復帰後もスタメン出場はできていなかったが
最終日はスタメンでショートに立っていた

試合後、顧問の先生に挨拶に行くと

3年生の仲間たちが
「今日で最後になるかもしれないから
アイツのスタメンなんとかなりませんか
3年5人で戦いたいんです!」
と言ってきてくれたんですよ、と

思い出すたびにいくらでも泣ける…

息子が辛かったのは間違いないけれど
その間彼らもみんなそれぞれにしんどかったはず
いろんな思いがあったはず
それでも
考えや気持ちが違っても変わらない固い絆を
彼ら5人から感じさせてもらった

みんなみんなサイコーだぜ

思春期男子たち
そぉんな美しい感じはまったくなくて
何言っちゃってんのオバサン
て感じだと思うけれども笑
彼らが無意識に掴んでいる本質のようなものを
わたしはずっと感じさせてもらっていた

その夜は5人で打ち上げ焼肉
たらふく食べて大盛り上がりだった様子

家族にはほとんど何も話さない息子だけれど
最後の試合後、泥だらけで帰ってきた時に
小2から今まで本当にお疲れ様!
よくやった!たくさんの感動をありがとう!
てことだけは、伝えたところ
ありがとうございました、と返ってきた

そして
↑のねりきりをプレゼントして
「お母さんにもらいました〜」ってストーリーあげてもいいよ
と言ってみたところ
「あげるわけねーだろ」と至極当然の反応笑

高校で野球やるのかやらんのか
そもそもいわゆる受験生になるのかどうなのか…
新人類兼宇宙人のことはサッパリわからん

それでも
どんな道に進んでも
自分を信じて
パワー全開いのち全開
生きて行ってもらえたらと願う

(母ちゃんの本音としては
また全身泥まみれで美しく輝いているあなたを見たいけどね)

どろんこお洗濯にも終止符

そして…
息子が引退した今も
共にみる人や応援したい知り合いとかがいなくても
ひとり甲子園に夢中になっているわたし

野球そのものがこんなに好きになれたのも
息子が野球に夢中になってくれたおかげ

ものすごく辛い経験がまちがいなくあったけれど
ごく少数の人たちからはよく思われていないことも分かっているけれど

それでいい
あるものがあるし
人は人

いま、野球母ちゃんの中に残っているのは
感動の数々
キラキラした思い出たち

ひとまず7年間おつかれさまでした
息子にもわたしにもみんなにも

ありがとう🌱

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