【適応障害休職中】5ヶ月目の物語_わかるよ、みんな不安だよね
年末年始の波乱をなんとか乗り越え、心も少し落ち着いてきたのも束の間、この1週間くらいは体調を崩してしまいました。
年末年始の波乱は下記をごらんくださいまし
そこで、今の自分の状況を改めて把握しなおした時に、↑のnoteに多くのいいねをいただけるってことは、やっぱりみんな自分を誰かに認めて欲しい・わかって欲しいと思っているんだと感じた。
また、いいねをたくさんいただいて本当にありがたいと思うし、今病気やそれ以外のことでも自分に自信がなかったり、不安に思っている人に対して、私なりに適応障害になったからこそ感じた事だったり、その時の考え方だったり、実際の体験・経験を伝えて、先が見えなくて怖いような不安なようなそんな想いを払拭できるようなnoteを書いていきたいと改めて思った。
わかるよ。みんな不安だよね。私もそうだよ。一緒だよ。
できなくなったこと・苦手なこと
まず適応障害になってから、今でもできないこと、苦手になったことについて現状把握も兼ねて書いていきたい。
◆お風呂
体がとても重く呼吸も苦しい状態で洗って、さらに髪を乾かすことはとても体力を使う
お風呂上がりは、全力疾走後くらいハァハァ言ってる
X(旧Twitter)では、「お風呂に勝った」って表現されている方もいて、マジでその通り…って思ってたw
◆商品がたくさん陳列されている環境や人ごみ
具体的には、ホームセンターやスーパー、ユニクロやドラッグストアなど、ガラのついたものがたくさん陳列されている空間に入ると、体がさらに重くなり、重いが故に足は基本すり足で歩くほどの疲労感が程度の差はありつつある。
人が多いところも同じように苦手
視覚情報(色や数)が多いとそうなりがち
◆笑うこと・喋ること
愛想笑いや、喋ることにエネルギーを割けなくなる
逆に、限られたリソースの中でやり取りしないといけないから、今まで愛想笑いとかしてたところを、もう捨てるしかないと割り切れたことは良かったのかもしれない!
もっと自分本位で行動していいんだって思った
そして元々は声が大きいって注意されがちだったけど、パワーがないから大きい声で喋れないことも。
◆行動する時の心得
基本的には、どこかに出かける用事だったり、次の日誰か(家族以外)に会うとなった時には、
①前日までは体力を使わないように、ほぼ寝て過ごす
②何かあった次の日は、元気は基本的にない。無理してバーストさせたテンションの反動で、1日寝て過ごす
③無理しすぎると、その後1週間から10日くらいはいつもよりも体が重くなることに加え、片頭痛や腹痛を伴った体調不良がある
できるようになったこと・気づいたこと
適応障害になって出来なくなったけど、できるようになったこと、気がついたこと
◆空は広いし、生き物は輝いていて、自分の周りには素敵が溢れていること
実家に帰ってきたのは夏だった
最初は体が一番重い中、あの酷暑を実家まで帰ってくるのがのがマジで大変すぎて、「くるしい…きつい…重い…」しか思ってなかった
だけど休みはじめて、青空の清々しさ、草木の生命力、実家のご飯の美味しさ、そして両親や兄弟、友達のありがたさとか、今まであって当たり前、存在してることが普通、となってしまっていたことを改めて認識できたし、
「今ここ、今の自分、今私の周りにあること」
それを感じることができた
◆病には終わりがあること
終わりがあるなんて書いておいて、まだ完治・寛解したわけじゃないんだけど、この5ヶ月で良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、少しずつ、一歩一歩、体は良い方向に向かっていっていることを実感している。
東京の友達はパニック障害になって、症状は結構重いんだけど、
って言ってて、みんな症状の程度はあると思うけど、少しずつ良くなっていくと思うから、希望を少しでも持ってくれたらと思う。
もちろん病院の先生や薬の合う合わないとか、先生の言われた通りにできなかったりすることもあると思うけど、大丈夫。ちゃんと休もう。だってここまで頑張ってきたじゃん。
お風呂やお出かけすること、話すこと、いろんなことが苦手になったけど、それも昔みたいにできる日もあればできない日もある。
けれど、それを繰り返して良くなっていくと思うし、焦らなくて大丈夫だよをみんなに伝えたい。
まだまだ、「あいつのために残しておいた最後の力なのに…」みたいなもののけ姫のモロみたいな気持ちの時が多いなか過ごす、5ヶ月目の気持ちでした。
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